22話 敵の砦からの使者〈残り24時間〉
3日目の朝。
水無瀬村の門の前に、黒い装束の男が、ひとり、立っていた。
顔の半分を、黒い布でおおっている。背中に、短い刀。音もなく、気配もなく、まるで、朝もやの中から、いきなりわいて出たようだった。
村の男たちが、鍬や鎌を手に、遠まきにしていた。
「水無瀬の長に、お伝えしたい」
男は、低い声で言った。
「黒谷の頭、鬼塚玄蕃さまからの、ことづてである」
遥は、お鈴をだいたまま、門の前に出た。腕の中のお鈴が、知らない男を見て、ぐずりはじめる。
「わたしが、長です」
男は、遥を、じろりと見た。
「泉の水を、黒谷に、ゆずってもらいたい。龍の口の泉を、まるごと」
村人たちが、どよめいた。
龍の口の泉は、水無瀬村の、たったひとつの水源だった。きのう、遥が、吾作と弥平のために、水門にしるしをつけた水路も、その泉から引いているのだ。
「そんなことをしたら、この村の田は、ぜんぶ、枯れてしまう」
「それは、そちらの事情」
男は、表情ひとつ変えなかった。
「明日の夜明けまでに、返事をいただく。断れば、夜明けとともに、この村を、焼く」
それだけ言うと、男は、一歩うしろにさがった。次の瞬間、白い煙が、ぽん、とはじけた。煙が晴れたとき、男のすがたは、もう、どこにもなかった。
お鈴が、火がついたように、泣きだした。
◇ ◇ ◇
話しあいの前に、遥は、ひとりで、龍の口の泉へ行った。
村の裏の、苔むした岩場だった。岩に、竜の頭のような形が、ほりこまれている。その口から、水が、ちょろちょろと流れ出て、小さな池にたまっていた。水は、手が切れそうなほど、つめたく、すきとおっていた。
泉のまわりの岩に、横に、何本もの線が、きざまれていた。
よく見ると、線の横に、小さく、年の数が、ほられている。いちばん上の線は、ずっと古い年。その下に、少し新しい年。さらに下に、もっと新しい年。
[村人が、毎年の水の高さを、記録してきたもののようです。……線は、年々《ねんねん》、下がっています。この十年で、水の量は、およそ半分になっています]
遥は、いちばん下の、まだ新しい線に、指でふれた。ひんやりとした、岩の手ざわり。
(……ここでも、何かが、へっていってる)
大時計の、消えていく糸。かえらない、竜の卵。そして、年々、下がっていく、泉の線。
遥は、冷たい水を、両手ですくって、顔をあらった。
考えなければ、いけない。夜明けまでに。
◇ ◇ ◇
村の長の家に、村の主だった者たちが、集まった。
いろりのまわりに、男も女も、年寄りも、ぎっしりとすわっている。みんなの顔が、青ざめていた。
「戦うしかねえ!」
「相手は、黒谷の忍びだぞ。こっちの男衆は、10人もいねえ。甚八さまも、いねえのに」
「だったら、泉をゆずるのか。田が枯れたら、冬を越せねえ。どっちにしろ、死ぬんだ」
声が、いりみだれた。
遥は、いろりの火を、じっと見つめていた。
耳の奥で、ノヴァ1の声が、すずしく、ひびいた。
[状況を分析しました。黒谷の戦力は、推定で忍び30名。水無瀬村の戦える者は、12名。正面から戦った場合の勝率は、9%です]
遥は、くちびるをかんだ。
[しかし、勝率を上げる方法があります。村の東の谷に、戦えない村人18人に武器を持たせ、おとりとして配置します。黒谷の忍びを、そちらに引きつけているあいだに、残りの者で、鬼塚の本陣を、背後からおそいます。この攻略で、勝率は、82%まで上がります]
「……おとりになった人は、どうなるの」
[おとりの生存率は、推定で、15%です]
遥の、背すじが、冷たくなった。
[村全体の生存者数を、最大にする作戦です。数の上では、これが、最適解です]
ノヴァ1の声は、まちがっていなかった。数字は、うそをつかない。
けれど。
遥は、いろりのまわりの顔を、ひとつひとつ見た。吾作。弥平。おたね婆さん。井戸ばたの女たち。そして、遥の着物のすそを、ぎゅっとにぎっている、小太郎。
この中の、だれを、おとりにするのか。
◇ ◇ ◇
「ノヴァ1」
遥は、心の中で、ゆっくりと言った。
「勝つ方法を、教えて」
[先ほどの――]
「ちがう。……条件がある」
遥は、息をすった。
「勝つ方法を。ただし、だれも、犠牲にしない」
ノヴァ1が、だまった。
[……その条件では、先ほどの作戦は、使えません]
「うん。だから、聞いてる」
[条件を、くわしく教えてください。「犠牲」には、どこまでがふくまれますか。村人だけですか。それとも、黒谷の者も、ふくまれますか]
遥は、はっとした。
黒谷の者。
水をよこせ、と言ってきた、敵。焼きはらう、と言った、敵。
遥は、しばらく考えた。それから、自分でもおどろくほど、はっきりと答えた。
「……ふくむ。黒谷の人も、ふくむ」
[承知しました。条件を、更新します。「水無瀬村と黒谷の、だれも犠牲にしない」。……再計算します。現時点で、この条件を満たす作戦は、わたしのデータの中には、ありません]
〈……でも、ないって決まったわけじゃ、ないよね〉
ノヴァ2が、そっと言った。
〈条件を書いたから、答えが変わった。まだ、だれも、さがしていない道が、あるのかもしれない〉
遥は、顔をあげた。
いろりのまわりの村人たちが、遥の顔を、じっと見ていた。
さっきまで、おとりの話をしていたノヴァ1の声は、もちろん、だれにも聞こえていない。けれど、遥には、わかっていた。ここにいる人たちは、さっき、遥が、その作戦を選ぶかもしれなかったことを、知らない。
遥は、ゆっくりと、立ちあがった。
「その攻略は、選ばない」
村人たちが、ぽかんとした顔をした。
「攻略……?」
遥は、あわてて、言いなおした。
「……戦わない。おとりも、出さない。明日の夜明けまでに、べつの道を、さがす」
しんと、静まりかえった。
やがて、おたね婆さんが、しわだらけの顔で、ふっと笑った。
「そうかい。……それでこそ、甚八の嫁だ」




