第2話「魔法は、滅んでない【フィル視点】」
「……ん」
気づいた頃には、自分の頭は枕へと沈んでいた。
倦怠感に襲われた体は重く、息苦しさが胸を窮屈にさせる。
(助かっちゃったか)
ダンジョンで命を終えるほど、自分の魔法は弱くない。
平和な世界に戦う力は必要とないと言われたって、戦う力を高めてきただけのことはあるのかもしれない。
(でも、守れなかった)
窓の向こうでは、雨が絶え間なく降り注いでいた。
亡くなった人を弔うための雫が空から降り、外では涙の軌跡が描かれていた。
(自分を守ることはできても、他人の命は救えなかった)
耳を澄ますと、周囲からすすり泣く声が聞こえてくる。
その涙は、名前も知らない誰かが亡くなった証拠だった。
(俺は、なんのために魔法を……)
ふと、目尻から熱いものが込み上げてきた。
涙を流す意味にすら戸惑っていると、仕切りに使われているカーテンがそっと開かれた。
「体調、確認しますね」
俺が眠っていると勘違いした少女は、そっと患者に声をかけてくる。
「失礼しま……」
「起きてる」
泣いた跡を見られたくなくて、急いで目元を手の甲で擦り上げる。
「良かったです。意識が回復するのすら、危うかったんですよ」
旅立ちを見送ってくれたディアナが静かに近づき、見舞客用の椅子へと腰を下ろした。
「……俺の治療は、君が?」
「はい。あ、聖女候補でも、治癒魔法の力はちゃんと保証しますよ」
聖女候補の心遣いが、戦いで疲れ切った者たちを心から癒していくのだろう。
城内に立ち込める薬草の香りと、どこかから治癒魔法の成功を示す青の光が放たれる様子が視界に入り、自分が城に戻ってこられたことを自覚する。
「見回りって、聖女の仕事じゃないような……」
「ふふっ、聖女候補は治癒のなんでも屋さんなんですよ」
ディアナの冷たい指先が、俺の額に触れる。
「聖女には、たった一人しかなれませんからね」
これといった呪文が唱えられることはなく、自分の治療はもう十分だと判断された。
「……夢、ないの?」
「聖女?」
「ふっ、なんで疑問形……」
「あ、まだ笑ったら駄目ですよ! 呼吸が苦しくなっちゃいます!」
彼女が言う通り、呼吸を繰り返すだけで心臓に痛みが走った。
思わず空中で手をさ迷わせると、その手は一瞬にして彼女の手に掴まれた。
「光の生命」
魔法を使うには、杖が必要。
そんな世界の常識を覆すように、彼女は杖なしで治癒魔法を発動させた。
蒼の光が彼女の手から溢れ始め、次第に酸素が取り込みやすくなるのを感じる。
「生きてください」
彼女が祈りを捧げるだけで、体が軽くなっていく。
さすがは聖女候補と言いたいけど、その言葉を彼女に向けていいのかどうか躊躇った。
「……生きろ、か」
「生きろ、ですよ」
蒼の光が止む頃には、戦場の記憶すら薄れていくように感じられた。
「重い言葉、ですけどね」
彼女の声はどこか柔らかくも、芯のある響きをしていた。
「それでも、命続く人に、私は祈りを捧げます」
治癒魔法は、命を終える人には効果がない。
どんなに息があったとしても、数秒後、数十秒後、数分後に命が尽きる人に、治癒魔法の力は届かない。
恐らく幼い頃から治癒魔法の才に長けてきた彼女だからこその言葉が、何も感じなくなったはずの心を揺さぶりにかかる。
「では、何かあったら声をかけてくださ……」
「……たい」
ダンジョンで活躍できなかった宮廷魔法師は即クビに対して、治癒魔法の使い手は聖女に落選したあとも必要としてもらえる。
そんな劣等感に苛まれるのかと思っていたけど、心は意外と別の方向に興味を示した。
「生きたい」
彼女は、穏やかな笑みを浮かべていた。
見る者すべてに安心感をもたらすような笑みを、さすがは聖女候補と称するのかもしれない。
でも、その笑顔だって、彼女の努力なしには生まれないものだってことを察した。
「生きるために、守りたい」
繋いだ手は離れたはずなのに、再び冷たい手と熱を失った手が重なり合った。
「生きてください」
やっぱり彼女は、聖女候補と言うのかもしれない。
彼女の手は冷たいはずなのに、彼女の言葉から伝わる温かさに涙腺が揺さぶられる。
これが、聖女候補だった頃のディアナと交わした最後の言葉だった。
「宮廷魔法師を辞めた!?」
「辞めたんじゃなくて、クビ」
怪我が完治したあとは、予想通りのクビ宣告があった。
実家に帰ると、両親の面倒を見てくれている兄が驚愕という言葉に相応しい顔で出迎えてくれた。
小さな庭には母が育てた薬草が風で揺れているはずなのに、今はもうかつての温かみのある庭はない。
枯れ草と雑草が広がる庭を見つめていると、兄は頭を抱えて盛大な溜め息を漏らした。
「どうすんだよ……おまえの仕送りがないと、俺たちは野垂れ死ぬ……」
「それも、いいのかなって」
昔は焼けたパンの香ばしい香りと、温かいスープの香りが家の中を包み込んでいた。
今は料理した形跡すら残らない実家になってしまったけれど、両親の命が続いているなら、それはそれでいいと思えた。
「働けない体になったとか、精神的な苦痛を抱えてるなら、家族として手を差し伸べたい。でも、二人も、兄貴も、そうじゃない」
暖炉に火を灯すこともできない虚しさを知っている。
火の残り香に縋ることすらできない虚しさを知っている。
「世界に怯えっぱなしで、未来を見てないだけだから」
魔法に依存することは、悪いことではない。
魔法と呼ばれる不思議な力に対して愛を注ぐことも、決して悪いことではない。
悪いのは、魔法使いの自分にできることは何もないと自分を卑下してしまうこと。
「っ! 父さんも、母さんも、俺も、魔法のない世界を知らないんだよ!」
兄から、胸倉を掴まれる。
「どうやって生きていけばいいんだよ! いきなり魔法使いは必要ないとか言われても、言われても、言われても……」
兄は、声を震わせながら必死に言葉を探していた。
「頼む、聞いてくれ……この家で、稼げる魔法使いは、おまえくらいしかいないんだ……」
手に込めていた力が緩み、兄の目が揺らぎ始める。
「魔法は、滅んでない」
魔法の中でも重宝されているのが治癒魔法。
そんな治癒魔法ですら、医学の分野に太刀打ちできなくなる日が来ると言われている。
「まだ、魔法は存在するんだよ!」
それでも聖女候補は、治癒魔法を見捨てたりしなかった。
自分の特別な力を使って、自分にできることを必死にやりこなしている人間がいるってことを聖女候補が教えてくれた。
「諦めて、絶望して、家に引きこもってばっかいたら……父さんも、母さんも、兄さんの未来だって、ずっと変わらないままだ……」
兄が無言になった隙に、兄を抱き締めた。
温かな兄の涙が衣服に染み込むのを感じて、兄が抱えている恐怖って感情とようやく向き合うことができたのかなって自惚れた。
「俺は、魔法を守るために生きる」
生きるために、守る。
守るために、生きる。
二つの言葉が、脳裏を行ったり来たり。
兄に啖呵を切ったけど、これから生きる自分の未来が最高のものになるかなんて分からない。
「いつか……いつか、再会できるかな」
ダンジョンの地面に伏している冒険者を見つけるたびに、恐怖が体全体を駆け抜けていく。
「って、ディアナの夢は、聖女になることだった」
耳元に迫るようなモンスターの咆哮が響き渡る。
魔法の杖を構えて、強力な一撃を加える。
それらの日常を繰り返して、自分が生きていくための術を模索していく。
(聖女になれなくてもいいよって言ったら、ディアナは怒るかな)
彼女の手から溢れた気遣いと、彼女の声で紡がれた言葉の数々。
ディアナに命を救われた、あの日を思い出しながら。
今日も生きるための魔法と、守るための魔法を模索していく。




