23話 勝ち負けの外側〈残り18時間〉
昼すぎ、遥は、ひとりで、山道をのぼっていた。
水無瀬村と黒谷のあいだにそびえる、峠の上の、古いお堂。そこに、鬼塚玄蕃が、来るはずだった。
朝のうちに、遥は、黒谷へ、使いを出していた。「夜明けの返事の前に、一度、長どうしで、話がしたい」。返事は、すぐに来た。木の札に、たった一言。『峠の堂にて。ひとりで来い』。
村人たちは、とめた。わなに決まっている。殺されに行くようなものだ。
けれど、遥は、行くと決めた。
ノヴァ1が、うるさいほど、危険をならべた。それでも、遥は、足を止めなかった。
[危険度、推定78%です。お遥さまのおからだに、もしものことがあれば、ルール2に――]
(わかってる。……でも、話もしないで、戦うか、ゆずるかを決めるのは、もう、いやなの)
〈遥。こわい?〉
(こわいよ)
〈うん。こわいままで、いいと思う〉
山道は、けわしかった。42歳のひざが、一歩ごとに、きしんだ。汗が、こめかみをつたう。杉の木立の中は、ひんやりとして、しめった土と、松やにのにおいがした。どこかで、きつつきが、木をたたいていた。
とん、とん、とん。
遥は、指先で、耳たぶを、たたいた。
◇ ◇ ◇
峠の上に出ると、急に、視界がひらけた。
遥は、思わず、足を止めた。
峠の向こう側。黒谷の村が、見おろせた。
畑が、ひびわれていた。
田んぼの土は、白くかわき、亀の甲羅のように、さけ目が走っている。稲は、茶色く枯れて、たおれていた。村の真ん中の井戸のまわりに、人が集まっている。桶をさげて、長い列をつくっている。
そして、その列の中に、子どもたちがいた。
やせていた。腕も、足も、枝のように細い。小太郎と同じくらいの年の男の子が、空の桶をさげて、地面にすわりこんでいた。
遥は、のどの奥が、からからになった。
(……黒谷も、水がないんだ)
[黒谷の水源は、2年前から、枯れてきたと推定されます。……この地域の泉は、どれも、年々《ねんねん》、水の量が減っています]
年々、減っている。
遥は、魔法王国の大時計を思いだした。消えていく糸。かえらない竜の卵。
この山の泉も、何かに、少しずつ、しぼられているのだろうか。
◇ ◇ ◇
お堂の中は、うす暗かった。
くもの巣の張った、古い仏像の前に、ひとりの男が、あぐらをかいてすわっていた。
思っていたよりも、ずっと、若かった。30歳くらいだろうか。日に焼けた顔に、左のほおから口もとにかけて、古い刀傷が走っている。目は、するどかった。けれど、その下には、何日も眠っていないような、深いくまがあった。
鬼塚玄蕃だった。
「ほう。本当に、ひとりで来たか」
玄蕃は、遥を、じろりと見た。
「甚八の嫁は、きもがすわっていると聞いていた。うわさどおりだな」
遥は、玄蕃の向かいに、すわった。ひざが、ふるえないように、両手で、ぎゅっとおさえた。
「峠から、黒谷が見えました」
玄蕃の目が、ほんの少しだけ、細くなった。
「子どもたちが、空の桶を持って、ならんでいた」
「……だから、どうした」
「だから、水がほしいんですよね。焼きはらいたいんじゃなくて」
お堂の中が、しんと、静まりかえった。
◇ ◇ ◇
玄蕃は、長いあいだ、だまっていた。
やがて、ふっと、息をはいた。それは、笑いにも、ため息にも聞こえた。
「……2年だ。黒谷の泉が減って、2年。あちこちの村に、水を分けてくれと、まわった。どこも、門前ばらいだった。自分たちの水も、足りないからとな」
玄蕃は、自分の手のひらを見つめた。
「頭を下げても、だめなら、うばうしかない。……忍びの頭として、村の者を、これ以上、飢えさせるわけには、いかんのだ」
遥は、玄蕃の手を見た。ごつごつした手。けれど、その指先は、かすかに、ふるえていた。
この人も、こわいのだ。
セレスティアと、同じだった。首席でいつづけることを、こわがっていた、あの子と。
「わたしも、村の長です」
遥は、言った。
「水無瀬の泉を、まるごと、ゆずることは、できません。そうしたら、今度は、うちの村の子どもたちが、空の桶を持って、ならぶことになるから」
玄蕃の目が、けわしくなった。
「では、戦うしかないな」
「いいえ」
遥は、まっすぐに、玄蕃を見た。
「わたしは、あなたに勝ちたいんじゃない。あなたにも、負けてほしくない。……水無瀬も、黒谷も、両方、生きのびる道を、さがしたいんです」
玄蕃は、目を見ひらいた。
「そんな都合のいい道が、どこにある」
「まだ、わかりません。でも、さがしもしないで、どっちが勝つか負けるかだけを決めるのは、もう、やめたい」
遥は、膝の上で、こぶしをにぎった。
「それでも、もし、その道が、どうしても見つからなかったら。……そのときは、わたしは、この場所を去ります。泉もゆずらないし、戦いもしない。村の者をつれて、別の場所へうつる。だれかを犠牲にする約束だけは、むすばない」
[……遥さま。その選択肢は、わたしの計算にはありませんでした]
ノヴァ1が、小さく言った。
玄蕃は、しばらく、遥の顔を見つめていた。それから、くつくつと、のどの奥で、笑いだした。
「おもしろい。……泉もゆずらん、戦いもせん、村をすててでも、だれも死なせん、か。甚八の嫁は、とんでもない女だな」
玄蕃は、立ちあがった。
「よかろう。夜明けまで、待ってやる。それまでに、その、両方が生きのびる道とやらを、持ってこい。持ってこられなければ――」
玄蕃は、お堂の戸を開けた。外の光が、さあっと、なだれこんできた。
「そのときは、そのときだ」
◇ ◇ ◇
山道をくだりながら、遥は、ずっと考えていた。
勝つか、負けるか。ゆずるか、うばうか。
遥の毎日も、いつも、そうだった。店長に怒られるか、怒られないか。専門学校で、ほめられるか、けなされるか。陽菜に、勝つか、負けるか。
だから、負けそうになると、逃げた。勝てない勝負から、いつも、その場所を、去ってきた。
でも、それは、今日の「この場所を去る」とは、ちがう。
あれは、ただ、逃げていただけだった。
ふたりとも勝つ道を、最後まで、さがしたうえで、それでもだめなら、去る。それは、逃げることとは、まるでちがう。
〈遥〉
ノヴァ2の声がした。
〈ちゃんと、話、聞けたね〉
(……うん)
峠の木立のすきまから、水無瀬村が見えた。夕方の光の中で、田んぼの稲が、風に、さわさわと、ゆれていた。




