17話 戦わない勝ち方〈残り6時間〉
深夜1時。天空砦の中庭は、しんと静まりかえっていた。
かがり火が、ぱちぱちと音を立てている。荷車の前には、侯爵の家の見張りが二人、槍を持って立っていた。けれど、どちらも、こっくり、こっくりと、居眠りをしていた。
遥とイリスは、荷車のうしろの暗がりから、そっと布をめくった。
ひんやりとした、鉄の檻。
その中に、卵が、ひとつ、あった。
ひとかかえもある、大きな卵だった。からは、深い赤と黒がまじりあった、ざくろの実のような色。表面に、うろこのような模様が浮かび、その奥で、光が、ゆっくりと、ふくらんではしぼんでいた。
どくん。……どくん。
遥の手のひらに、檻の鉄ごしに、かすかな鼓動が伝わってきた。
「……竜の王の、卵」
イリスが、かすれた声で言った。
「北の峰の、王の巣から、盗んだのね。……ここ何年も、竜の卵は、かえらなかった。王の卵が、ひさしぶりに、生きてるって、うわさになってたの。それを、祭りで、見せびらかすつもりだったんだわ」
竜の王は、さらわれた子を、さがして、さけんでいたのだ。
◇ ◇ ◇
[状況を分析します]
ノヴァ1の声がした。
[選択肢は三つです。第一、王宮に報告する。ただし、侯爵の影響力を考えると、対応は早くても3日後。第二、竜の王が王都に来た場合、竜騎士隊で迎えうつ。勝率は、12%。第三、何もせず、遥さまの帰還を待つ。残り6時間です]
遥は、だまって聞いていた。
[それから、ルール2を確認してください。相手の人生を壊してはいけない。ヴァルデン侯爵家は、ハルさまの縁組みの相手です。侯爵の罪をあばけば、ハルさまのお家の立場は、大きく変わります。……推奨は、第三です]
ノヴァ1の言葉は、正しかった。
正しくて、どこか、冷たかった。
〈遥は、どこに、降りたい?〉
ノヴァ2の声が、静かにひびいた。
遥は、目をとじた。
イリスの言葉を思いだす。竜は、降りる場所を見てから、飛ぶ。ガイウスの手帳。最後のスピーチ。ハルの日記。『ハル・ヴァルトは、仲間の命を、最後まであずかった』。
ハルなら、どこに降りるだろう。
勝つことではない。侯爵をいためることでもない。
遥は、目をあけた。頭の中に、一枚の絵が浮かんでいた。
夜明けの空を、竜と人が、ならんで飛んでいる絵。竜の王も、セレンも、ルベルも。だれも、だれとも戦っていない空。
「卵を、返しに行く」
遥は言った。
「竜の王と戦うんじゃなくて。返しに行く。……それが、わたしの、着地点」
イリスが、遥の顔を見た。それから、ゆっくりと、うなずいた。
「ルベルは、まだ飛べない。わたしは、セレンのうしろに乗る」
「でも、その前に」
イリスが、荷車の前の見張りを、あごで指した。
「あの二人を、どうにかしないと」
遥は、かがり火の向こうの、二人の見張りを見た。一人は、背の高い、やせた男。もう一人は、がっしりとした、肩のひろい男。どちらも、さっきより、目がさえてきているようだった。
[見張りを排除する行為は、この世界の法にふれる可能性が――]
〈遥。手のとどく輪の中に、何がある?〉
遥は、自分の胸当てを見おろした。銀の胸当てに、竜騎士隊の副隊長のしるし。
この世界で、遥が使えるもの。ハルの、肩書きだ。
「……イリス。わたしが、一人を連れだす。もう一人は、おねがい」
イリスは、少しだけ目を見ひらいて、それから、だまってうなずいた。
◇ ◇ ◇
遥は、わざと足音を立てて、かがり火の明かりの中に出ていった。
「見張りの者!」
ハルの声は、低く、よく通った。自分の口から出たとは思えないほど、命令になれた声だった。
二人の見張りが、あわてて槍をかまえなおした。
「竜騎士隊副隊長、ハル・ヴァルトだ。ヴァルデン侯爵どのが、祭りの本部の天幕で、至急お呼びだ。お披露目の段取りに、変更があるそうだ。一人、すぐに向かえ」
心臓が、どくどくと鳴っていた。うそをつくのは、なれていない。けれど、ハルのからだは、まばたきひとつせずに、まっすぐ見張りの目を見ていた。
背の高いほうの見張りが、顔色を変えた。
「こ、こんな夜中に……?」
「侯爵どのは、お待たせするのが、おきらいだ」
見張りは、それ以上何も聞かずに、槍をかかえて、祭りの本部のほうへ、走っていった。足音が、夜の石だたみに、遠ざかっていく。
のこった、がっしりとした見張りが、走っていく仲間の背中を、首をのばして見おくった。
「副隊長どの、本部からの使いなら、ふつうは伝令が――」
その言葉は、最後まで続かなかった。
見張りの背後の暗がりから、すっと、黒い影が出てきた。イリスだった。イリスは、剣を鞘におさめたまま、その柄頭で、見張りの首のうしろを、正確に、ひと打ちした。
ごつ、と、にぶい音。
見張りのからだが、ぐらりとかたむいた。イリスは、倒れる前に、その肩をささえ、そっと、荷車の車輪にもたれかけさせた。
遥は、思わず、息をのんだ。
「……だいじょうぶ、なの」
「朝まで、ぐっすり眠るだけよ。新人のころ、ハルに教わったの。けがをさせずに、眠らせる打ち方」
イリスは、見張りの腰から、鉄の鍵束をはずして、遥にほうった。
「急いで。もう一人が、だまされたと気づくまでに」
◇ ◇ ◇
鍵は、三本目で、合った。
ガチャリ、と、さびた音がして、檻の扉が、きしみながら開いた。
遥は、檻の中に、両腕をさしいれた。
卵のからは、思っていたよりも、ずっとなめらかだった。陶器のように、ひんやりとしているのに、その奥から、とくん、とくんと、あたたかい鼓動が、手のひらに伝わってくる。
持ちあげると、ずしりと重かった。小さな子どもを、だきあげたときのような重さだった。
卵の中の光が、遥の腕の中で、一度だけ、ふわりと明るくなった。
(……だいじょうぶ。おうちに、帰ろうね)
◇ ◇ ◇
卵を布の袋に入れ、セレンの背にくくりつけた。袋ごしにも、卵のぬくもりが、セレンの背中に伝わっていくのがわかった。
イリスが、遥のうしろに乗り、両手で、遥の腰につかまった。
どくん、と、心臓が鳴った。
遥は、その鼓動を、そっと胸の奥でだきしめた。
(ハル。ちょっとだけ、借りるね)
セレンが、崖をけった。
夜の空は、つめたかった。星が、手がとどきそうなほど近い。眼下に、祭りの飾りをつけた王都の灯りが、宝石箱をひっくり返したように光っている。そして、北の峰のほうから、あの声が、何度も、何度も、とどいた。
[竜の王の巣まで、あと20分。……遥さま、竜の王の体長は、推定30メートル。セレンの、約3倍です]
「わかってる」
〈着地点、見えてる?〉
「……見えてる」
北の峰の頂上近く、岩棚の上。月の光に、黒い影が、浮かびあがっていた。
竜の王だった。
黒と、深いざくろ色のうろこ。山のように大きなからだ。広げた翼は、夜空の半分をおおいかくすほどだった。金色の目が、ふたつ、ぎらりと、こちらを向いた。
オオオオオォォォ――。
王の声が、からだの骨まで、びりびりとふるわせた。セレンの翼が、ぐらりとゆれる。
[危険です! 引き返してください!]
ノヴァ1がさけんだ。
遥は、手綱をそえたまま、竜の王の目ではなく、岩棚の、平らな一か所を見つめた。
降りる場所を、見る。
そこから、目をはなさない。
息を、はく。
セレンが、遥の呼吸を感じとって、翼を大きくひろげた。風をつかみ、ゆっくりと、王の前の岩棚に、すべりこむように、舞いおりた。
◇ ◇ ◇
遥は、セレンの背から、おりた。
剣は、ぬかなかった。
両手で、布の袋から、卵を取りだす。ざくろ色の卵が、月の光の中で、とくん、とくんと、光っていた。
竜の王の巨大な頭が、ゆっくりと、遥の目の前まで、おりてきた。熱い息が、髪をゆらした。鉄と、焦げた木と、古い岩のにおい。金色の目に、小さな遥のすがたが、うつっていた。
足が、ふるえた。
(一秒)
逃げたい。それは、本当だ。けれど、その手前に、すきまがある。
「……返しに来ました」
遥は、卵を、王の前の岩の上に、そっと置いた。
「ごめんなさい。この子を、人間が、連れていってしまって」
竜の王は、長いあいだ、遥を見つめていた。
それから、大きな鼻先を、卵に近づけた。ふうっと、あたたかい息を、吹きかける。
卵の光が、ひときわ強くなった。
ぴしり。
かすかな音がした。卵のからに、髪の毛ほどの、細いひびが入っていた。ひびの奥で、何かが、もぞりと動いた。
竜の王が、空を見あげて、のどを鳴らした。
オオオォォォ……。
さっきまでとは、まるでちがう声だった。低く、やわらかく、どこまでもひろがっていく、子守歌のような声。
はるか南の、天空砦のほうから、竜たちの声が、こたえた。一頭、また一頭。やがて、夜空じゅうが、竜たちの、おだやかな歌声でみたされた。
[……竜の王の声の周波数、安定しました。王都周辺の竜の興奮状態、急速に低下しています]
ノヴァ1の声が、ほんの少しだけ、ふるえていた。
〈……かえるね、あの子〉
ノヴァ2が、ささやいた。
遥は、卵の、細いひびを見つめていた。
何年も、かえらなかった卵。消えかけていた、ひとつの枝。
(もしかしたら、わたしは、こわしに来たんじゃないのかもしれない)
魔法王国の大時計。消えていく糸。そして、今、ひびの入った卵。
(消えかけてるものの、すぐそばに、呼ばれてるのかもしれない)
◇ ◇ ◇
夜明けの空を、セレンは、ゆっくりと天空砦へもどった。
東の空が、うすいばら色にそまっていた。その空を、何頭もの竜が、セレンのまわりに集まってきて、いっしょに飛んだ。竜騎士たちを乗せた竜も、乗せていない竜も。
夜明けの空を、竜と人が、ならんで飛んでいた。
遥が、思いえがいたとおりの空だった。
[帰還まで、残り1時間です]
ノヴァ1が告げた。
遥は、腰に回された、イリスの腕を見おろした。包帯を巻いた腕。
「イリス」
「なに」
「……ハルが帰ってきたら、ハルの話を、聞いてあげて」
イリスの腕が、少しだけ、こわばった。
「ハルが、帰ってきたら? 変な言い方」
「うん。変だよね。……でも、ハルは、イリスに、話したいことがあると思う。ずっと、前から」
イリスは、しばらく、何も言わなかった。
風の音だけが、二人のあいだを、流れていった。
「……ハルが話してくれるなら、いつでも聞くわよ」
イリスの声は、とても小さかった。
「わたしは、ずっと、ハルのうしろを飛んできたんだから」
遥の胸の奥で、ハルの心臓が、どくん、と、大きく鳴った。
遥は、それ以上、何も言わなかった。
その先は、ハルが、自分の言葉で、話すことだから。




