20話 心の貯金箱〈残り60時間〉
2日目の朝。村人たちの目は、きのうよりも、つめたかった。
井戸ばたで、女たちが、ひそひそと話している。遥が近づくと、ぴたりと、話をやめた。
「お遥さま、きのうから、なんだか、おかしいねえ」
「水のことも、決められなかったし」
「甚八さまが、帰ってこないから、気が弱っちまったのかね」
聞こえないふりをして、遥は、水をくんだ。桶が、腕に、ずしりと重い。
[村人の信頼度は、低下しています。早急に、強い指導力を示すことを推奨します。具体的には、水争いに、すぐに裁きを下すことです。どちらかの言い分を、きっぱりと選んでください]
(どっちかを選んだら、どっちかが、おこるでしょ)
[そのとおりです。しかし、長は、決めるのが仕事です]
ノヴァ1の言うことは、まちがっていなかった。
〈……ねえ、遥。お遥さんは、ふだん、どうやって、みんなの信頼を、ためてたんだと思う?〉
ノヴァ2が、聞いた。
ためる。
遥は、桶を地面に置いた。
◇ ◇ ◇
家にもどると、小太郎が、かまどの前で、火吹き竹をかまえていた。
「かかさま、昼めし、おいらがたく」
遥は、あわてて、となりにしゃがんだ。かまどなんて、使ったことがない。小太郎が、細い枝を、慣れた手つきで、くべていく。火吹き竹で、ふうっと息を吹きこむと、ぱちぱちと、火が大きくなった。
煙が、目にしみた。遥がせきこむと、小太郎が、けらけらと笑った。
「かかさま、きょうは、なんにも知らないみたいだ」
「……そうかも」
しばらくすると、羽釜のふたのすきまから、白い湯気が、ふつふつと立ちのぼりはじめた。米の炊ける、あまい、こうばしいにおい。コンビニのおにぎりでは、一度もかいだことのない、においだった。
小太郎は、ちょっとだけ、こげたところを、手でつまんで、遥の口に入れてくれた。
「おこげ。おいらの、いちばん好きなとこ」
かりっとして、ほんのりあまくて、少しだけ、しょっぱかった。
◇ ◇ ◇
それから、遥は、お遥の持ち物を、そっとさがした。
いろりのそばの、古い木の箱。中に、何十枚もの、うすい木の札が入っていた。一枚一枚に、炭で、短い字が書かれている。
『吾作どの 田植えの手伝い 二日』
『おたね婆さま 薬草 三束』
『弥平どのの末の子 はしか 夜通し看病』
『小太郎と 川で魚とり 約束』
ひとつひとつは、小さなことばかりだった。けれど、何十枚も、何年ぶんも、ていねいに、残されていた。
札の束のいちばん下に、一枚だけ、ほかとはちがう札があった。
『人の心は、貯金箱。小さな約束を守るたびに、一文ずつたまる。破れば、一度に、ごっそり減る』
遥は、その札を、長いあいだ、見つめていた。
(心の、貯金箱)
お遥は、村人ひとりひとりの心に、小さな約束を、一枚ずつ、ためてきたのだ。だから、村の長として、みんなに、信じてもらえていた。
そして、きのう、遥は、「あした、考える」と言った。
それも、ひとつの、約束だった。
◇ ◇ ◇
遥は、上の田と、下の田のあいだの、水路を歩いた。
夏の日ざしが、背中にじりじりと照りつけていた。草いきれ。せみの声。水路の水は、ちょろちょろと、細く、たよりなく流れている。泥のにおいと、青い稲のにおい。
水路の分かれ目に、木の板でつくった、小さな水門があった。上の田へ行く口と、下の田へ行く口。
「お遥さま……」
吾作と弥平が、遠くから、こちらを見ていた。遥は、二人を、手まねきした。
「きのう、あした考えるって、言ったから。……考えた」
二人は、顔を見あわせた。
「水の量は、どっちかを選ぶんじゃなくて、日によって分ける。上の田は、朝から昼まで。下の田は、昼から夕方まで。夜は、両方に、半分ずつ」
弥平が、口をとがらせた。
「そんなの、うまくいくかね」
「わからない。だから、3日、ためしてみて。3日目の夕方に、もう一度、ここで、三人で、話そう。わたしも、毎日、見に来る」
遥は、水門の板に、炭で、しるしをつけた。朝、昼、夜。
「約束」
吾作と弥平は、しばらくだまっていた。それから、吾作が、ぼそりと言った。
「……お遥さまが、毎日、見に来るって言うなら」
◇ ◇ ◇
その日、遥は、小さな約束を、いくつも守った。
おたね婆さんの、腰の薬草を、山からつんでくる約束。井戸ばたの女たちに、夕方、お鈴を見てもらうかわりに、子どもたちに、竹とんぼをつくる約束。
どれも、ちっぽけなことだった。けれど、守るたびに、村人の目が、ほんの少しずつ、やわらかくなっていくのが、わかった。
夕方、遥は、約束どおり、もう一度、水路を見に行った。水門のしるしどおりに、水が、ちゃんと分かれていた。吾作が、遠くから、遥に、ぺこりと頭を下げた。
家に帰ると、小太郎が、いろりのそばで、竹とんぼを、くるくる回していた。遥が、昼間に、つくってやったものだった。
「かかさま」
小太郎が、遥を見あげた。
「今日のかかさま、やさしい」
遥は、どきりとした。
「……きのうは、やさしくなかった?」
「きのうは、こわかった。おとといも、その前も、ずっと。ととさまが帰ってこなくなってから、かかさま、ずっと、こわい顔してた」
小太郎は、竹とんぼを、ぎゅっとにぎった。
「でも、今日は、ちゃんと、おいらの顔、見てくれた」
遥は、何も言えなかった。
ただ、小太郎のぼさぼさの頭に、手を置いた。お遥の、がさがさの、大きな手。小太郎の髪は、日なたのにおいがした。
ちゃんと、顔を、見る。
それだけのことが、ずっと、できなかったのは、遥も、同じだった。
〈……たまったね〉
ノヴァ2が、小さく言った。
〈小太郎の、心の貯金箱〉
いろりの火が、ぱちりと、はぜた。




