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死神の天敵  作者: 黒留ハガネ
症例3 巨影症
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9/17

巨影症1


 まだ神々と人が同じ言葉を話していた頃。四海で最も巨きな大陸に、一人の少女と、一人の男と、一柱の神がいた。レイヴァルから東に延びる蛇行した山道を一行は歩いている。


 少女は名をサララ・ナルガザン・エルフィリアといい、クセのある長い金髪が美しい医者助手見習いの姫君である。

 男は名をジャレッドといい、萎びた海藻のような黒髪に痩身の医者である。

 そしてジャレッドとおそろいの黒いマントに手袋をした、長身に冷たい美貌の女神が死神モルスロムだ。


 ジャレッドはここ数か月で一番機嫌がよく、口笛を吹きながら歩いていたが、反対に死神は不機嫌に道端の木の枝を手折っては塵に変えている。死神の機嫌が悪いのは、ジャレッドが抱える不治の病、死神病に回復の兆しが見えたからだった。


 ジャレッドはレイヴァルを出て早々、ピグー謹製の液針器で死神病の治療を試みていた。

 死神病は死神がジャレッドに与えた祝福(呪い)の病である。死神病に罹った者は次第に全身が白骨化していき、全身が骨になった時死神の仲間入りをする。病例は極端に少なく、治癒の例は無い。神が与えたもうた不治の病である。


 しかし、死神に至る病だろうと病であるのなら必ず治す方法はある、というのがジャレッドの見解だった。ジャレッドは液針器を使い、自然治癒能力を限界以上に引き上げる事で治療を試みた。

 あらゆる生物は魔力を持つ。そして魔力は自然治癒能力を向上させる力を持っている。魔力を多く持っていれば持っているほど治癒能力は高くなる。熟達した医者は魔力を局所的に集中させる事で千切れた腕をくっつける事ができるほどである。


 ジャレッドは世界有数の腕前を持つ卓越した医者であり、魔力運用も上手い。そのジャレッドがありったけの魔力を患部に集中させても死神病は治らない。そこでジャレッドは液針器で患部に直接大量の魔力を注入する事で通常の限界を超えた治癒力を引き出し、それをもって死神病を治そうと考えた。


 そしてその試みは一定の成果を上げた。

 山一つ分の魔力を内包した超濃縮奇石酒(キーン)を注射する事で、ジャレッドの魔力は通常ではありえないほど爆発的に上昇。魔力が暴走しかけ全身が爆散しそうになるのを熟練の魔力運用で抑え込み、瞬間的に下級の神格に匹敵するほどの治癒力を得、小指の爪一枚分ほどの僅かな範囲ではあるが、白骨化していた胸部の端に肉を戻す事に成功した。


 人の身に過ぎた莫大な魔力はジャレッドの肉体と魔力臓器を大きく傷つけたが、それでも死神病の治癒が不可能でない事は立証された。

 ジャレッドは大喜びして、サララも我が事のように喜んだ。体がもたないため何度もできる治療法ではないが、治る見通しが立ったのだ。


 死神は一気に不機嫌になり、その時の舌打ちで山が一つ枯れ果て湖が二つ毒沼になった。

 ジャレッドは死神のお気に入りである。死神はいずれジャレッドが死神病に屈し自らと同じ死神になるのをずっと見守っていた。死神には人間は自分の祝福(呪い)に逆らえないという確信があったため、ジャレッドが死神病を治すために四苦八苦していてもあえてそれを止めようとはしなかった。


 ところが今回、『死神病は治せない』という確信は慢心に過ぎなかった事が分かった。焦った死神はジャレッドに治療をやめ病を受け入れるよう説得しにかかった。死神の良さ――――何でも殺せる、いつでも殺せる、何度でも殺せる、自分も死ねる――――を説いた。もちろん、ジャレッドの心には響かなかった。


 うるさい生き返らせるぞ、と怒られ、死神は拗ねた。死神がその気になれば一度の瞬きで九十九回ジャレッドを殺せる。しかしジャレッドを死神にするには、死神病で殺さなければならない。従って、死神はジャレッドに何もできなかった。いつもの三倍距離を開けてジャレッドに憑いて歩きながら、時折恨みがましく閉じた目で睨むのが精一杯だ。しかしジャレッドは浮かれていて、睨まれているのに気づきもしていなかった。


 一方、サララは二人の対立に気を遣うどころではなく、汗を垂れ流し足を震わせふらふらと歩いていた。

 右手を真上に突き上げ、手の先から足の先まで体の中を波が通り抜けるように魔力を流す。賦活魔法により活力が全身に漲り束の間疲れが消えるが焼け石に水である。

 延々と続く緩やかな上り坂の両側からは道の上へ木々が張り出し、直射日光を防いでいる。それなりに往来があるのだろう踏み固められた道には邪魔になる石も盛り上がった根もなく、旅慣れた者ならば快適な道を行ける事に安堵するであろうが、サララには辛い。


 サララはほんの二ヶ月前までお姫様だった。教育係たる婆やに時々泥を舐めさせられたり墓石を持ち上げる訓練をさせられたりしたが、基本は運動とは縁が無かった。つまり、体力がない。一日ひなたに干しておけば干物になりそうなほど痩身のジャレッドが平気な顔で歩いているのに自分がバテているというのは地味に屈辱だった。


 また奇石を一つ口に放り込み、水袋で喉を潤す。ジャレッドは大きく膨らんだ背嚢に押し潰されるようにして歩いているが平気な顔をしていて、死神に至っては落ちた枝を拾って振り回したり小石を蹴ってふらふらするほど余裕がある(枝は一振りで塵になり、小石をぶつけられた青々とした大樹は瞬く間にねじくれた不気味な枯れ木に変じた)。


 へばっているのはサララだけ。レイヴァルを出て三日間、サララは奇石を食べ賦活魔法を連打してなんとか食らいついていたが、流石に限界を感じた。今日こそは寝たら二度と起きれないかも知れない。そう思うほど体がガタガタになっていた。癒しても癒しきれない疲労に目眩がする。


「ジャレッド、休まないか? ちょっとでいいからさ」

「この登り坂終わったらな」

「うぐぅ……しんどい……つらい……」

「あー、俺が背負って、いや無理だな。モルスロム、頼む」


 不機嫌にマントの端を弄っていた死神はジャレッドに頼み事をされパッと顔を輝かせた。快く頷き、有無を言わせずサララを横抱きに抱き上げた。

 本能的恐怖に体が強張ったが、驚くべき事に死神の腕の中は柔らかで暖かかった。実際に触れた死神は、身に纏うおどろおどろしい死の気配に反して柔らかな生命が感じられた。心臓の鼓動が聞こえない事だけが死神らしい。


「大丈夫ですよ。落としたりはしませんから」


 言葉通り、大地に寝そべっているような抜群の安定感があった。体から力が抜ける。思えば警戒し過ぎていたのかも知れない。行動を共にするようになって二ヶ月、一度も死神は悪さをしていない。ほとんどの時間はただ見守っているだけで、ジャレッドが頼めばこうして助けてもくれる。

 ジャレッドに神らしい理不尽さでもって死病をかけたのは自他共に認めるところであるが……


「眠りますか?」

「ああうん……いやそれ絶対永眠だろ待て待て手を近づけるな離せ!」


 ウトウトしかけたサララは絶望と苦悶の顔がシワになって浮かんだ黒い手袋を近づけられて暴れた。

 一行がわあわあ騒いでいると、折良く馬車の一団が通りかかった。たちまちサララの目の色が変わった。


 馬車。ジャレッドはエルフィリア王国で失敬してきた馬車をさっさと売り払ってしまったが、短い行軍の間にどれだけ手元においておけばと後悔したか知れない。サララは死神の腕の中から脱出して叫んだ。


「そこの馬車待ってくれーっ! 乗せてくれ!」


 先頭を行く御者の男は警戒した様子で速度を落とした。張り出した腹を収めるためだろう、膨らんだ鎧を着込んだ典型的キオ人体格の男だった。逆立つ赤毛が火のようである。


「何者か?」

「俺はジャレッド、遍歴の医者だ。こっちは助手」


 ジャレッドは当然のように死神の紹介を省いたが、既に死鎌になって腰の定位置に収まっていた。

 御者は背嚢にのしかかられている細身で萎びた黒髪の男と、痛そうに足をさすっている三つ編みの金髪少女をジロジロ見た。


「私は使節団護衛隊長のアキュードだ。悪いが高貴なお方をお送りしている最中ゆえ、誰とも分からん旅人を乗せてやる訳にはいかん」

「誰かは分かるぞ。俺はジャレッド、医者だ。出身はナナナンで歳は二十四。嫁はいない。趣味は医術を磨く事で、好きな奇石酒(キーン)の銘柄はムリタン」


 これで大丈夫、という自信満々の顔をしているジャレッドに騎士は毒気を抜かれたようだった。キオ人らしい贅肉でたぷたぷした顎を撫で思案げにする。


「そういう問題ではないのだが。しかし、うーむ、医者か。腕はどんなものだ?」

「最近は豚を治した」

「豚か……」

「あと王族も治した」

「王族を!? 大口を叩くじゃないか。典医なのか? なぜこんなところにいる」

「典医じゃない。俺はいけ好かないヘボ典医の代わりに痛っ」


 聞かれるがまま洗いざらい答えそうな気配を感じ、サララはジャレッドの足を踏み言葉を遮って愛想笑いした。


「遍歴の医者ですから。王族といっても遠い辺境の新興の小国での事なのでご存知無いかと思います」


 アキュードは訝しげだったが、ひとまずそれ以上の追求は取り止めた。


「我々は今――――」

「なぜ止まった。何をやっておるのだ」


 何か説明し始めようとしたアキュードを遮り、一団の真ん中の馬車から濁声が響いた。

 他の馬車より一回り大きく凝った装飾の馬車の窓から、山羊のような髭を生やした陰気な顔の初老の男がじっとりした目を向けて来ていた。


「なんだそいつらは」

「は。彼らは」

「素性などどうでもよい。そんな貧相な者など放っておけ。私はエルフィリア王国全権大使コイッカスであるぞ」

「しかし彼らは医者だと。大使殿の病も」

「くどい。下民に診せるつもりなどない。せめてキオの典医でも連れて来いというのだ。さあ、分かったら早く馬車を出せ、馳走を持って来い。貴様らの国には食以外の取り柄など無いのだからな!」

「……畏まりました」


 小馬鹿にした嘲笑を置き土産に、全権大使コイッカスは頭を引っ込めた。

 アキュードは深呼吸して怒りを抑え込み、取り繕った笑顔で言った。


「まあ、私から荷台の端にでも座れるよう言っておこう」

「ありがとう。あんな奴の言う通りにするのもムカつくからな、こうなったら意地でも乗ってやろうと思ってたところだ」


 アキュードは苦笑したが、否定しなかった。二人は一団の最後尾の馬車の荷台に乗せてもらった。

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