第9話「過去の出来事となってくれたのなら幸いです」
「ディアナ様にとって、過去の出来事となってくれたのなら幸いです」
アルノ様が深く頭を下げ、元聖女候補に詫びの気持ちを伝えてくる。
「頭を、上げてください」
それは、クラレッド様の側近として当然の作法なのかもしれない。
けれど、たったの一礼で、私の十年がなかったことになるような気がして、私はアルノ様に頭を上げるように促した。
「犯人を捕まえたディアナ様のことは、世に知れ渡る。ダンジョンの五十階層に第二の聖女候補がいるとわかれば、冒険者の数も増える。国としても、ディアナ様としても、悪い話じゃないと思ったから、祖父の病院を差し出したってわけ」
衛兵と警吏がいたときは丁寧な口調で喋っていたアルノ様に、彼らしい軽口が戻ってくる。
「それじゃあ、ディアナの負担が増える一方……」
「でも、食べていくのには困らない」
聖女になれなかった少女たちの記憶なんて、世間から忘れ去られていく。
でも、二番目の聖女の、二番目という数字が意味するものは大きい。
「あの子は、どうして二番目なんだ。治癒魔法の質が悪いんじゃないか。そんな風評被害は、私が医療術師として食べていくことを阻む。ですよね」
「さすがに二番手ともなると、頭が働くね」
馬鹿にされているのか、褒められているのか判断できないような微妙な言い回しをされるアルノ様。
人を傷つけない方法を熟知しているのかもしれないけど、私はアルノ様のような綺麗な生き方ができそうにもない。
「そこまで根回しして心配してくれるなら、私を聖女にしてください」
「聖女になれるだけの体力がないのに?」
アルノ様の一言はトドメのようにも聞こえて、私たちの間には少しだけ沈黙が長く続いた。
でも、長く続くと思われた沈黙を破ったのは、フェルだった。
「国としては貴重な存在だったけど、ディアナの体のことを考えて手を離したってことですよね? お兄様」
「君のお兄様になったつもりはないけど……まあ、君の言う通りだよ」
ルトが前を向き始めたタイミングで、やっと私も笑うことができるようになった。
どんなに体が辛くても、口角を上げられるようになった。
そんな矢先に、大きな真実が告げられた。
(クラレッド様は、私をずっと心配してくれてた……)
喉の奥底から、込み上げてくる想いがある。
言葉にしたいはずなのに、それらを飲み込んでしまいたい気持ちもある。
「……とっても綺麗なお話ですね。物語みたいなお話で感動します」
自分の言葉が棒読みになっていることには気づいたけど、それすら気づかないフリをして言葉を先へ先へと進めていく。
「国が、二番目のことを気にかけてくれてたなんて」
早くアルノ様を追い返さないと、涙が溢れてしまいそうになる。
この涙が意味するものすら考えたくなくて、言葉が棘を帯びていく。
「アルノ様たちのおかげで、廃病院の繫栄は約束されたようなものですから」
でも、その棘では、患者の治療をすることはできない。
「国からのお心遣いに、感謝いたします」
棘の摘み方すら分からないけれど、今にも意識を失いそうになっている私を支えてくれるフェルの顔を見上げる。
私の視線に気づいたフェルは、ふと笑ってくれた。
私ならできるって気持ちを、その笑みに込めてくれた。
「ここから先は、国に頼らなくても食べていってみせます」
花の香りが消えた。
風の流れが変わったことに気がついたのは私だけでなかったらしく、三人で壊れかけた窓の向こう側を見たのが不格好で印象に残った。
「ディアナ様になら、この廃病院を託せそうだ」
「いただけるんですか?」
「相続税、払えないでしょ?」
「うっ……」
格好つけてみたいなと思っても、お金がないという現実の重みに言葉を詰まらせる。
「だから、廃病院の権利は預かる。家賃はいらないけど、何かあったときは相談すること」
「お兄様!」
『お兄様』と、感嘆の声を上げたのは同時だった。
私とフェルの言葉が重なって、アルノ様の口角が自然と上がる。
「君たちの中で、年上はみんなお兄様になるのかな」
アルノ様の優しい声が、場の空気を暖かく包み込み始める。
(もう、息を吐き出してもいいかな……)
呼吸を止めていたわけではない。
でも、息を吸い込むのも、吐き出すのも、ずっと苦しかった。
「廃病院の管理人ってことで、これからもよろしく」
廃病院の出入り口へと足を進めていくアルノ様を見送る。
ダンジョンの五十階層にやってくるだけでも膨大な魔力を消費するはずなのに、休むことなく旅立とうとする魔力お化けのアルノ様に恨みがましい目線を投げやる。
「……アルノ様、ありがとうございました」
出入り口の方向に目を向けたまま、アルノ様は私たちに手を振り返してくれた。
国の重鎮らしくない別れ方をするアルノ様を見て、彼はやっと使命を果たし終えたのだと確信する。
「フェル……アルノ様は……」
「行ったよ」
「そっか……良かった……」
大きく息を吐き出し、フェルに自身の体を預ける。
胸の奥から、安堵の気持ちが湧き上がってくるのを感じる。
「頑張った……頑張ったよ、ディアナは」
目を閉じたら、次に瞳を開くことができるのかなって不安になるときもあった。
でも、今日は違った。
明日は、必ずやってくる。
そんな希望に満たされながら、私は深い眠りに就いて体力を回復させた。




