16話 暴走する竜たち〈残り20時間〉
翌朝の、ならし飛行。
王都の上空に、竜騎士隊の竜たちが、二列にならんで舞いあがった。祭りのための、最後の練習だった。
下の王都では、すでに祭りの準備が始まっていた。屋根から屋根へ、赤や青や金色の布がわたされ、広場には屋台がならんでいる。焼き菓子のあまいにおいと、太鼓の音が、上空まで、かすかにのぼってくる。
遥は、セレンの背で、手綱をそえていた。
[隊列、良好。予定どおりです]
ノヴァ1が言った。
けれど、セレンの背中は、かたかった。いつものぬくもりの下で、筋肉が、ぴんとはりつめている。
〈……セレン、何か、聞いてる〉
ノヴァ2の声が、ささやいた。
次の瞬間、北の空から、それが、とどいた。
オオオオオオォォォ――。
空そのものが、ふるえるような声だった。
竜の王の、さけびだった。
◇ ◇ ◇
隊列が、くずれた。
前を飛んでいた竜が、急に、首をふりあげた。となりの竜が、それにおどろいて、大きく翼をばたつかせる。一頭、また一頭と、竜たちが、騎士の手綱を無視して、ばらばらの方向へ飛びはじめた。
「隊列をもどせ!」
遥はさけんだ。けれど、声は、風にちぎれた。
セレンも、暴れはじめた。からだを大きくねじり、北へ、北へと、向かおうとする。遥は、太ももに力をこめて、必死にしがみついた。
[全騎に、高度を上げるよう指示を。いえ、下げるよう――計算中です。変数が多すぎます]
ノヴァ1の声が、めずらしく、乱れていた。
王都の上空は、混乱していた。竜どうしがぶつかりそうになり、屋根の飾りの布が、竜の爪にひっかかって、引きちぎられる。下の広場から、悲鳴があがった。
そのとき、遥の目のはしで、小さな影が、竜の背から、ずり落ちた。
トマスだった。急な旋回が苦手だと言っていた、あの新人の騎士だ。
トマスのからだが、空中に投げだされる。手が、むなしく宙をつかむ。落ちていく。屋根へ、石だたみへ。
「トマス!」
赤い影が、急降下した。
イリスとルベルだった。ルベルは、翼をたたんで、矢のように落ちていき、屋根の直前で、トマスのからだを、前足でひっかけるように受けとめた。けれど、勢いは止まらなかった。トマスとルベルは、いっしょに、ある家の屋根に、はげしくぶつかった。
瓦が、はじけとんだ。
◇ ◇ ◇
トマスは、生きていた。
けれど、右足の骨が折れていた。医務室に運ばれるあいだ、トマスは、歯を食いしばって、うめき声をこらえていた。ルベルも、片方の翼に、深い傷を負っていた。
竜たちは、ようやく、なんとか竜舎にもどった。けれど、どの竜も、落ちつきなく、北の空を見つめていた。
遥は、草の原に、ひざをついた。
(……わたしのせいだ)
訓練を、後まわしにした。イリスに言われたのに。ノヴァ2に聞かれたのに。目の前の書類の山だけを見て、竜たちの震えを、見ないふりをした。
ドラグネアの空を、こわしかけているのは、また、わたしなのかもしれない。
「ハル」
イリスが、となりに立っていた。腕に、包帯を巻いている。ルベルが屋根にぶつかったときに、イリスも、けがをしたのだ。
イリスは、何も言わずに、腰の剣をぬいた。そして、その先で、草の原の土の上に、大きな四角を描いた。四角を、十字に区切る。四つの部屋。
「ハルが、新人のころ、わたしに教えてくれた図よ。覚えてる?」
イリスは、剣の先で、上の左の部屋を指した。
「ここは、『急ぎで、大切なこと』。けが人の手当て。竜の暴走。今みたいなとき」
上の右。
「ここは、『急がないけど、大切なこと』。竜の訓練。竜と話す時間。ちゃんと休むこと。……ここは、だれも、せかしてこない。だから、いちばん、忘れられる」
下の左。
「ここは、『急ぎだけど、大切じゃないこと』。鈴の数とか、飾りの布とか、侯爵の、急な注文とか」
下の右。
「ここは、どっちでもないこと」
イリスは、剣を地面につきたてて、遥を見た。
「ハルは、いつも、この右上の部屋を守ってた。どんなに書類が多くても、訓練だけは、休まなかった。……ここ二日のハルは、左下の部屋に、住んでたわ」
遥は、土の上の、四つの部屋を見つめた。
右上の部屋。急がないけど、大切なこと。
遥の毎日には、その部屋が、なかった。絵を描くこと。母と話すこと。陽菜に返事をすること。父の手帳を開くこと。どれも、急がないから、いつも、後まわしにしてきた。
そして、後まわしにしたものは、いつか、急ぎの部屋に、なだれこんでくる。今日の、竜たちみたいに。
「……ごめん、イリス」
イリスは、少しだけ、目を見ひらいた。それから、肩をすくめた。
「あやまるなら、竜たちに。……それで、どうするの、副隊長」
◇ ◇ ◇
遥は、目をとじた。
「ノヴァ。……全部、どうにかして」
[承知しました。現在の課題を列挙します。一、竜の暴走の原因の特定。二、負傷者の治療の手配。三、祭りの中止または延期の判断。四、ヴァルデン侯爵への連絡。五、王宮への報告。六、飛行隊列の再編成。七――]
ノヴァ1の声は、止まらなかった。20、30。47番目の「鈴の注文の取り消し」まで来たところで、遥は、両手で耳をふさいだ。
「ストップ!」
[……以上、47項目です]
〈遥。47個、ぜんぶ、今いる?〉
ノヴァ2が聞いた。
遥は、土の上の図を見た。四つの部屋。いちばん大きくて、大切な問題は、どこにあるのか。
ひとつずつ、だ。大きすぎる問題は、一度にかかえると、つぶされる。
「ノヴァ1。……まず、竜を落ちつかせる方法だけ。それだけ、教えて」
ノヴァ1は、一瞬だまった。
[……承知しました。一つだけ、お答えします。竜は、群れの長の声にしたがいます。竜の王の声が乱れているかぎり、竜たちは落ちつきません。竜を落ちつかせるには、竜の王が、なぜさけんでいるのかを、知る必要があります]
さっきの47項目とは、ちがった。ひとつの答えが、まっすぐに、次の道を照らしていた。
〈じゃあ、もうひとつ。……セレンは、何を、さがしてる?〉
遥は、ふり返った。
竜舎の入り口で、セレンが、首をのばしていた。北の空ではなかった。セレンが見つめていたのは、天空砦の中庭。
大きな布をかぶせた、ヴァルデン侯爵の荷車だった。
布の下で、何かが、心臓のように、ゆっくりと、光っていた。




