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パラレル・トラベラー ”72時間だけ、もう一人の異世界のわたし”  作者: Hamin
第5章 母親になった私

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20話 心の貯金箱〈残り60時間〉

 2日目の朝。村人たちの目は、きのうよりも、つめたかった。


 井戸ばたで、女たちが、ひそひそと話している。遥《はるか》が近づくと、ぴたりと、話をやめた。


「お遥《はる》さま、きのうから、なんだか、おかしいねえ」


「水のことも、決められなかったし」


「甚八《じんぱち》さまが、帰ってこないから、気が弱っちまったのかね」


 聞こえないふりをして、遥は、水をくんだ。桶《おけ》が、腕《うで》に、ずしりと重い。


[村人の信頼度《しんらいど》は、低下しています。早急に、強い指導力を示すことを推奨《すいしょう》します。具体的には、水争いに、すぐに裁きを下すことです。どちらかの言い分を、きっぱりと選んでください]


(どっちかを選んだら、どっちかが、おこるでしょ)


[そのとおりです。しかし、長は、決めるのが仕事です]


 ノヴァ1の言うことは、まちがっていなかった。


〈……ねえ、遥。お遥さんは、ふだん、どうやって、みんなの信頼を、ためてたんだと思う?〉


 ノヴァ2が、聞いた。


 ためる。


 遥は、桶を地面に置いた。


◇ ◇ ◇


 家にもどると、小太郎《こたろう》が、かまどの前で、火吹(ふ)き竹をかまえていた。


「かかさま、昼めし、おいらがたく」


 遥は、あわてて、となりにしゃがんだ。かまどなんて、使ったことがない。小太郎が、細い枝を、慣れた手つきで、くべていく。火吹き竹で、ふうっと息を吹きこむと、ぱちぱちと、火が大きくなった。


 煙《けむり》が、目にしみた。遥がせきこむと、小太郎が、けらけらと笑った。


「かかさま、きょうは、なんにも知らないみたいだ」


「……そうかも」


 しばらくすると、羽釜《はがま》のふたのすきまから、白い湯気が、ふつふつと立ちのぼりはじめた。米の炊《た》ける、あまい、こうばしいにおい。コンビニのおにぎりでは、一度もかいだことのない、においだった。


 小太郎は、ちょっとだけ、こげたところを、手でつまんで、遥の口に入れてくれた。


「おこげ。おいらの、いちばん好きなとこ」


 かりっとして、ほんのりあまくて、少しだけ、しょっぱかった。


◇ ◇ ◇


 それから、遥は、お遥の持ち物を、そっとさがした。


 いろりのそばの、古い木の箱。中に、何十枚もの、うすい木の札が入っていた。一枚一枚に、炭で、短い字が書かれている。


『吾作《ごさく》どの 田植えの手伝い 二日』


『おたね婆《ばあ》さま 薬草 三束』


『弥平《やへい》どのの末の子 はしか 夜通し看病』


『小太郎と 川で魚とり 約束』


 ひとつひとつは、小さなことばかりだった。けれど、何十枚も、何年ぶんも、ていねいに、残されていた。


 札の束のいちばん下に、一枚だけ、ほかとはちがう札があった。


『人の心は、貯金箱。小さな約束を守るたびに、一文ずつたまる。破れば、一度に、ごっそり減る』


 遥は、その札を、長いあいだ、見つめていた。


(心の、貯金箱)


 お遥は、村人ひとりひとりの心に、小さな約束を、一枚ずつ、ためてきたのだ。だから、村の長として、みんなに、信じてもらえていた。


 そして、きのう、遥は、「あした、考える」と言った。


 それも、ひとつの、約束だった。


◇ ◇ ◇


 遥は、上の田と、下の田のあいだの、水路を歩いた。


 夏の日ざしが、背中にじりじりと照りつけていた。草いきれ。せみの声。水路の水は、ちょろちょろと、細く、たよりなく流れている。泥《どろ》のにおいと、青い稲《いね》のにおい。


 水路の分かれ目に、木の板でつくった、小さな水門があった。上の田へ行く口と、下の田へ行く口。


「お遥さま……」


 吾作と弥平が、遠くから、こちらを見ていた。遥は、二人を、手まねきした。


「きのう、あした考えるって、言ったから。……考えた」


 二人は、顔を見あわせた。


「水の量は、どっちかを選ぶんじゃなくて、日によって分ける。上の田は、朝から昼まで。下の田は、昼から夕方まで。夜は、両方に、半分ずつ」


 弥平が、口をとがらせた。


「そんなの、うまくいくかね」


「わからない。だから、3日、ためしてみて。3日目の夕方に、もう一度、ここで、三人で、話そう。わたしも、毎日、見に来る」


 遥は、水門の板に、炭で、しるしをつけた。朝、昼、夜。


「約束」


 吾作と弥平は、しばらくだまっていた。それから、吾作が、ぼそりと言った。


「……お遥さまが、毎日、見に来るって言うなら」


◇ ◇ ◇


 その日、遥は、小さな約束を、いくつも守った。


 おたね婆さんの、腰《こし》の薬草を、山からつんでくる約束。井戸ばたの女たちに、夕方、お鈴《すず》を見てもらうかわりに、子どもたちに、竹とんぼをつくる約束。


 どれも、ちっぽけなことだった。けれど、守るたびに、村人の目が、ほんの少しずつ、やわらかくなっていくのが、わかった。


 夕方、遥は、約束どおり、もう一度、水路を見に行った。水門のしるしどおりに、水が、ちゃんと分かれていた。吾作が、遠くから、遥に、ぺこりと頭を下げた。


 家に帰ると、小太郎が、いろりのそばで、竹とんぼを、くるくる回していた。遥が、昼間に、つくってやったものだった。


「かかさま」


 小太郎が、遥を見あげた。


「今日のかかさま、やさしい」


 遥は、どきりとした。


「……きのうは、やさしくなかった?」


「きのうは、こわかった。おとといも、その前も、ずっと。ととさまが帰ってこなくなってから、かかさま、ずっと、こわい顔してた」


 小太郎は、竹とんぼを、ぎゅっとにぎった。


「でも、今日は、ちゃんと、おいらの顔、見てくれた」


 遥は、何も言えなかった。


 ただ、小太郎のぼさぼさの頭に、手を置いた。お遥の、がさがさの、大きな手。小太郎の髪《かみ》は、日なたのにおいがした。


 ちゃんと、顔を、見る。


 それだけのことが、ずっと、できなかったのは、遥も、同じだった。


〈……たまったね〉


 ノヴァ2が、小さく言った。


〈小太郎の、心の貯金箱〉


 いろりの火が、ぱちりと、はぜた。

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