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パラレル・トラベラー ”72時間だけ、もう一人の異世界のわたし”  作者: Hamin
第4章 竜の王との戦い

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18話 ふたつめと、みっつめの鍵穴〈帰還〉

 自分の部屋の天井を見たとたん、記憶《きおく》が、なだれのように流れこんできた。


 細い腕《うで》で、満員電車の手すりをつかんだときの、ぎしぎしというきしみ。押《お》しつぶされそうな女の子の、「ありがとうございます」。


 専門学校の門の前の、陽菜《ひな》の涙《なみだ》。「さみしかったの。……それだけ」。


 夕焼けの海ぞいの道。手をつないで歩いていく、二人の女の人の背中。ほおをつたった、熱いもの。


 そして、コンビニの店長の前に置いた、一枚の紙。


 遥《はるか》は、ベッドの上で、しばらく、動けなかった。


 怒《おこ》りが、こみあげてきた。どうして。どうして、勝手に。やっと、店長に、自分の言葉で話せたのに。


 けれど、その怒りのすぐ下から、べつのものが、わきあがってきた。


 夜風の中で、ハルが見あげた空。


(もどったら、言おう)


 ハルは、遥の隠《かく》れ場所を、こわしていった。そして、自分の隠れ場所からも、出ていこうとしていた。


 遥は、まくらに顔をうずめた。


「……ばか」


 それが、だれに向けた言葉なのか、自分でも、よくわからなかった。


◇ ◇ ◇


[帰還後《きかんご》の手続きを、ご案内します]


 スマートフォンから、ノヴァ1の声がした。


〈おかえり、遥〉


 ノヴァ2の声も、いっしょだった。


 ノヴァは、二人のまま、だった。


◇ ◇ ◇


 その夜、遥は、コンビニに行った。


 店長は、レジの奥《おく》にいた。遥の顔を見ると、少しだけ、気まずそうに目をそらした。


「店長。あの、この前の、退職届のことなんですけど」


 言いかけて、遥は、言葉に、つまった。


 あれは、わたしじゃない。別の世界の、わたしなんです。――そんなことを、言えるはずがなかった。


 店長は、しばらくだまっていた。それから、ゆっくりと口をひらいた。


「退職届は、受けとった。来週から入る人も、もう、決めた」


 胸が、ずしんと重くなった。


「……ただな、七瀬《ななせ》」


 店長は、レジのカウンターに、両手をついた。


「あの夜のおまえは、今まで見たなかで、いちばん、まっすぐな顔をしてた。ここで、だれとも目を合わせずに働いてるおまえより、ずっとな。……ここは、おまえが、ずっといる場所じゃないのかもしれん」


 遥は、何も言えなかった。


「何か決まったら、顔を見せに来い。……それだけだ」


 店を出ると、蒼汰《そうた》が、裏口の前で、段ボールをつぶしていた。


「七瀬さん」


 蒼汰は、少し笑った。


「この前の七瀬さん、また、別の世界の人みたいだったよ。……騎士《きし》みたいだった」


「……そうですか」


「うん。でも、たぶん、どの世界の七瀬さんも、七瀬さんなんだと思う。……がんばってね」


◇ ◇ ◇


 家に帰ると、スマートフォンに、陽菜からの長いメッセージがとどいていた。


『遥へ。

この前は、びっくりした。でも、遥が、あんなふうに、まっすぐ怒ってくれて、正直、ちょっと、うれしかった。

あの投稿《とうこう》、ごめん。遥に見てほしくて、わざと、あんな書き方した。最低だよね。

遥が来なくなって、わたし、講評会で、遥のとなりの壁《かべ》が、ずっとあいてるのを見てた。

あの夜の駅の絵、すごく、好きだった。先生は「あなたがいない」って言ったけど、わたしは、あの絵の中に、遥がいると思った。だれもいないホームに、ひとりで立ってる遥が。

返事は、いらない。でも、いつか、また、遥の絵が見たい。陽菜』


 遥は、画面を見つめたまま、長いあいだ、動けなかった。


 怒りと、はずかしさと、それから、ほんの少しの、ありがたさ。


 返事を書こうとして、何度も消した。どの言葉も、ちがう気がした。


 結局、遥は、短く、一行だけ送った。


『読んだ。ありがとう。少しだけ、時間をください』


◇ ◇ ◇


 翌朝、遥は、父の書斎《しょさい》で、手帳を開いた。


 ルーティン1のページの、次のページ。


『ルーティン2「着地点から飛べ」

ゴールの見えない山には、登れない。

自分のお別れの会で、だれに、何と言われたいか。それを、先に書け。

それが、お前の人生のコンパスになる』


 ガイウスの手帳と、同じことが書いてあった。


 さらに、次のページ。


 遥は、息をのんだ。


 そこには、大きな四角が描《か》かれていた。十字に区切られた、四つの部屋。


『ルーティン3「急がない宝物から」

大切なことは、たいてい、急いでいない。

急ぎの部屋は、放っておいても、むこうから来る。

急がない宝物の部屋だけは、自分で、ドアを開けに行くしかない』


 イリスが、剣《けん》の先で、土に描いた図と、まったく同じだった。


(……これだったんだ)


 ページのすみに、付箋《ふせん》が一枚。父の字だった。


『今週も、仕事が全部、一つ目の部屋に入ってきた。二つ目の部屋に、遥の運動会を入れたかった。来年こそ』


 遥は、その付箋を、指でなぞった。


 来年は、来なかった。


 父は、二つ目の部屋のドアを、最後まで、開けられなかったのだ。


◇ ◇ ◇


 その日、遥は、三つのことをした。


 ひとつ。スマートフォンの、ほとんどの通知を、切った。


 ふたつ。毎朝30分だけ、絵を描くと決めて、その日の朝、さっそく描いた。竜《りゅう》の背から見た、雲の海。夜明けの空を、竜と人が、ならんで飛んでいる絵。人の顔は、まだ、描けなかった。けれど、空の中に、小さく、竜騎士《りゅうきし》の影《かげ》を、ふたつ、描きいれた。


 みっつ。新しいノートの最初のページに、題名を書いた。


『人生のコンパス(下書き)』


 その下に、しばらく考えてから、一行だけ書いた。


『七瀬遥《ななせはるか》は、描くことから、もう逃《に》げなかった』


 書いてから、少し、はずかしくなった。消そうかと思った。けれど、消さなかった。ガイウスも、ハルも、たぶん、父も、きっと、こうやって、何度も迷いながら、書いたのだ。


◇ ◇ ◇


 その夜、夢を見た。


 白い扉《とびら》。七つの鍵穴《かぎあな》。いちばん上の、星をきざんだ真鍮《しんちゅう》のプレートの鍵穴が、若葉の色に光っている。


 その下の、うろこ模様の銀のプレートの鍵穴が、ゆっくりと、明るくなった。


 そして、その下の、羽根の模様の、あかがね色の銅のプレートの鍵穴も。


――ふたつめ。……みっつめ。


 扉の向こうの声が、少しだけ、近くなった気がした。


――あと、よっつ。


◇ ◇ ◇


 目がさめると、スマートフォンの画面に、星がならんでいた。


『旅行の評価をお願いします ☆☆☆☆☆』


 遥は、指を止めた。


「……ねえ。これ、どっちにつければいいの」


[評価は、旅行一回につき、一つです]


〈どっちでも、いいよ〉


 遥は、しばらく考えて、星を四つ、黒くした。


「四つ、★★★★。……二人で、四つ」


[……規定にない評価方法です]


〈やった。はんぶんこだね〉


 二人のノヴァの声が、同時に、ひびいた。


 それから、ノヴァ2の声だけが、少しだけ、ためらうように、続いた。


〈遥。次の旅行先では――〉


〈あなたは、お母さんです〉


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