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パラレル・トラベラー ”72時間だけ、もう一人の異世界のわたし”  作者: Hamin
第3章 空を飛ぶもう一人の私

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14話 〈向こうの私〉竜騎士、満員電車に乗る

 ハル・ヴァルトが最初に気づいたのは、からだの、たよりなさだった。


 腕《うで》が、細い。肩《かた》が、うすい。にぎりこぶしをつくっても、指の力が、まるで入らない。剣《けん》を持ったことのない手だ、と、すぐにわかった。


 ハルは、ベッドの上で、うつ伏《ふ》せになって、親指の腹で、右の耳たぶの下を、ぐっと押《お》しこんだ。考えごとをするときの、くせだった。


(ここが、もう一人のわたしの世界)


 机の上の、黒い平たい板が、光っていた。


『ようこそ、ハル・ヴァルトさま。こちらは、交換相手《こうかんあいて》さま向けのご案内です』


 ハルは、案内を、すみからすみまで読んだ。竜騎士《りゅうきし》は、任務の前に、命令書を最後まで読む。それから、板(スマホ)の使い方を、半日で覚えた。


 そして、ひとつの画面で、指を止めた。


 「SNS」という場所に、遥《はるか》の、元の友人の言葉があった。


『途中《とちゅう》でいなくなった人のぶんまで、がんばった』


 ハルは、眉《まゆ》をひそめた。


 言いたいことがあるなら、本人の前で言え。遠まわしに、背中から矢を射るようなまねは、騎士のすることではない。


「……明日、行くぞ」


 ハルは、だれもいない部屋で、つぶやいた。


 その日、ハルは、案内と、板の使い方と、この世界の地図を、夜までかかって頭にたたきこんだ。


◇ ◇ ◇


 2日目の朝。駅の階段をおりたところで、ハルは、立ちどまった。


 人が、多すぎた。


 ホームに、すきまなく人がならんでいる。到着《とうちゃく》した鉄の箱の扉《とびら》が開くと、中から人があふれ出し、それと同じ数の人が、また、すいこまれていく。


 戦場の、突撃《とつげき》のようだった。


 ハルは、ぐっとこぶしをにぎり、人の波に飛びこんだ。


 背中を押される。肩がぶつかる。だれかのカバンが、わき腹にくいこむ。息をするのも、むずかしい。知らない人の、汗《あせ》と、香水と、コーヒーのにおい。鉄の箱が、がたん、とゆれるたびに、何十人ものからだが、いっせいに同じ方向へかたむく。


 それなのに、だれも、声をあげない。だれも、怒《おこ》らない。みんな、黒い板を見つめたまま、ただ、だまって、この押しつぶされるような時間に、たえている。


(この世界の人たちは、毎朝、これを……?)


 竜の背の、あの広い空を思った。ハルは、少しだけ、この世界の人たちを、尊敬した。


 ななめ前で、背の低い女の子が、大きな男の背中に押しつぶされそうになっていた。


 ハルは、片腕《かたうで》を、女の子の頭の上の手すりにのばし、自分の背中で、うしろからの圧をうけとめた。細い腕が、ぎしぎしときしむ。この弱いからだでも、盾《たて》にくらいは、なれる。


 女の子が、小さく「ありがとうございます」と言った。


 ハルは、だまって、うなずいた。


◇ ◇ ◇


 専門学校の門の前で、ハルは、二時間、待った。


 夕方、門から、学生たちがぞろぞろと出てきた。その中に、写真で見た顔があった。茶色の髪《かみ》を、ゆるく一つにまとめた女の子。大きなスケッチブックを、胸にかかえている。


「水野陽菜(ひな)」


 ハルは、その前に立ちはだかった。


 陽菜は、目を丸くした。


「……遥? なんで、ここに」


「遥のことを、遠まわしに書くのは、やめろ」


 陽菜の顔から、血の気が引いた。


「言いたいことがあるなら、本人の前で言え。背中から矢を射るのは、卑怯者《ひきょうもの》のすることだ」


 まわりの学生たちが、何ごとかと、ふり返った。


 陽菜は、スケッチブックを強くだきしめた。くちびるが、ふるえていた。


「……言えるなら、言ってたよ」


 小さな声だった。


「遥、急に来なくなって。連絡《れんらく》しても、返事、ないし。わたし、何かしたのかなって、ずっと。……いなくなった人のぶんまで、って書いたのは、遥に、見てほしかったから。見て、怒って、何か言ってきてほしかったから」


 陽菜の目から、涙《なみだ》が、ぽろりとこぼれた。


「さみしかったの。……それだけ」


 ハルは、言葉につまった。


 怒りが、すっと、引いていった。かわりに、胸の奥《おく》に、べつのものが、うずいた。


 言いたいことを、本人の前で言えない。その気持ちを、ハルは、だれよりもよく知っていた。


「……すまない。言いすぎた」


 ハルは、陽菜の前で、深く頭を下げた。


「その言葉を、遥に、そのまま伝えてやってくれ。遥は、きっと、聞く」


◇ ◇ ◇


 帰り道、ハルは、海の見える広い通りを歩いた。


 夕焼けが、水面を、オレンジ色にそめていた。潮のにおい。かもめの声。遠くで、大きな観覧車が、ゆっくりと回っている。


 そのとき、ハルの足が、止まった。


 前を、二人の女の人が、歩いていた。


 手を、つないでいた。


 どちらも、ハルと同じくらいの年に見えた。一人が何か言って、もう一人が、肩をゆらして笑う。つないだ手を、子どものように、前後にふる。


 すれちがう人たちは、だれも、ふり返らなかった。だれも、指をささなかった。夕焼けの中を、二人は、ほかのだれとも同じように、ただ、ふつうに、歩いていった。


 ハルは、その場に、立ちつくした。


 からだが、動かなかった。胸の奥から、熱いものが、のどまで、せりあがってきた。


(……この世界では、だれも、ふり返らないのか)


 ドラグネアでは、ありえないことだった。騎士の家の娘《むすめ》が、女を愛するなど。だれにも言えない。言えば、家も、隊も、何もかも、失うかもしれない。だから、ハルは、日記の三行目を、何度も消そうとしてきた。


 それなのに、ここでは。


 夕焼けの中を、遠ざかっていく二人の背中を、ハルは、見えなくなるまで、見ていた。


 ほおが、ぬれていた。遥のからだの涙だった。けれど、それは、まちがいなく、ハル自身の涙だった。


◇ ◇ ◇


 その夜、ハルは、遥の職場だという、明るい店に行った。


 店の奥で、50代の男が、書類を見ていた。店長、と呼ばれている人だ。となりで、やさしそうな青年が、品物をならべていた。


 ハルは、この一日で、遥という人間のことを、少しだけ知った。


 絵がうまいこと。けれど、描《か》いた絵を、だれにも見せていないこと。友だちから、にげていること。夜の店で、だれとも目を合わせずに、すむ仕事をしていること。


 ここは、遥の、隠《かく》れ場所なのだ。


 ハルには、それが、わかった。自分も、ずっと、隠れてきたから。


(隠れ場所があるかぎり、人は、出てこない)


 ハルは、紙に、遥の字で、短く書いた。


『退職届 一身上の都合により、本日をもって退職いたします。七瀬遥《ななせはるか》』


 店長の前に、それを置いた。


「……七瀬?」


 店長が、顔をあげた。品出しの手を止めた青年が、目を丸くした。


「これまで、世話になりました」


 ハルは、騎士の礼で、胸に手を当て、深く頭を下げた。


 店を出ると、夜風が、ほおをなでた。


 ハルは、夜空を見あげた。この世界の空には、竜は飛んでいない。けれど、遠くの、あの空のどこかに、自分の世界がある。


 そして、そこには、イリスがいる。


(もどったら、言おう)


 ハルは、親指の腹で、耳たぶの下を、ぐっと押した。


(本当の名前で、呼んでほしいと)


◇ ◇ ◇


 同じころ、遠いドラグネアの空の下。


 祭りの準備の書類に追われ、夜おそく、ハルの部屋のベッドにたおれこんだ遥の耳の奥で、冷たい声がひびいた。


[報告します。交換相手が、旅行者の雇用契約《こようけいやく》を、解除しました]


「……は?」


 遥は、がばっと起きあがった。


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