巨影症2
座っているだけで旅程が進むというのは全く快適そのもので、新しい荷物を邪魔そうにしていた荷馬車の御者もスクローファ特製の塩漬け肉を二袋と奇石酒一瓶を渡すと機嫌を直した。
ジャレッドは早々に荷物に混ざっていた医学の稀覯本を見つけて読み耽り始めたので、サララが代わりに情報収集をした。いつもの事だった。
「俺達はなぁ、開戦を左右するエルフィリアの大使殿をキオの首都までお送りしてるのさ」
御者は奇石酒を一杯やり、小炎息で塩漬け肉を炙りながらのんびりと語った。
「見ての通りのロクでもねぇ奴だが、なんせエルフィリアの全権大使の上非戦派だっていうじゃあないか。大使殿に何かありゃ即開戦、無礼を働きゃ俺達の首が飛ぶ。いや無礼をして欲しいんじゃあないかってぐらい酷い人選だとは思うがね。従わんわけにもいかん、守らんわけにもいかん。いや全く面倒な仕事さ」
酒に弱いのか、御者はペラペラ喋った。
「医者がどうとか言ってたのは?」
「ああ、なーんか大使殿は魔力が回復しない病になっちまったらしくてなぁ。治せ治せと喚く割に霊薬を渡せばこんな不味いもん飲めるかと突っぱねる。ほとほと困ってたところだ」
「魔力が回復しない……ジャレッド、ジャレッドなら治せるか?」
「あ? あぁ」
話を振るとジャレッドは本から目を離さず生返事をした。ジャレッドの耳を引っ張り耳元でもう一度事情を説明すると、ようやくまともに答えた。
「詳しく診ない事には分からん。そうだな、抜き打ち試験だ。想定される病名を挙げてみろ」
「えっ、えーと、奇石吸収不全、精霊寄生、あー、ドラゴン熱! それと、んー……」
「巨影症、泥痘、ハリハリハラ病。重篤化した時遅れもそうだ。全部治療法が確立した病だな。診ても面白くもない。何か珍しい霊薬をくれるってのなら話は別だが、あんな嫌味な奴は診たくない。放置だ放置」
言う通り、ジャレッドは無関心に読書に戻った。サララも別にコイッカス全権大使が心配なわけではない。不愉快な話題はさっさと打ち切り、すぐにスープの出汁の取り方についての話に夢中になった。
事が起きたのは夕方だった。まず聞こえたのは一団の後方からの地響きだった。山がちなキオの山道で崖崩れや落石など珍しくもない。サララは気にしなかったし、揺れる馬車の上で読書して酔っていたジャレッドはぐったりしたまま無反応だったのだが、一団に不安げなざわめきがはしった。皆、耳を澄ませているようだった。
続く二度目の地響きが届くや馬に鞭が入り、馬車は一斉に急加速した。
「な、なんだぁ?」
飛び起きたジャレッドに答えを与えたのは、遠く後方の木々の樹冠の上に伸び上がった髑髏だった。西日を受け血のようにむき出しの骨を染め上げた巨大骸骨が、地響きを立てながら馬車を追いかけてきていた。
「うわわわわわっ! なんだあれ! やばいやばいこっち来てる!」
「おー、巨影症だったか。拗らせたなぁ」
二人で猛烈に揺れる荷台の端にしがみ付いて後ろを見ると、骸骨は巨体に見合わない俊敏さで少しずつ距離を詰めて来ていた。近くにくると改めてその大きさに圧倒される。攻撃されるまでもなく、倒れこんでくるだけで馬車は容易く潰れるだろう。
「総員、迎撃用意!」
勇ましい声に振り返ると、使節団護衛隊長アキュードが馬車の上に仁王立ちして抜剣し骸骨に向けていた。馬車の一団から太った騎士を乗せた太った馬が数頭別れ、速度を落とし巨大骸骨を取り囲んだ。そして全員が手綱から両手を離し口元に当て大声で叫ぶような姿勢を取る。
サララは婆やに軍用魔法を叩き込まれていたため、護衛隊が使おうとしていた魔法に察しがついた。加勢しようと、騎士達と同じように両手の人差し指と親指で輪を作り魔力を厚く張って、骸骨に向けた。影骨を溶かし肺に魔力をたっぷり貯め、息を大きく吸い込む。
「待て! 攻撃するな!」
「むぐ!?」
大炎息を放とうとしたサララはジャレッドに口を押さえられ舌を噛みそうになった。
「護衛もやめ」
「放て!」
制止の声は届かず、アキュードが張り上げた号令と共に青白い炎が吹き上がり骸骨を包んだ。が、炎を突き破り、平然と突進してくる。正面にいた騎士が蹴り飛ばされて落馬した。
ジャレッドは悲鳴を上げる。
「うわぁあああああ! ばっかお前ら何をやってるんだ! やめろやめろ! ふっざけんな!」
「怯むな、第二射用意!」
またしても制止は馬車の車輪と荷物が跳ねる音、馬の蹄の音にかき消され届かなかった。
二度炎を浴びせかけ、焼け焦げて脆くなった骸骨を騎士達が剣で裂き戦槌で殴り始める。骨はボロボロ欠けていったが、太く長い骨を砕くには威力が弱い。また一騎、騎士が蹴り転がされ落馬する。ジャレッドとサララは馬を借り、逆走して落馬した騎士達の救助に向かった。
いくら攻撃されても巨大骸骨は怯まず、何かに引き寄せられるように突進をやめない。苦戦する騎士達に森の中から一つの影が飛び出して加勢した。
それは子供ほどの大きさの四足獣だった。艶やかな長い漆黒の毛皮で全身を覆われ、顔は垂れ下がった長毛の中から鼻先だけが突き出ている。黒い獣は骸骨の肋骨を足場に巨体を駆け上がり、頭蓋骨に噛みついた。襲撃がはじまってから初めて骸骨がよろめく。騎士達は予想外の援軍とその成果に快哉を上げたが、すぐに恐怖の声に変わった。
「バクルク……」
「そんなまさか」
「バクルクだ……!」
薄暮を背に、巨岩のような頭蓋骨を牙と爪だけで半壊させている獣の漆黒の毛皮が血に濡れたように怪しく光る。騎士達のどよめきに、落馬した患者を乗せて追いついてきたジャレッドは自分の名前を呼ばれたようにおどおどした。
「な、なんだ? 俺の悪口か? そういうのはやめてくれ悪口は心の中で言えよ口に出すな傷つくから」
「ジャレッド、ジャレッド。そうじゃなくて、あっち」
噂には聞いていたが、サララはバクルクを生で見るのは初めてだった。
バクルクはバクルク・ジャレッドの由来になった獣である。それは確かに残忍な獣であるとされているのも納得の生き物だった。
長毛から僅かに覗く赤い目は血に飢えたように爛々と輝き、骸骨を大きく破砕するたびにぞっとする甲高い雄たけびを上げる。更に黒く長い体毛が意思を持ったように不気味に蠢くのだ。巨大骸骨を相手取る八面六臂の活躍は頼もしさよりも恐ろしさが際立った。一挙一動が心を不安にざわつかせる。
骸骨との闘いはバクルクの勝利に終わった。馬の限界が来ていた馬車隊が自然と速度を落として止まり、指揮を執っていたアキュードが騎士達に合流する。
「バクルクか。殺せ」
アキュードは骨の残骸の上に立つバクルクを一瞥し、端的に指示した。騎士達が輪を作ってバクルクを包囲し、じりじりと距離をつめる。バクルクはジャレッドに目を止めると、鼻を鳴らして臭いを嗅ぎ、尻尾を勢いよく振って小走りに近づいてきた。
ジャレッドは平然としていたが、騎士達には緊張が走った。ジャレッドに拾われ落馬の傷を癒して貰った騎士が剣を抜き、バクルクの前に立ちはだかる。
「おい、この畜生め! 先生はやらせんぞ!」
バクルクは困惑したように足を鈍らせ、騎士を迂回しようとする。騎士はバクルクを通さない。ジャレッドは頭を掻いた。
「そう警戒しなくても大丈夫だ。バクルクは人を襲わない」
「何を言っているんだ。そいつが骸骨を噛み殺したのを見ていなかったのか? 気を抜いたら先生も殺されるぞ」
「医師ジャレッド。我が騎士を治療して頂いた事に感謝する。しかしその獣は危険なのだ、下がっていてはくれないか」
アキュードもバクルクに剣と険しい目を向けている。まるで巨大骸骨より危険な怪物が現れたかのような反応だった。
サララはそれが誤解だという事をジャレッドに教えられ知っていた。
残虐で、殺戮を好む、残忍な凶獣だというバクルクの噂は真実ではない。
サララは騎士の横をすり抜けてバクルクの横にしゃがみ込んだ。
「よせっ! 離れるんだ! 殺されるぞ!」
アキュードが鋭く警告を発するが、サララは意に介さない。自分を見上げるバクルクの柔らかい毛皮をつつき、撫でまわした。バクルクは低い断末魔のような唸り声を上げ頭をサララに擦り付けてくる。鳴き声はともかく、人懐っこい家畜のようなその反応に騎士達は困惑する。
「見ての通りバクルクは人畜無害だ。剣を下ろしてやってくれ」
しかし騎士達は剣を下ろさない。ジャレッドは仕方なく事情を説明した。
「バクルクは死神の眷属だ。悲惨な死が待つ者の前に現れ、命賭けで助けようとする。そんな事は憑かれた本人に分かりはしないから、縁起の悪い死の前兆だと思われているだけだ。実際ほとんどの場合バクルクの努力も虚しく目も当てられない死に様を迎える訳だからそう思われるのも分からんでもないが。誰だって惨死体の前に気味の悪い獣がいたら誤解する」
「よーしよしよしよし。ここか、ここが気持ちいいのか」
サララが顎をくすぐると、バクルクは鼻をぴすぴす鳴らし毒々しい紫の牙を長毛の間から覗かせる。職人が染め上げた最上級の絹糸のような漆黒の毛からは濃い墓土の匂いがした。アキュードは半信半疑でジャレッドに言った。
「どうも信じられんな。死神の眷属だというのなら尚更危険ではないか」
「モルスロムは無差別殺人する神じゃない。眷属もそうだ」
「おいっ、神の御名をみだりに口にするな! 機嫌を損ねるぞ!」
「俺は良いんだ、そう呼べって言われてるから。とにかく死神の眷属だから危険だ、殺戮者だというならサララに大人しく撫でられているなんておかしいだろう」
「む。それはそうだが……!?」
ジャレッドからバクルクに目を戻したアキュードは言葉を失った。死神がバクルクを膝に乗せ、手に乗せた得体の知れない触手の塊のようなものを食べさせていたからだった。バクルクは千切れんばかりに尻尾を振り触手の塊をがっついている。
人間は男と女を見分けるのと同じように、神を神と見分ける事ができる。騎士達は目の前の存在が最高位に列せられる偉大なる死神である事を知り、一斉に武器を投げ出し畏怖と恐怖に震えながらその場に跪いた。
「可愛い可愛い、私のバクルク。もうすぐ父ができますからね。良い子でいるのですよ」
死神が優しく言うと、バクルクは食べるのをやめてジャレッドを見て、駆け寄り、押し倒して顔を嘗め回した。
騎士達はそれを見て恐れ慄き、ジャレッドはその三倍も慄いた。
「馬鹿野郎誤解させるような事言うな! 俺は死神になんてならんぞ!」
「い、いずれの神か存じ上げませんが大変失礼を致しました!」
「待て待て待てアキュード、俺はまだ人間だ! 死神になんてならな、おい舐めるのやめろ!」
「まだ人間? それはつまり……」
「違ぁう!」
混乱はサララがジャレッドからバクルクを引きはがし、死神が鎌の姿に戻るまで続いた。




