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パラレル・トラベラー ”72時間だけ、もう一人の異世界のわたし”  作者: Hamin
第4章 竜の王との戦い

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17話 戦わない勝ち方〈残り6時間〉

 深夜1時。天空砦《てんくうとりで》の中庭は、しんと静まりかえっていた。


 かがり火が、ぱちぱちと音を立てている。荷車の前には、侯爵《こうしゃく》の家の見張りが二人、槍《やり》を持って立っていた。けれど、どちらも、こっくり、こっくりと、居眠《いねむ》りをしていた。


 遥《はるか》とイリスは、荷車のうしろの暗がりから、そっと布をめくった。


 ひんやりとした、鉄の檻《おり》。


 その中に、卵が、ひとつ、あった。


 ひとかかえもある、大きな卵だった。からは、深い赤と黒がまじりあった、ざくろの実のような色。表面に、うろこのような模様が浮《う》かび、その奥《おく》で、光が、ゆっくりと、ふくらんではしぼんでいた。


 どくん。……どくん。


 遥の手のひらに、檻の鉄ごしに、かすかな鼓動《こどう》が伝わってきた。


「……竜《りゅう》の王の、卵」


 イリスが、かすれた声で言った。


「北の峰《みね》の、王の巣から、盗《ぬす》んだのね。……ここ何年も、竜の卵は、かえらなかった。王の卵が、ひさしぶりに、生きてるって、うわさになってたの。それを、祭りで、見せびらかすつもりだったんだわ」


 竜の王は、さらわれた子を、さがして、さけんでいたのだ。


◇ ◇ ◇


[状況《じょうきょう》を分析《ぶんせき》します]


 ノヴァ1の声がした。


[選択肢《せんたくし》は三つです。第一、王宮に報告する。ただし、侯爵の影響力《えいきょうりょく》を考えると、対応は早くても3日後。第二、竜の王が王都に来た場合、竜騎士隊《りゅうきしたい》で迎《むか》えうつ。勝率は、12%。第三、何もせず、遥さまの帰還《きかん》を待つ。残り6時間です]


 遥は、だまって聞いていた。


[それから、ルール2を確認してください。相手の人生を壊《こわ》してはいけない。ヴァルデン侯爵家《こうしゃくけ》は、ハルさまの縁組《えんぐ》みの相手です。侯爵の罪をあばけば、ハルさまのお家の立場は、大きく変わります。……推奨《すいしょう》は、第三です]


 ノヴァ1の言葉は、正しかった。


 正しくて、どこか、冷たかった。


〈遥は、どこに、降りたい?〉


 ノヴァ2の声が、静かにひびいた。


 遥は、目をとじた。


 イリスの言葉を思いだす。竜は、降りる場所を見てから、飛ぶ。ガイウスの手帳。最後のスピーチ。ハルの日記。『ハル・ヴァルトは、仲間の命を、最後まであずかった』。


 ハルなら、どこに降りるだろう。


 勝つことではない。侯爵をいためることでもない。


 遥は、目をあけた。頭の中に、一枚の絵が浮かんでいた。


 夜明けの空を、竜と人が、ならんで飛んでいる絵。竜の王も、セレンも、ルベルも。だれも、だれとも戦っていない空。


「卵を、返しに行く」


 遥は言った。


「竜の王と戦うんじゃなくて。返しに行く。……それが、わたしの、着地点」


 イリスが、遥の顔を見た。それから、ゆっくりと、うなずいた。


「ルベルは、まだ飛べない。わたしは、セレンのうしろに乗る」


「でも、その前に」


 イリスが、荷車の前の見張りを、あごで指した。


「あの二人を、どうにかしないと」


 遥は、かがり火の向こうの、二人の見張りを見た。一人は、背の高い、やせた男。もう一人は、がっしりとした、肩《かた》のひろい男。どちらも、さっきより、目がさえてきているようだった。


[見張りを排除《はいじょ》する行為《こうい》は、この世界の法にふれる可能性が――]


〈遥。手のとどく輪の中に、何がある?〉


 遥は、自分の胸当てを見おろした。銀の胸当てに、竜騎士隊の副隊長のしるし。


 この世界で、遥が使えるもの。ハルの、肩書きだ。


「……イリス。わたしが、一人を連れだす。もう一人は、おねがい」


 イリスは、少しだけ目を見ひらいて、それから、だまってうなずいた。


◇ ◇ ◇


 遥は、わざと足音を立てて、かがり火の明かりの中に出ていった。


「見張りの者!」


 ハルの声は、低く、よく通った。自分の口から出たとは思えないほど、命令になれた声だった。


 二人の見張りが、あわてて槍をかまえなおした。


「竜騎士隊副隊長、ハル・ヴァルトだ。ヴァルデン侯爵どのが、祭りの本部の天幕で、至急お呼びだ。お披露目《ひろめ》の段取りに、変更《へんこう》があるそうだ。一人、すぐに向かえ」


 心臓が、どくどくと鳴っていた。うそをつくのは、なれていない。けれど、ハルのからだは、まばたきひとつせずに、まっすぐ見張りの目を見ていた。


 背の高いほうの見張りが、顔色を変えた。


「こ、こんな夜中に……?」


「侯爵どのは、お待たせするのが、おきらいだ」


 見張りは、それ以上何も聞かずに、槍をかかえて、祭りの本部のほうへ、走っていった。足音が、夜の石だたみに、遠ざかっていく。


 のこった、がっしりとした見張りが、走っていく仲間の背中を、首をのばして見おくった。


「副隊長どの、本部からの使いなら、ふつうは伝令が――」


 その言葉は、最後まで続かなかった。


 見張りの背後の暗がりから、すっと、黒い影が出てきた。イリスだった。イリスは、剣《けん》を鞘《さや》におさめたまま、その柄頭《つかがしら》で、見張りの首のうしろを、正確に、ひと打ちした。


 ごつ、と、にぶい音。


 見張りのからだが、ぐらりとかたむいた。イリスは、倒《たお》れる前に、その肩をささえ、そっと、荷車の車輪にもたれかけさせた。


 遥は、思わず、息をのんだ。


「……だいじょうぶ、なの」


「朝まで、ぐっすり眠るだけよ。新人のころ、ハルに教わったの。けがをさせずに、眠らせる打ち方」


 イリスは、見張りの腰《こし》から、鉄の鍵《かぎ》束をはずして、遥にほうった。


「急いで。もう一人が、だまされたと気づくまでに」


◇ ◇ ◇


 鍵は、三本目で、合った。


 ガチャリ、と、さびた音がして、檻の扉《とびら》が、きしみながら開いた。


 遥は、檻の中に、両腕(うで)をさしいれた。


 卵のからは、思っていたよりも、ずっとなめらかだった。陶器《とうき》のように、ひんやりとしているのに、その奥から、とくん、とくんと、あたたかい鼓動が、手のひらに伝わってくる。


 持ちあげると、ずしりと重かった。小さな子どもを、だきあげたときのような重さだった。


 卵の中の光が、遥の腕の中で、一度だけ、ふわりと明るくなった。


(……だいじょうぶ。おうちに、帰ろうね)


◇ ◇ ◇


 卵を布の袋《ふくろ》に入れ、セレンの背にくくりつけた。袋ごしにも、卵のぬくもりが、セレンの背中に伝わっていくのがわかった。


 イリスが、遥のうしろに乗り、両手で、遥の腰につかまった。


 どくん、と、心臓が鳴った。


 遥は、その鼓動を、そっと胸の奥でだきしめた。


(ハル。ちょっとだけ、借りるね)


 セレンが、崖《がけ》をけった。


 夜の空は、つめたかった。星が、手がとどきそうなほど近い。眼下に、祭りの飾《かざ》りをつけた王都の灯りが、宝石箱をひっくり返したように光っている。そして、北の峰のほうから、あの声が、何度も、何度も、とどいた。


[竜の王の巣まで、あと20分。……遥さま、竜の王の体長は、推定30メートル。セレンの、約3倍です]


「わかってる」


〈着地点、見えてる?〉


「……見えてる」


 北の峰の頂上近く、岩棚(たな)の上。月の光に、黒い影が、浮かびあがっていた。


 竜の王だった。


 黒と、深いざくろ色のうろこ。山のように大きなからだ。広げた翼《つばさ》は、夜空の半分をおおいかくすほどだった。金色の目が、ふたつ、ぎらりと、こちらを向いた。


 オオオオオォォォ――。


 王の声が、からだの骨まで、びりびりとふるわせた。セレンの翼が、ぐらりとゆれる。


[危険です! 引き返してください!]


 ノヴァ1がさけんだ。


 遥は、手綱《たづな》をそえたまま、竜の王の目ではなく、岩棚の、平らな一か所を見つめた。


 降りる場所を、見る。


 そこから、目をはなさない。


 息を、はく。


 セレンが、遥の呼吸を感じとって、翼を大きくひろげた。風をつかみ、ゆっくりと、王の前の岩棚に、すべりこむように、舞《ま》いおりた。


◇ ◇ ◇


 遥は、セレンの背から、おりた。


 剣は、ぬかなかった。


 両手で、布の袋から、卵を取りだす。ざくろ色の卵が、月の光の中で、とくん、とくんと、光っていた。


 竜の王の巨大《きょだい》な頭が、ゆっくりと、遥の目の前まで、おりてきた。熱い息が、髪《かみ》をゆらした。鉄と、焦《こ》げた木と、古い岩のにおい。金色の目に、小さな遥のすがたが、うつっていた。


 足が、ふるえた。


(一秒)


 逃《に》げたい。それは、本当だ。けれど、その手前に、すきまがある。


「……返しに来ました」


 遥は、卵を、王の前の岩の上に、そっと置いた。


「ごめんなさい。この子を、人間が、連れていってしまって」


 竜の王は、長いあいだ、遥を見つめていた。


 それから、大きな鼻先を、卵に近づけた。ふうっと、あたたかい息を、吹《ふ》きかける。


 卵の光が、ひときわ強くなった。


 ぴしり。


 かすかな音がした。卵のからに、髪の毛ほどの、細いひびが入っていた。ひびの奥で、何かが、もぞりと動いた。


 竜の王が、空を見あげて、のどを鳴らした。


 オオオォォォ……。


 さっきまでとは、まるでちがう声だった。低く、やわらかく、どこまでもひろがっていく、子守歌のような声。


 はるか南の、天空砦のほうから、竜たちの声が、こたえた。一頭、また一頭。やがて、夜空じゅうが、竜たちの、おだやかな歌声でみたされた。


[……竜の王の声の周波数、安定しました。王都周辺の竜の興奮状態、急速に低下しています]


 ノヴァ1の声が、ほんの少しだけ、ふるえていた。


〈……かえるね、あの子〉


 ノヴァ2が、ささやいた。


 遥は、卵の、細いひびを見つめていた。


 何年も、かえらなかった卵。消えかけていた、ひとつの枝。


(もしかしたら、わたしは、こわしに来たんじゃないのかもしれない)


 魔法王国《まほうおうこく》の大時計。消えていく糸。そして、今、ひびの入った卵。


(消えかけてるものの、すぐそばに、呼ばれてるのかもしれない)


◇ ◇ ◇


 夜明けの空を、セレンは、ゆっくりと天空砦へもどった。


 東の空が、うすいばら色にそまっていた。その空を、何頭もの竜が、セレンのまわりに集まってきて、いっしょに飛んだ。竜騎士たちを乗せた竜も、乗せていない竜も。


 夜明けの空を、竜と人が、ならんで飛んでいた。


 遥が、思いえがいたとおりの空だった。


[帰還まで、残り1時間です]


 ノヴァ1が告げた。


 遥は、腰に回された、イリスの腕を見おろした。包帯を巻いた腕。


「イリス」


「なに」


「……ハルが帰ってきたら、ハルの話を、聞いてあげて」


 イリスの腕が、少しだけ、こわばった。


「ハルが、帰ってきたら? 変な言い方」


「うん。変だよね。……でも、ハルは、イリスに、話したいことがあると思う。ずっと、前から」


 イリスは、しばらく、何も言わなかった。


 風の音だけが、二人のあいだを、流れていった。


「……ハルが話してくれるなら、いつでも聞くわよ」


 イリスの声は、とても小さかった。


「わたしは、ずっと、ハルのうしろを飛んできたんだから」


 遥の胸の奥で、ハルの心臓が、どくん、と、大きく鳴った。


 遥は、それ以上、何も言わなかった。


 その先は、ハルが、自分の言葉で、話すことだから。


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