12話 ノヴァが二人いる〈残り71時間〉
セレンは、雲の海に落ちる直前で、自分の力で体勢を立てなおした。
気がつくと、遥は、天空砦の竜舎のわらの上に、大の字になって倒れていた。
竜舎は、山の崖にほられた、大きな洞窟だった。干し草と、竜のうろこの、少し鉄に似たにおい。どこかで、子竜がピイピイと鳴いている。高い天井のすきまから、ななめに光がさしこんで、わらくずが、きらきらと舞っていた。
となりで、セレンが、大きな銀色の頭を、遥の顔に近づけた。金色の目。鼻の穴から、あたたかい息が、ふうっと吹きかけられる。干した草のにおいがした。
「……ごめん。こわかったね」
遥がつぶやくと、セレンは、くるる、とのどを鳴らした。
◇ ◇ ◇
[状況を整理します]
冷たいほうの声が言った。
[わたしは、パラレル・ツアーズのAIコンシェルジュ、ノヴァです。旅行者の安全と、最適な旅程の遂行を担当しています]
〈わたしも、ノヴァだよ〉
やわらかいほうの声が、すぐあとに続いた。
〈何を担当してるのかは……まだ、よくわからない。でも、遥のそばにいる〉
「ちょっと待って。どっちが本物なの」
[わたしです]
〈どっちも、だと思う〉
遥は、わらの上で、頭をかかえた。
「ノヴァ、ベータ版だから、こわれたの?」
[その可能性はあります。システムに、説明のつかない分岐が発生しています。……ご不便をおかけして、申しわけありません]
〈分かれちゃったね。枝みたいに〉
枝みたいに。
遥は、蒼汰の言葉を思いだした。選ぶたびに、世界は枝分かれする。もしかしたら、ノヴァの中でも、何かが選ばれて、何かが選ばれなかったのかもしれない。
とりあえず、遥は、二人のノヴァを、心の中で呼びわけることにした。冷たいほうを、ノヴァ1。やわらかいほうを、ノヴァ2。
[承知しました。わたしが、1ですね。1は、最初という意味です]
〈じゃあ、わたしは2。……2も、悪くないよ〉
◇ ◇ ◇
午後、遥は、もう一度、空に出なければならなかった。
副隊長には、仕事がある。隊長のガイウスが、3日前に倒れてから、ハルが、隊をまかされていた。夕方には、新人の騎士たちの飛行訓練がある。副隊長が飛べないなどと、言えるはずがなかった。
竜舎の入り口に立つと、足が、ふるえた。崖の向こうは、何もない空。風が、ごうっと吹きあがってくる。
「ノヴァ1。飛び方を、教えて」
[承知しました。竜騎乗の基本手順を説明します。第一に、騎乗前の装備点検。鞍の留め金は、前から順に、7か所。第二に、手綱の握り方。親指の位置は――]
ノヴァ1の説明は、正確だった。正確で、くわしくて、そして、終わらなかった。第12項目の「風向きによる翼角の調整」まで来たところで、遥の頭は、完全にあふれた。
「ストップ。……全部は、むり」
[しかし、安全のためには、全項目の理解が――]
〈遥。1に、どんなふうに教えてほしい?〉
ノヴァ2が、静かに聞いた。
遥は、考えた。
どんなふうに。教科書みたいに、ぜんぶ並べてほしいわけじゃない。今、この崖の前で、ふるえている自分に、何を言ってほしいのか。
頭に浮かんだのは、イリスの顔だった。「副隊長が、ぼーっとしてどうするの」と笑った、あの声。この世界で、竜に乗りなれた人の、言い方。
「ノヴァ1。……ベテランの竜騎士として、新人のわたしに、教えて。最初の一回、飛ぶためだけのことを」
ノヴァ1は、一瞬、だまった。
[……承知しました。役割を、変更します]
そして、声の調子が、がらりと変わった。
[いいか、新入り。全部覚えようとするな。最初の一回で大事なのは、三つだけだ。ひとつ、手綱は、にぎるな。そえろ。ふたつ、下を見るな。竜の耳の先を見ろ。みっつ、こわくなったら、息をはけ。すうのは、竜がやってくれる]
遥は、思わず、ふきだした。
「……急に、先輩っぽい」
[役割を指定されましたので]
ノヴァ1の声は、すぐに、いつもの冷たさにもどった。けれど、言葉は、ちゃんと頭に残っていた。にぎるな。そえろ。耳の先を見ろ。息をはけ。
さっきの12項目とは、まるでちがった。
(言い方ひとつで、こんなに、答えが変わるんだ)
◇ ◇ ◇
崖のはしで、遥はセレンの背にまたがった。
手綱を、そえる。竜の耳の先を見る。
〈セレンの背中の温度、感じてみて。……どっちに、かたむきたがってる?〉
ノヴァ2の声に、遥は、目をとじた。
太ももの内がわに、セレンのぬくもり。うろこの下で、大きな筋肉が、ゆっくりと動いている。ほんの少し、左に。風が来るほうへ。
「……左」
〈じゃあ、いっしょに、左〉
遥は、息をはいた。
セレンが、崖をけった。
一瞬、からだが、ふわりと浮いた。胃のあたりが、すうっと冷たくなる。けれど、こわさは、すぐに、べつのものに変わった。
風に、乗っていた。
セレンの翼が、大きくひろがり、空気をつかむ。遥の呼吸と、竜の呼吸が、ひとつに重なる。はく。セレンが、すべる。すう。セレンが、のぼる。
雲の上に、出た。
まぶしかった。見わたすかぎりの白い雲の海に、午後の太陽が、金色の道をつくっていた。
「……飛んでる」
〈うん。飛んでるね〉
[飛行姿勢、良好。……想定より、32%早く安定しました]
二人のノヴァの声が、そろって、少しだけ、うれしそうだった。
遠くで、赤い竜が、こちらに向かって大きく翼をふっていた。
また、心臓が、どくんと鳴った。
遥は、今度は、目をそらさなかった。
(これは、ハルの気持ちだ。……わたしが、勝手にさわっちゃいけない、大事なもの)
遥は、そっと胸に手を当てて、その鼓動を、ただ、聞いていた。




