草斑5
ジャレッドは食事に文句をつけなくなり、ピグー夫妻もまたジャレッド達に配慮するようになった。ジャレッドとサララには毎日三食だけ、健康に気を使ったバランスのよい食事が出されるようになった。ジャレッドはピグーとスクローファに胃もたれを解消し消化をよくする薬を処方し、体にできていたいくつかの晶腫を切除した。
ジャレッドは無茶苦茶なサイクルで一年の食生活を営んでいる(と思い込んでいる)レイヴァルの人々に心底同情し、ただでさえ薄っぺらな警戒心を捨て去っていた。鍛冶屋なら興味を持つだろうと無造作に出した死神の鎌を一目見て、ピグーは恐れ慄いた。
「な、なんだこりゃあ、とんでもねぇシロモノじゃねぇか。ひょっとして……神器か?」
「触るな定命」
「うおっ!」
神器どころか神そのものである。死神の冷たい声を聞き、ピグーは委縮したが、それでも目を爛々と輝かせ絶対に触らないようにしつつ慎重に鎌を検分した。
ジャレッドは草斑の研究に再び熱を入れはじめ、サララはあれやこれやと雑用を申し付けられ目の回る忙しさだった。
作業の合間に、ジャレッドは重々しく言った。
「世の中にはどうしようもない事があるもんだ。農民に政治はできない。王は野菜を作れない。医者に制度は変えられない。サララ、俺達は医者だ。医者にできる事をするんだ」
「ああうん、そっすね……」
ジャレッドの強い決意を秘めた横顔は、残念ながら茶番に踊らされているピエロそのものだった。サララは真実を告げないでおいた。ジャレッドは勘違いしているぐらいで丁度良いのだという事を学んでいたからだ。
しかしジャレッドの燃え上がる決意と裏腹に、草斑の弱呪化は難航した。弱呪化とは、魔法を弱める事を指す。霊薬精製には欠かせない工程である。
あらゆる霊薬の原料となる霊薬基礎液は、あらゆる魔法を打ち消し、打ち消した性質を反転して保存する力を持つ。つまり炎魔法を打ち消せば消火あるいは耐火霊薬になり、強化魔法を打ち消せば弱体化霊薬になる。病原性の病を打ち消せばその病への特効霊薬の出来上がりである。なお一度魔法を打ち消し性質を反転保存した霊薬基礎液は霊薬へと変じ、魔法を打ち消す力は失う。
この理論に従い、草斑の病原菌を霊薬基礎液で打ち消せば草斑だけを抹消する『絶対草斑殺す霊薬』ができるのだが、問題は霊薬基礎液の消魔力の弱さにあった。
霊薬基礎液は魔法を打ち消す力をもつが、その力は大変弱く、すぐ負けて魔法に染まる。カラカラに乾燥した枯草すら燃やせない貧弱な炎魔法に、これだけあれば十分だろうとコップ一杯の霊薬基礎液をかけたところ消せなかった話は有名である。しかも魔法に負けた霊薬基礎液は魔法を打ち消すどころか逆に助けてしまう。つまり弱々しい小さな魔法火にコップ一杯の霊薬基礎液をかけると火が強化され火柱が上がるのだ。
霊薬基礎液で消せる火魔法は雨粒一滴を熱するだけで精一杯、というぐらいにまで弱めに弱めたものに限る。そうして作られた対火霊薬はモノによってはドラゴンの炎すら防ぐ絶大な効力を発揮するのだが、霊薬基礎液に負けるほど繊細で儚い魔法を行使できる者は少なく、霊薬の生産量も同様に少ない。
このような性質から、霊薬基礎液は魔法強化薬として利用される場合がほとんどである。エーテルを飲んで魔法を使えば簡単に強化できるからだ。霊薬基礎液を語源通りに霊薬の基礎液として使うのは医者か専門の職人ぐらいだ。
さて、ジャレッドが試みている抗草斑霊薬の精製では草斑のとんでもなく高い弱呪化耐性が問題として立ちはだかった。
草斑は弱呪化に強かった。ちょっとやそっと小突いたぐらいではまるで弱らない。俺は弱呪化なんかに絶対負けない! と言わんばかりにビクともしない。しかし業を煮やして思い切って弱らせにかかると、今度は弱呪化には勝てなかったよ……と言わんばかりにコロリと死滅する。つまり、草斑は、元気いっぱいか屍かの二つしかないのだ。弱っている、という中間地点が存在しない。
弱呪化されず元気いっぱいの草斑病原体を霊薬基礎液に入れると、貧弱な霊薬基礎液は病原体に負け、病のスープと化す。
かといって草斑を殺し切ってしまうと、草斑の魔法の力は失われる。霊薬基礎液は存在しない魔法を打ち消す事はできない。死滅した草斑病原体に、霊薬基礎液は反応しない。
草斑治療霊薬を精製するためには弱呪化した草斑病原体が必要になる。
しかし草斑病原体を弱呪化しようとすると、効果が無いか死滅するかの二通りの結果になる。
従って草斑病原体の弱呪化は不可能である。
これまでは。
ジャレッドはこの不可能を覆すために挑戦しているのだ。
では具体的にどうするか……というところまでサララは懇切丁寧な説明を受けなんとか理解できたが、問題の解決方法は思いつかない。熟練の天才医師ジャレッドでさえ分からない問題を、医者の助手の見習いが分かる訳がない。
ジャレッドが仕方なく妥協案として提示した解決策は単純だった。即ち、数をこなす。
草斑病原体に対し、思いつく限りの種類・強さの刺激を片端から与え、一見無駄に思える事でもまだやっていないのならば試す。そして反応を観察し、記録し、莫大な量の記録を精査整理して法則性を導き出すのだ。
延々と草斑病原体に刺激を与え観察するだけの単調な作業に、二人は金と時間をしこたまつぎ込んだ。試験のために八百個もの霊気瓶を注文し、その一つ一つに手作業で単離した影骨を慎重に入れ、ほんの少しずつ条件を変えて培養し、変化を見逃さないよう四六時中観察する。
ひたすら地味で、退屈で、全てが無意味なのではと思えるほど平坦なあまりにも長い実験の日々。二つの晶腫を極大奇石と偽って売って得た大金を丸ごと突っ込んだ時はサララも閉口した。自分の内臓を貴重な食材として買い取られた気分だった。
ジャレッドに病の治療法を電撃的に閃くような素質はない。だが、無数の実験や臨床試験を繰り返す事で確実に治療法を確立していく稀有な才能があった。世の中に先人が発見した治療法をなぞる事すらできない医者や、知らない病=不治の病と決めつけてかかる医者が溢れかえっている事を思えば、ジャレッドの才能は常軌を逸している。
何しろ、時間と道具と被検体さえ揃っていればどんな病であれ一歩一歩治癒法に迫り、いずれ確実に見つけ出せるのだ。
もちろん治療法確立の代償は大きい。成功までの過程で多くの失敗が量産される。草斑もそれは変わらない。
十匹いた豚のうち、一匹は魔力の暴走で爆発四散し、一匹は翼を生やして空の彼方へ逃亡し、一匹は全身から草をもっさり生やして土に還った。
金がかかり過ぎる、明らかに割に合わない仕事でもあった。ピグーに注文した液針器がどれほどのものかはジャレッドだけが知るところだが、草斑病の治療法開発にかけている金は確実に液針器を普通に発注するために必要な費用を十倍は上回っている。
豚を治す代わりに液針器を作ってもらう、という交換条件ではあるが、治療を諦め素直に現金払いで液針器を作ってもらった方が間違いなく安上がりだった。
「方針を変えようと思う」
丸々一か月何の成果も手掛かりも得られず、無精ひげを伸ばしたジャレッドは覚え書きや図式で埋め尽くされた羊皮紙の束を片手に疲れ切ったため息を吐いた。
「俺が草斑に感染して、魔力を操作して培養条件を探る」
「ぅえ!? 自分から病に罹りに行くって事か? いやそこまでする事ないって、不治の病なんだろ? 治らなかったらどうするんだ」
「草斑は命に関わる病じゃない。最悪治らなくても肉が不味くなるだけだ。俺はやるぞ」
ジャレッドはきっぱり言った。
サララの危惧と裏腹に、新しい試みはたちまち功を奏した。自らに草斑を感染させて三日後、夜中に飛び起きたジャレッドは寝ぼけ眼のサララを叩き起こし、興奮して死神を胴上げしながら意味の分からない専門用語をまくしたてた。サララはたっぷり一時間勢いに押されて意味不明な呪文を呆然と聞いていたが、やっと草斑の弱呪化に成功したらしい事を理解した。
ジャレッドの情熱は全く衰えず、怒涛の勢いで古来より不治の病とされてきた草斑の治療法を解き明かしていった。時に三日三晩不眠不休で徹夜をし、ふらふらになりながら治療霊薬の試作を作り上げたりもした。それを張り倒して無理やり寝かせるのも助手の仕事だった。
ジャレッドがこれほど時間に追われたように研究に打ち込んでいるのはピグーの嘘を信じているからだった。これから半年間の断食が待っていて、それまでに美味しい肉を食わせてやらなければ可哀そうだと思い込んでいる。しかし可哀そうなのは嘘を信じて自分の体を壊す勢いで研究をしているジャレッドの方である。休めと言っても休んでくれない。
ピグーとの仲が気まずくなってもいい。サララはジャレッドに真実を告げる事にした。霊気瓶の空き瓶が散らかった部屋で、影骨を出し日課の奇石お手玉訓練をしながらサララは恐る恐る切り出した。
「あのさ、ジャレッド。ピグーが言ってた、えー、半年断食してって話なんだけどさ。本当は……」
「ああ、嘘なんだろ?」
ジャレッドは青緑色に発光する液体が入った霊気瓶越しにサララを見ながら事も無げに言った。サララは目を瞬かせた。
「気づいてたのか?」
「当たり前だろう、最初は騙されたがすぐに気づいた。医学的に考えて半年の断食に人間の肉体が耐えられる訳がないからな」
全くその通りだった。ジャレッドは信じやすいが決して馬鹿ではない。サララは無意識にジャレッドをクソ間抜け扱いしていた自分を恥じた。医学的に考察するまでもなく分かる事であるし、一瞬でも信じる方がおかしいのだが。
ジャレッドは続けた。
「だから本当は半年ではなく三か月おきに断食してるんだろ?」
「おっとー、そう来たか。違うんだよなぁ。いや、あのな」
「皆まで言うな、分かってる。最初は騙されてやってたが今は楽しくてやってるんだ。やっぱり病の治療法を考えてる時が一番楽しい」
何も分かっていなかったが、ジャレッドは本当に楽しそうだったので、痩せこけた顔に浮かんだ満面の笑みを歪ませるのが忍びなくサララはそれ以上の言葉を重ねるのをやめた。
やがてピグーの依頼から二か月を経て、草斑の治療霊薬は完成した。サララが薄緑色の霊薬を影骨ですくって患部に塗り込むと、豚とジャレッドの影骨に生えていた非実体の草は死神の吐息を浴びたように一瞬で枯れ萎び崩れ、空気に溶けて消え去った。
ジャレッドは腕組みをして見守っていたピグーにニヤリと笑い草斑治療霊薬の瓶を振ってみせた。
「どうだ、やってやったぞ。これは液針器と交換で渡してやる」
居間の端には既にサララとジャレッドの旅の荷物がまとめて置かれ、レイヴァルを去る準備が済んでいた。霊薬が完成した以上いつまでもだらだら世話になる訳にはいかないし、レイヴァルに居る興味深い患者は粗方診てしまったため用がなくなったというのもせっかちな出立の理由の一つだった。
最終的にジャレッドは古来から不治の病とされ医者が匙を投げていた草斑をたった二か月で治したのだが、尋常の医者ならば聞いただけで驚きのあまり魂が口から飛び出すようなこの飛びぬけた偉業を、生粋の鍛冶師たるピグーとその妻スクローファはいまいち理解できていない。
だが、二人は二人なりに深く感心し感謝していた。テーブルの上には二人を送る御馳走が所狭しと並び、ピグーは見事完成した精巧な液針器を三本、布に包み頑丈な木の箱に入れ、霊薬と引き換えにジャレッドに渡した。
脂身たっぷりの分厚いステーキに濃い味のソースをこれでもかとかけて出され、サララはフォークでそれを口に運びながら結局食べ飽きる事はなかったなとふと思った。毎日肉攻めをされ、肉に飽きるどころか好きになっていた。ジャレッドも以前ほど嫌がっておらず、パンにシロップをたっぷり塗って躊躇なくかぶりついている。骨に皮だけが張り付いている有様だった頬が心なしかふっくらしていた。
酔いも回り宴もたけなわというところで、ピグーはとうとう切り出した。
「あー、先生。これはもっと早く言うべきだったんだが。気を悪くせず聞いて欲しい」
「あん? なんだ、怒らないから言ってみろ」
「断食の話はな、嘘なんだ。俺達は食うのが好きだから食ってるだけで、やむにやまれぬ事情なんぞ何もない」
「はぁああああああああああああ!?」
サララが耳を塞いだ直後、ジャレッドは近所一帯に響き渡る素っ頓狂な叫び声を上げた。
「じゃあ全部嘘か! こっちは長い断食前に旨い肉食いたいだろうと思って急いで豚治してやったってのに! 何故騙した! 言え!」
「いや、レイヴァル冗句のつもりだったんだが、先生が信じちまったもんだから言い出し難くてな……」
「はーっ!? そんな理由か! そんな理由で! てめぇもう許さねぇからな! 騙しやがって! 俺の心を弄びやがってこの野郎! 死神病治したらまたたらふく肉食いに来てやるから手を洗って待ってろ!」
「ああすまなかっ……なんだって?」
「首洗ってじゃなくて?」
「首なんて洗ってどうするんだ。ああくそっ、旨い! こんな健康に悪い物毎日ばくばく食いやがって! 絶対! 寿命! 縮む!」
ジャレッドは悪態を吐きながら蜂蜜たっぷりのコンポートをかき込み、度数の高い奇石酒で喉の奥に流し込んだ。
食事を終え一休みして、いよいよ出立する二人をピグーとスクローファは玄関まで見送りに立った。
「寂しくなるねぇ。はい、これ持ってきな。もっと太って良い女になるんだよ、お姫様」
「うぇっ!?」
塩漬け肉の包みを受け取り固まるサララにスクローファは腹をぽんと叩いて笑った。
「エルフィリアがバラ撒いてる手配書のお姫様と名前が同じ、顔も同じ。この町に来た時期も時期だ、気付かない方がおかしいさ。本当に隠したければ名前ぐらい変えるこったね」
「は、はい」
「それとこれも持ってきな。あたしが縫った服さ。丈夫だよ!」
「わあ、ありがっ……なんでこれこんなに腹回りだぶだぶなんだ」
「それがぴったりになるまで太れたらサララも大人さ!」
「何なの? スクローファは私を大人の豚にしたいの?」
姦しく話に花を咲かせる二人の横で、ジャレッドとピグーは握手を交わしていた。
「先生よ、旅先でも元気でな。体に気ぃ使って長生きして、また顔見せてくれ」
「ああ、ピグーも暴飲暴食は控えて……いや、それはいいか。そういう生き方もあるんだよな。でも少しは痩せとけ」
ピグーは頷き、最後にためらいがちに言った。
「なあ、先生よ。答え難かったら答えなくても構わんのだが、医者のアンタがあんな呪われた神器持ってるのは一体どういう訳なんだ?」
ジャレッドは少し考えて答えた。
「今度会うときピグーが痩せてたら教えてやるよ」
心底困り顔を浮かべるピグーを笑い、ジャレッドとサララは手を振ってレイヴァルに別れを告げた。




