第4話 決別の閃光、溢れ出す真の力
王宮の大広間は、朝の光をそのまま閉じ込めたように眩しかった。
高く張られた天井には白金の装飾が走り、磨き上げられた床には巨大な魔法陣が淡く刻まれている。そこへ王都中の未婚令嬢たちが集められ、「魔力披露会」は厳かに始まろうとしていた。
フィオラは列の最後方で、深く息を吸った。
昨夜はほとんど眠れなかった。目を閉じるたび、聖堂で聞いた言葉が胸を抉る。魔力吸収の首飾り。偽りの守護。優しい親友の嘘。
それでも不思議と、心は静かだった。
もう知らなかった頃の自分には戻れない。
ならば、今日ここで終わらせるしかない。
首元に下がる銀の首飾りは、相変わらず冷たかった。けれど今のフィオラには、それが守りの証ではなく、奪われ続けてきた日々の象徴にしか思えない。
「フィオラ」
背後から、よく知る声がした。
振り向けば、白い礼装に身を包んだヴィヴィエンヌが立っていた。今日の彼女はいつにもまして華やかだった。淡い金糸の刺繍をまとい、髪には真珠の飾りを編み込んでいる。次期聖女候補にふさわしい、誰もが見惚れる姿。
そして、その顔には、いつもの優しい微笑みが浮かんでいた。
「顔色が悪いわ。やっぱり緊張しているのね」
「……少しだけ」
フィオラは答える。
自分でも驚くほど、声は平坦だった。
「大丈夫。あなたは難しいことを考えなくていいのよ。いつもどおり、少しだけ魔力を流して、あとは私に任せて」
その言葉に、胸の奥で何かが冷たく軋んだ。
いつもどおり。
そうして自分は、どれだけのものを奪われてきたのだろう。
「フィオラ?」
黙ったままの彼女を不審に思ったのか、ヴィヴィエンヌがそっと首飾りへ手を伸ばした。
「だめよ、そんなに固くなっては。浄化の守護の流れも乱れてしまうわ。少し整えてあげる」
やさしい声音。
慈しむような眼差し。
けれどその指先が鎖に触れようとした瞬間、フィオラの中で、昨夜のすべてが鮮やかによみがえった。
――あの娘は何も知らないまま、穏やかに生きればいい。
――奪ってしまえば、少しは自分を許せる気がした。
反射だった。
ぱし、と乾いた音が大広間のざわめきのなかで妙にはっきり響いた。
ヴィヴィエンヌの手を、フィオラが振り払ったのだ。
周囲の令嬢たちが一斉に目を見開く。近くにいた侍女が息をのんだのがわかった。
「……フィオラ?」
ヴィヴィエンヌの顔から、初めて完璧な笑みが消えた。
驚きと、困惑と、わずかな苛立ち。
フィオラはその表情を見つめ返した。怖かった。足が震えていた。けれど、もううつむかなかった。
「触らないで」
「え……?」
「もう、あなたに触らせない」
静かな声だった。けれど、その場にいた誰もが聞き取れるほど、はっきりしていた。
ざわ、と空気が波打つ。
ヴィヴィエンヌが顔色を変える。周囲に聞かれてはまずいと判断したのだろう、彼女はすぐに悲しげな表情を作り直した。
「どうしたの、フィオラ。そんなに怯えて……大丈夫よ。私がいるでしょう?」
その言葉に、フィオラはとうとう笑いそうになった。
泣きたいほど苦しくて、なのに可笑しかった。
ずっと自分を縛ってきた言葉だ。
救いのふりをした、檻の鍵だ。
「ええ」
フィオラは首飾りに手をかけた。
「ずっと、そう言っていたものね」
細い銀鎖が指に食い込む。
ヴィヴィエンヌの目が揺れた。彼女は何かに気づいたように、一歩踏み出す。
「待って、フィオラ、それは――」
「私が無能だと、信じていた」
フィオラの声は、もう震えていなかった。
「魔力が淀んでいるのだと。あなたがいなければ何もできないのだと。ずっと、ずっと、そう思わされてきた」
「違うの、話を聞いて」
「聞いたわ」
その一言に、ヴィヴィエンヌの顔が強張る。
「聖堂で全部」
沈黙が落ちた。
音楽もざわめきも遠のいたようだった。大広間のあちこちで貴族たちが不穏な気配を察し、視線を寄越してくる。
ヴィヴィエンヌの唇がわななく。
「フィオラ、あれは……私は、あなたを守るために」
「守るため?」
フィオラは問い返した。
怒鳴るでもなく、責め立てるでもなく、ただ静かに。
「何も知らないまま、何もできないままでいろと? あなたが私の力を奪って、私の代わりに輝くことが?」
「違うっ……!」
ヴィヴィエンヌが声を上げた瞬間、広間じゅうの注目がこちらに集まった。
もう止められない。
ならば、ここで終わらせる。
フィオラは両手で首飾りを掴んだ。金属の冷たさが掌に食い込む。幼い頃から片時も外したことのないそれは、まるで身体の一部みたいに馴染んでいたのに、今はひどく異物だった。
「これは、守護なんかじゃない」
細い鎖がきしむ。
「私を縛る鎖よ」
次の瞬間、フィオラは全身の力を込めて、それを引きちぎった。
ぱきん、と高い破裂音が響いた。
同時に、時間が止まったかのような一瞬の静寂。
そして――。
眩い白光が、フィオラの身体から爆ぜた。
「きゃあっ!」
「な、何……!?」
悲鳴が上がる。
まるで堰を切った奔流だった。長い年月、無理やり堰き止められていた神聖魔力が、あるべき主のもとへ一気に還ってくる。純白の光が渦を巻き、フィオラの足元に刻まれた魔法陣を塗り替えるように広がってゆく。
それはただ強いだけの力ではなかった。
清らかで、あたたかく、圧倒的だった。
広間の隅に沈殿していた瘴気の名残が、朝靄のように溶けて消えていく。燭台の火はより明るく澄み、空気そのものが洗い清められていくのがわかった。見物していた貴族のひとりが、思わずその場に膝をつく。あまりの神聖さに、直視できないのだ。
「そんな……!」
ヴィヴィエンヌが一歩、二歩と後ずさる。
彼女の胸元で、見えない糸が逆巻くように震えた。転送されていた魔力が逆流し始めたのだ。
「いや、やめて……っ、戻って、戻りなさい!」
悲鳴混じりの声とともに、ヴィヴィエンヌの身体から光が剥がれ落ちてゆく。これまで彼女を神々しく見せていた白い輝きが、砂のようにさらさらと消えていく。その下から現れたのは、平凡な、ありふれた魔力の色だった。
豪奢な礼装の上で、彼女は愕然と目を見開いている。
「私の、魔力が……!」
「あなたのじゃない」
フィオラはまっすぐに告げた。
「最初から、あなたのものじゃなかった」
その言葉は刃だった。けれど同時に、フィオラ自身の心を縛っていた縄を断ち切る刃でもあった。
ヴィヴィエンヌの膝が崩れる。彼女は床に手をつき、信じられないものを見るようにフィオラを見上げた。
「フィオラ……私は、私はただ……」
「家族を守りたかったのでしょう」
フィオラの胸は痛んだ。事情を知っているからこそ、ただ断罪することはできない。
だが、それとこれとは別だった。
「でも私は、もうあなたのための器にはならない」
光はなおもフィオラの周囲で脈打っている。真珠のような粒子が髪を、頬を、ドレスの裾を淡く照らし、その姿をこの世ならぬほど清らかに見せていた。
誰かが呆然と呟く。
「……聖女」
「本物の、神聖魔力だ……」
「では、これまでの聖女候補は……?」
さざめきは瞬く間に大広間を駆け抜けた。
王宮の魔導士たちが青ざめて前へ出る。教会の関係者たちは顔色を失い、互いに視線を交わしている。虚飾が剥がれ落ちた中心で、フィオラだけが静かに立っていた。
不思議だった。
あれほど重かった身体が、今は羽のように軽い。息を吸うだけで、胸の奥まで光が満ちる。花に触れたとき、いつも届かなかった感覚が、今は世界そのものに繋がっているようだった。
これが、自分の本当の力。
これが、奪われる前の自分。
込み上げてくるのは喜びよりも、喪失に対する痛みだった。こんなにもあたたかく、澄んだ力を、どれだけ長く知らないまま生きてきたのだろう。
それでも。
戻ってきたのなら、もう二度と明け渡さない。
フィオラはちぎれた首飾りを足元へ落とした。銀の細工は砕け、石床の上で冷たく転がる。
その残骸を見つめて、ようやく実感する。
本当に終わったのだ。
万年最下位の落ちこぼれとして生きる日々も。
優しい嘘に守られた檻の中も。
誰かに力を預けて、自分を諦める生き方も。
終わったのだ。
大広間の扉の向こうで、ざわりと別の気配が生まれた。
人々のどよめきが、先ほどとは質を変えて広がってゆく。恐れと畏れが入り混じった空気に、フィオラはゆっくりと顔を上げた。
白光の尾を引くような静寂のなか、重々しい扉が開かれようとしていた。
第5話 化け物からの求婚と、ハンカチの返礼
に、続きます。




