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パラレル・トラベラー ”72時間だけ、もう一人の異世界のわたし”  作者: Hamin
第4章 竜の王との戦い

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15話 祭りの準備〈残り24時間〉

 ほとんど、眠《ねむ》れなかった。


 雇用契約《こようけいやく》を、解除しました。ノヴァ1のその一言が、ひと晩じゅう、頭の中で回っていた。


「なんで、勝手にやめるの……!」


 朝の竜舎《りゅうしゃ》で、遥《はるか》は、わらをけとばした。わらくずが舞《ま》いあがり、子竜《こりゅう》がおどろいて、ピイッと鳴いた。


[交換相手《こうかんあいて》の行動について、旅行者が介入《かいにゅう》する方法はありません。現在、遥さまが対応すべき課題は、こちらの世界にあります]


 ノヴァ1の声は、いつもどおり、冷たく正確だった。


〈……くやしいね〉


 ノヴァ2が、ぽつりと言った。


〈せっかく、店長さんに、自分の言葉で話したばっかりだったのに〉


 遥は、何も言いかえせなかった。のどの奥《おく》が、つんと熱くなった。


 あの夜、壁《かべ》のシフト表に、店長が青いペンで引いてくれた、一本の線。「今日から、数えなおしだ」。あれは、遥が、自分の足で、はじめて手に入れたものだったのに。


◇ ◇ ◇


 けれど、くやしがっているひまは、なかった。


 竜祭《りゅうまつ》りは、明日だった。


 ドラグネアでいちばん大きな祭り。王都の空いっぱいに、竜騎士隊《りゅうきしたい》の竜が舞い、人々《ひとびと》は、屋根の上から、色とりどりの布をふる。その飛行の指揮を、隊長の代わりに、ハルがとることになっていた。


 天空砦《てんくうとりで》の作戦室の机には、書類が、山のようにつまれていた。


 王宮からの式次第。飛行隊列の届け出。観覧席の警備の配置。飾《かざ》りの布の数。竜の鞍《くら》につける金の鈴《すず》の注文書。そして、祭りの後援者《こうえんしゃ》、ヴァルデン侯爵《こうしゃく》からの、手紙の束。


[本日の課題を、優先度の順に並べます]


 ノヴァ1が言った。


[第一に、ヴァルデン侯爵の要望への回答。侯爵は、竜騎士隊の予算の3割を出しています。侯爵の満足度は、隊の来年の運営に、直接影響(えいきょう)します。第二に、飛行隊列の最終確認。第三に、王宮への届け出――]


 ノヴァ1の言うことは、すべて正しかった。どれも、今日じゅうに、片づけなければならないことばかりだった。


 作戦室の扉《とびら》が開いて、イリスが入ってきた。


「ハル。午後の訓練、どうする?」


「訓練?」


「竜たちの、ならし飛行。祭りの前は、毎日やるでしょ。……ここ二日、やってないのよ」


 イリスの声は、かたかった。


「竜たちの様子が、おかしいの。羽が、いつもより、ずっと震《ふる》えてる。夜も、北の空を見て、落ちつかない。ちゃんと飛ばして、ちゃんと休ませてやらないと」


 遥は、書類の山を見た。それから、イリスを見た。


[訓練は、祭りの成否に直接は関係しません。後まわしを推奨《すいしょう》します]


 ノヴァ1が言った。


〈……セレンの羽、見た?〉


 ノヴァ2が、小さく聞いた。


 遥は、ノヴァ2の声を、聞かなかったふりをした。


「訓練は、あしたの朝にする。今日は、侯爵の要望を、先に片づけないと」


 イリスは、しばらくだまって遥を見ていた。それから、短く「わかった」とだけ言って、作戦室を出ていった。


 扉の閉まる音が、少しだけ、強かった。


◇ ◇ ◇


 作戦室を出ると、廊下《ろうか》で、まだあどけない顔の少年が、待っていた。


「副隊長!」


 新人の騎士、トマスだった。16歳《さい》。この春、竜騎士隊に入ったばかりで、背は遥の肩《かた》くらいまでしかない。銀の胸当てが、まだ、からだに合っていなかった。


「午後の訓練、ないんですか。ぼく、まだ、急な旋回《せんかい》がうまくできなくて。祭りの本番で、失敗したら、どうしようって……」


 トマスは、両手を、ぎゅっとにぎりしめていた。


 遥は、その手を見た。19歳の遥が、専門学校の入学式の日に、同じように手をにぎりしめていたことを、思いだした。


「……あしたの朝、やるから。それまで、ちゃんと寝《ね》て」


「はい!」


 トマスは、ぱっと顔をかがやかせて、走っていった。


 その背中を見おくりながら、遥は、胸の奥に、小さな、とげのような不安を感じた。けれど、それも、書類の山のことを考えるうちに、すぐに見えなくなった。


◇ ◇ ◇


 昼すぎ、ヴァルデン侯爵が、天空砦にやってきた。


 でっぷりと太った、赤ら顔の男だった。指という指に、宝石の指輪が光っている。香水の、むせかえるようなあまいにおいが、作戦室いっぱいにひろがった。


「やあ、ヴァルト家のお嬢《じょう》さん。いや、副隊長どのか。祭りのあとは、わが家の息子とも、顔合わせだそうだね。楽しみにしているよ」


 侯爵は、にこにこと笑った。


 遥の胸の奥で、ハルのからだが、ぎゅっとかたくなった。息が、浅くなる。手のひらが、つめたくなる。


 この人の家に、ハルは、嫁《とつ》ぐことになるかもしれないのだ。


「ところで、祭りの最後に、わたしからの『おくりもの』を、王都の皆《みな》さまにお披露目《ひろめ》したい。竜騎士隊には、その台の、警護をたのみたいのだがね」


 侯爵が、天空砦の中庭を指さした。


 そこには、大きな布をかぶせた、荷車が一台、止まっていた。布の下で、何かが、ぼんやりと光っているように見えた。


 中庭のすみで、セレンが、うなり声をあげた。


 低く、長く。今まで、聞いたことのない声だった。


◇ ◇ ◇


 夜おそくまで、遥は、書類と格闘《かくとう》した。


 侯爵の要望。隊列の変更《へんこう》。鈴の数の数えなおし。ひとつ片づけると、また、ひとつふえる。


 作戦室の窓の外で、竜たちが、落ちつきなく、羽を鳴らしていた。ばさり、ばさり。北の峰《みね》のほうから、ときどき、あの、低いうなり声が、風にのってとどく。そのたびに、竜舎じゅうの竜が、いっせいに頭をあげた。


 遥は、ペンを止めて、ふと思った。


 自分の毎日も、こうだった。


 夜勤のシフト。寝る時間。SNSの通知。返さなきゃいけないメッセージ。今すぐやらなきゃいけないことだけで、一日がうまっていた。そして、本当にやりたかったこと――絵を描《か》くこと――は、いつも、「あとで」の箱に入れたまま、ふたを閉めていた。


 あとで、あとで。


 その「あとで」は、いつまでたっても、来なかった。


〈遥〉


 ノヴァ2が、そっと呼んだ。


〈今、セレンの羽、見に行ける?〉


 遥は、窓の外を見た。月の光の中で、セレンの銀色の翼《つばさ》が、こまかく、こまかく、震えていた。


 まるで、何かに、おびえているように。


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