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死神の天敵  作者: 黒留ハガネ
症例2 草斑
7/17

草斑4

 ジャレッドはピグーに気に入られ、治療の間は鍛冶屋の二階に住まわせて貰える事になった。宿屋から荷物を移動させ、その日のうちから早速草斑への挑戦が始まった。


 草斑は感染力が弱いため、人間ならよほど魔力が低下していなければ感染する事はない。サララとジャレッドは特に防疫に気を張る事もなく、まず手分けして豚達の影骨を霊精刀で少しだけ削って霊気瓶に入れていった。

 サララは毎晩霊精刀の使い方を練習していた。足で持っているのかというほどぎこちない動きだったが、ジャレッドが九匹の豚から採取している間に一匹分は済ませる事ができた。


「治療までの道筋は簡単だ。影骨を培養し、草斑病だけを単離。もう一度培養して増やして、弱呪化したのち対抗霊薬を精製する」

「あー、っと……?」


 霊気瓶の蓋を閉めながらなんでもない事のように言ったが、サララは半分しか理解できなかった。ジャレッドは詳しく説明する。


「この豚達は草斑病に感染してるわけだが、実は潜在的に別の病にも感染している。症状として表れていないだけで、生物は常に何かしらの病に罹り、自覚しないままそれに抵抗して治している。何かしらの理由で抵抗力が弱まると、普段抵抗できていたものに抵抗できなくなって発症するわけだな」

「人間も?」

「人間もだ。潜在的に病を抱えているのはどの生物も変わらん。だから、草斑病に罹った影骨をこうやって採取したら、魔力を与えて培養。培養され肥大化して引き延ばされた影骨から、草斑病にかかった部分だけ切り取る。これで草斑病の病原体だけを取り出せる。これが単離だ」

「なるほどなー」


 サララは頷いた。料理を零したシーツを引っ張って伸ばして、肉のシミだけ選んで切り取るようなものだと理解した。


「単離した草斑病の病原体にまた魔力を与えて増やし、それを刺激して弱らせ弱呪化させる。あとは弱呪化した草斑病原体を霊薬基礎液(エーテル)に漬けて一晩か二晩魔力を注げば対抗霊薬の完成だ。対抗霊薬を患部に塗れば草斑病は治る」

「なんだ簡単じゃん」

「理論上はな。俺も草斑に試した事が無いからわからんが、この方法でもどこかで躓いて行き詰まるから治療不可能なんだろう。まあ、とりあえずはやってみるか」


 ジャレッドは霊気瓶に程よく魔力を与えて培養する方法を丁寧に教え、実演して見せた。多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない。培養する病原体の種類によって丁度よい魔力量が異なるため、ひとまず標準的な量の魔力を与えて様子を見る事にした。


「次は?」

「これだけだ。結果が出るまで二晩待て」


 霊気瓶を二人の部屋として宛がわれた客間の棚に並べ、しばらく待ちに入る。それまでの病巣の切除や傷ついた魔力器官を癒すだけの治療と違い、本格的な長期戦になりそうな予感がした。

 結果が出るまでの待ち時間を、二人は市場に出て治療試験でこれから大量に必要になる霊薬基礎液(エーテル)の買い集めに費やした。霊薬基礎液(エーテル)は奇石を醸造した酒である奇石酒(キーン)を更に蒸留して作られる。各家庭で自家生産した余りが売りに出されるのが通例である。


 ジャレッドの霊薬基礎液(エーテル)目利きは熟練の域に達していて、サララに講釈しながら品質にバラつきの激しい霊薬基礎液(エーテル)の中でも良いものだけを選りすぐって購入していった。案の定足元を見られ買い叩かれていたので、相場を把握してからはサララが売買交渉を一手に請け負った。

 ジャレッドの助けになる事ができ、サララは嬉しい。金の節約ができてジャレッドも嬉しい。嬉しいジャレッドを見て死神も嬉しい。全員幸せになれる。


 ピグー夫妻はどうやら自分達を太らせて食うつもりらしい、と気付いたのは昼前に軽食ばりのおやつが出され、昼過ぎに骨付き肉とパンとスープの軽食が出てきたからだった。サララはパンを半分だけ食べて残すと、ピグーの恰幅の良い妻――――スクローファは病ではないかと心配し始めた。


「サララちゃん、お腹の調子でも悪いのかい?」

「いや普通」

「じゃあなんで食べないんだい」

「なんでって、お腹いっぱいだから。こんな食べたら太っちゃうだろ」


 守護神になるべく図太く育てられてきたサララも年頃の娘である。腹回りも腰回りも気になる。ジャレッドの前ならなおさら、いくら美味しくてもがっつく訳にはいかない。


「なーに言ってんだい、太ればいいじゃないか! 幸せな証拠だよ! 食べな、もっと食べな! 食べなきゃ大きくなれないよ! ここもね!」

「あ、ちょっ、にゃー!」


 豪快に笑うスクローファに胸を叩かれ、サララは細い悲鳴を上げた。スクローファは言うだけあり豊かな胸をしていたが、腹と腰はそれ以上に豊か過ぎたので全く羨ましくなかった。サララがくすぐられている横で、ジャレッドはピグーのむっちりした手で口に肉を突っ込まれ白目をむいていた。


 重すぎるおやつをやっと消化しはじめたと思えば夕食の時間で、夕食を食べ終わればすぐに夜食が運ばれてきたため、二人は必死に固辞してよろよろと客間に逃げ込んだ。腹がはちきれそうで、吐き気がするほど満腹でも十分美味しい料理であるのが最高に最悪だった。


「通りでキオの奴らはみんな太ってる訳だ」


 痩せすぎだと心配するピグーに体重と同じぐらいの料理を口に押し込まれていたジャレッドが立ったまま青い顔で言った。座れば口から出そうだった。サララも壁にもたれて目を閉じ力なく同意した。

 キオに入国してからというもの、一人として痩せた人間に遭っていなかった。キオの民は食事に並々ならぬ情熱を燃やしていて、飽食は人生であり、太る事は美徳だった。


 テーブルに着いた死神が瘴気を纏った得体の知れない肉をナイフで優雅に切り分けながら気づかわし気に言った。


「私はジャレッドが太っても好きですよ?」

「うるせーよ。肉やめろ、今は見たくもない」

「死神は太るのか?」

「星を一つ二つ食べたぐらいでは太りませんね」


 サララは突っ込む気力も無かった。

 上手く影骨が培養される魔力量を見つけるまでに一週間かかった。草斑病は高魔力環境下では成長が鈍り、低魔力環境下で増殖する事が判明した。


 単離した草斑病をまた二晩かけて増殖させている間、サララは影骨で奇石をお手玉して影骨の固定精度を上げる訓練をしていたのだが、なんとなく腹に違和感を感じた。一日中満腹の暮らしを続けていたせいで腹が出てこないか気が気でないのはいつもの事だが、この違和感は何か違う。月瞳を凝らして腹を見てみると、下腹部に何か小さな影がぼんやり見える、ような気がした。


 サララに疑念を告げられたジャレッドは目を細め、次に怒り出し、すさまじい剣幕でピグーの元へ怒鳴り込んだ。


「ピグー! お前のせいだぞ!」


 金床に据えた延べ板に金槌を振るっていたピグーは汗を拭いながら振り返った。


「なんだ、なんの話だ」

「すっとぼけやがって、視ろサララのこの有様を! 視えないか? 晶腫が再発してやがる! ピグーが無茶苦茶に食わせるからだ! 俺は何度も言ったよなぁ? 暴食は体に悪いからやめろと!」


 サララは蒼褪め、ピグーは目を瞬かせた。


「そいつも治らない病なのか?」

「治る。初期段階だし簡単な位置だからな、なんだったらサララが執刀しても切除できる程度だ。しかしピグーの暴飲暴食の押し付けのせいでこうなったんだ。治る治らないの問題じゃない。そもそもの食生活が――――」

「いや、治る治らないの問題だ」

「ああ?」


 治ると聞くやまた金槌を振るい始めたピグーを、ジャレッドはドスの効いた声で唸り睨んだ。


「俺の嫁の飯は旨かったろ?」

「ああ旨かったさ。旨すぎて腹はちきれるほど食って、食わされて、このザマだ」

「旨かったならいいだろ」

「良いわけあるか。サララも言ってやれ」

「あ、ああ。私も死ぬのはヤだ。もう病にはなりたくない」

「はん! 健康に気ィ使って、毎食薄いスープに味の無いパン、兎みてーに葉っぱばっか食って肉は禁止ってか。そんなの生きててもつまらんだろうが」


 ピグーはフゴッと鼻を鳴らした。


「早死にしたって構いやしねぇ。俺達は、キオの民は、旨いモンを毎日たらふく食って幸せに生きてぇのさ」


 ジャレッドはいつ死んでもおかしくないような死神の病と闘い続けてきた。死にたくない、死にたくない、と思い続けてきた。しかしピグーは早死にしても構わないという。これほど神経を逆なでするセリフはなかなかない。


「この馬鹿野郎!」


 ジャレッドは吐き捨て、当事者であるにもかかわらず半分話についていけていなかったサララの手を引いて二階に戻った。

 再発した晶腫はパンの焦げ目を削ぎ落すように造作もなく切除され、サララは一度は自分を殺しかけた病が再発したのだという恐れもあまり持てないほどだったのだが、医者としての立場がそうさせるのか、ジャレッドはこの件を深刻に捉えていた。ジャレッドは断固として間食を断り、食事を残すようになり、サララにもそうさせ、ピグー夫妻にもしつこく減食を説いた。


 ピグーもピグーで、執拗に食事の献立に口出しするようになったジャレッドを疎ましく思っていた。奇石の量を減らせ、塩をかけすぎるな、野菜を食え、など、何か言われるたびに舌打ちをした。まだ食べられるのに料理を残すと、まるで殺人でも犯したかのように怒った。

 ジャレッドは頑として健康食を主張し、ピグーは張り合うように手ずから美味しく健康に悪い料理をこれでもかと作って出した。


 食事の席で顔を合わせるたびに二人は睨みあった。食卓の空気は悪くなった。サララはジャレッドの味方だったが、居心地は悪かった。スクローファは夫と客人の間を取り持とうとしたが、二人とも「あちらが悪い」と取り付く島もない。

 やがてジャレッドは草斑の研究に身が入らなくなり、ピグーの液針器の試作品は棚に置かれたまま埃を被りはじめた。


 不貞腐れて部屋でごろごろしながら医学書を読むジャレッドを、死神は笑顔で眺めていた。ジャレッドが何をしていても、死神は嬉しそうである。漂う嫌な空気を払拭する気は無いようだった。


「俺もなあ、少し食べ過ぎぐらいなら気にしないさ」


 サララが仲直りするつもりはないのかと聞くと、ジャレッドはバツが悪そうにした。


「居候させてもらってるしな、食事出してもらってケチつけるのもおかしい。でもな、限度ってもんがある。自分が食べるのが好きだからって俺達に押し付けるなよ。なあ」


 サララは頷いた。全くだった。毎日寝るたびにベッドが少しずつ深く沈みこむようになっていくのは恐怖そのものだ。ジャレッドが食事制限をかけなければ、いずれ豚小屋で寝ていても違和感がない体型になっていただろう。


「この家から出てくか? 外で宿とれば無理やり食べさせられる事もなくなるし」

「でもそうするとピグーもスクローファも暴飲暴食を続けるだろう。あんな調子じゃいつかどうにかなる。改めさせるべきだ。晶腫ならまだいいが、死病に罹ってからでは遅い」


 言っている事はお節介そのものだったが、実際に死病を抱えているジャレッドの口から出ると力強さが籠っていた。


「良い奴らに早死にして欲しくない。サララ、俺は間違ってるか?」

「いや」


 ジャレッドが直接言ってもピグーは素直に聞かないと考え、サララは伝言役になる事にした。しかしピグーはジャレッドに言われ減食しているサララにも反感を持ち話を聞こうとしなかったため、スクローファに話を持って行った。台所で大鍋になみなみと入った十人前はあろうかというスープの火加減を見ていたスクローファは、話を聞いて嬉しそうに笑い腹を揺らした。


「なんだい、医者先生も可愛いところあるじゃないか。あたし達が心配だなんてね」

「んー、まあ、外国の人がキオ人見たらみんな心配になるんじゃないか。みんな食べ過ぎ。めちゃめちゃに食べて早死にするより、ちょっと食事減らして健康にも気を使った方がいいと思う。それで長生きすれば、長生きした分だけ食事の回数が増えて、結果的にたくさん食べれる。ほら、悪い事なんて何もないだろ」


 論理で説得にかかると、スクローファは苦笑いした


「そうできればいいんだけどねぇ。ほら、キオはよくエルフィリアと戦争するだろ。最近もエルフィリアが守護神様を喚んでまたぞろおっぱじめようとしてるなんて噂がある」


 急に自分の話を出され、サララはびくりとして反射的に謝りそうになった。幸いスクローファは不審な挙動に気づかず続けた。


「レイヴァルはエルフィリアとの国境に一番近い町だから、戦争が起きた時真っ先に前線に出るのはあたし達さ。死んじまえばもう何も食べられない。戦場で死ぬとき、『ああ、あれ食いたかったなあ』なんて思わなくてもいいように、あたし達は毎日旨いものをたらふく食べておくんだよ」


 サララは絶句した。刹那的で無計画に思えた暴飲暴食の裏には考えていたよりもずっと深刻な背景があった。健康に悪いから止めろ、といっても聞かない訳である。不健康で死ぬ未来より、戦場で死ぬ未来の方がずっと身近なのだ。健康に悪いから、という言葉は、健康を気にする余裕がある者にしか届かない。

 スクローファはスープを味見して、満足気に頷き、サララにも少し分けた。


「ってのが最近レイヴァルで流行ってる冗談さ」

「……え?」

「レイヴァルっ子はエルフィリアから来た連中にやれ食いすぎだ、それデブっちょめってひっきりなしに言われるもんだから、昔っからこういう冗談は山ほどあるのさ。戦争になったらすぐに兵隊さんが来て、あたしたちゃ真っ先に避難する。死にゃあしないよ」

「じゃあ」

「ああ、レイヴァルっ子は食べるのが好きなだけだよ。深い意味なんてありゃしない。旨いから、食べる。簡単だろう? ああそれと、サララちゃんは嘘を見抜く練習をしといた方がいいね。ただのレイヴァル冗句なのにあんまり深刻な顔をするもんだから、タネをバラしにくくなっちまったよ」


 サララは渡されたスープを味見をした。奇石も塩もたっぷり入った体に悪そうな濃い味のスープだったが、確かに美味しかった。


「旨いだろ? あたしの特製スープさ。体にゃ悪いかも知れないけど、これが最後の晩餐になっても悪くない」


 真面目くさってあんまり深刻な顔で言うものだから、サララは思わず笑った。

 間を置かずしてジャレッドもレイヴァル冗句にやられた。


「レイヴァルはな、半年食べたら半年絶食する決まりがあるんだ。たらふく食って太っとかなけりゃ、絶食の半年で餓死するのさ。だからガタガタ言うな」


 というのは食事がー減量がーとしつこくつきまとうジャレッドへの投げやりなピグーの言葉だったのだが、例によってジャレッドは丸ごと信じた。


「すまなかった。そんな事情があるなんて知らなかったんだ。無知な俺を許してくれ……!」

「お、おう」


 涙ながらに謝られ、ピグーは目を泳がせた。意図せず騙してしまった罪悪感がのしかかり、しかしジャレッドが何の疑いも持たず信じ込み心から憤慨しているのを見ると、やっぱり嘘でしたとは言えなかった。

 二人は固く握手し、肩を叩きあった。淀んだ空気は消えていた。

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