草斑3
もっと早く言え、と死神に罵声を浴びせながら宿屋を探し転がり込んだ時には、既に真っ暗になっていた。小太りの宿屋の主人が帳簿に二人の名前を書きつけながら不躾に尋ねた。
「あんたらどういう関係だ? 乞食と……家出して乱暴された御令嬢に見えるが」
サララはそこで自分が泥まみれのズタボロドレス姿である事を思い出して顔を赤くした。必要な変装であったとはいえ、街中に出て恥ずかしい恰好であるのは間違いない。
「医者と助手だ」
主人は擦り切れた上に泥汚れの跡が目立つジャレッドのマントを見て鼻で笑った。
「お前さんが医者なら俺ァ医神だよ。まあいい、客だってんなら深くは聞かん。で、何泊だ。食事は? 金持ってるんだろうな」
「それなんだが、誰か治して欲しい奴はいないか? 俺は医者だ。宿代の代わりに治し」
「ウチは現金でしか受け付けてねぇ」
「……分かった。とりあえず、七泊だ。食事は昼夕両方つけてくれ」
金を払い、二人は二階に上がった。当然のように一部屋である。
部屋に入ったジャレッドはまず暗い部屋を明るくするため暖炉に火を入れた。人差し指と親指で環を作りそこに魔力を溜め息を吹き込めば、暖炉の薪に向けて細い火流が奔る。小炎・息と呼ばれる一般的な火魔法である。
薪に火が付いたのを確認してから、荷物を下ろし備え付けの箱に入れ、簡単な盗難防止の魔法をかけたジャレッドはベッドに倒れ込んだ。
ジャレッドが作業をしている間、見た事の無い種類の変わったタペストリーだと思い感心して見ていたものがただの汚れの浮いたカーテンだとようやく気付いたサララは、ふとジャレッドの言葉の妙な点を思い出した。
「なあ、朝食はどうするんだ。昼と夕しか頼んで無かったよな」
「あー……モルスロム、説明」
「それはですね、」
いつの間にか椅子に腰かけ、得体の知れないドス黒い靄の入ったカップを口に着けていた死神が答えた。
「キオでは旅人を含め全ての民が毎日同じ朝食を摂るからです。貧民が朝に野菜屑のスープを飲むなら、王も同じスープを飲む。商人が肉を食べるなら、旅人も同じ肉を食べる。故に朝食だけはわざわざ頼む必要がないのです。頼むまでもなく出るので。ああ、食事代を出せない者がいれば、出せる者が出します」
「出せる者が、って、そんなの絶対出せるのに出さないタダ飯喰らいが出るんじゃないか」
「ふむ、サララはよく問題点に頭が回りますね。しかしそのような事は起きません。キオの『朝の誓い』はプロミシモルプが見張っていますから」
「……誰?」
「契約神です。あの男は勤勉ですから、不正が見逃される事はありません」
「へぇ~……契約神って交戦協定以外もやってるんだ」
サララは感心した。キオ共和国とエルフィリア王国の戦争時の交戦協定が契約神の名の下に誓われている事は知っていたが、キオの誓いは知らなかった。守護神になるべく特別な教育を受けていたサララの知識は偏っていた。
「変な誓いだよな。なんでこんな事してるんだろ」
「昔のキオの王様が贅沢のし過ぎで暴動起こされた時に、二度と同じ事が起きないように誓ったんだとさ。それ以来暴動は三回しか起きてないとかなんとか」
「起きてるじゃん」
「エルフィリアはその十倍は起きてるぞ」
「ウチの国がごめん……」
サララが落ち込み、口を滑らせたジャレッドは慌てて話を逸らした。
「まあその話はいいんだ。明日からはこの街で仕事探しと情報収集をする。変わった病気がないか。難病がないか。貴重な霊薬はないか。医学に関わる話はなんでも集める。病気は治して報酬を頂く。いつもと同じだ。サララは俺を手伝ってくれ。最初は俺について回るだけでいい」
「死神は?」
「私もジャレッドに憑いて回ります」
朗らかに言う死神の黒髪がざわめき、暖炉の明かりが壁におどろおどろしい髑髏の影を投げかけた。
その晩、ジャレッドは早々にベッドに入り爆睡し、サララは自分の服を最低限見られるよう簡単に洗って仕立て直してから同じベッドに潜り込んだ。ジャレッドの胸の鼓動を聞いていると異邦の地にいる漠然とした不安も晴れ安らかな気持ちになれた。死神はジャレッドのマントを繕いながら一晩中祝福を授けた者の寝顔を眺めていた。
翌朝。真っ先に起きだしたサララは寝ぼけ眼で死神を見てびくりと震え、一気に覚醒した。相変わらず窓もドアも閉め切っているのに不自然に揺らぐ死神の髪を見ている内に、自分の髪がぐちゃぐちゃになったままだという事を思い出した。
「婆や、髪……」
いつもの癖で言いかけ、途中でもう王城暮らしではない事を思い出す。しかし幸い、サララは髪結い師の存在を知っていた。婆やがいなくとも髪は整えられる。
「死神、髪結いさんはどこだ」
「サララ、一般市民は自分で結うものです」
「えっ」
サララはまごついた。生まれてから一度も自分で髪を整えた事などなかった。たどたどしく自分で髪を引っ張ってみるが、勝手が分からず一層ぐちゃぐちゃになっていく。
死神に頼もうかと一瞬魔が差したが、嫌いな者に自分の髪を任せるのは嫌だったし、何かが間違って自分も亡者を閉じ込めたような不気味な髪にされてしまうのはもっと嫌だった。
「俺がやってやろうか?」
自分の髪と奮闘していると、のっそり起きだしてきたジャレッドが救いの手を差し伸べた。
「できるのか?」
「やった事はないな。まあいけるだろ」
ジャレッドは手櫛であっという間に絡まった長い金髪を解き梳かすと、魔法のように素早く三つ編みに編み上げてしまった。痛みは全くなく、ふわふわした心地よさだけがあった。両手の人差し指と親指で長方形を作り、魔力を通して鏡を作ったサララは、しつこく跳ねる癖毛まで見事に編み込んだ出来具合に感嘆した。前髪は跳ねたままだったが。
「うわーっ、すごいな! 婆やより上手いぞこれ! 超器用!」
「こんなもん簡単だ。サララの手術の方が百倍難しかった」
納得の理由だった。
朝食はよく焼けた丸パンと塩気の利いた野菜スープ、魚の切り身三切れに甘酸っぱい小さな果物。そして粉奇石一つまみだった。サララは食べた事の無い味わいを大いに楽しみ、そして同じものをキオの全ての人々が食べていると思うと、なんとなく嬉しいようなむず痒いような気分になった。
朝食後ジャレッドは精力的に街を歩き回り、病人と霊薬の噂を探し回った。その間、サララは二度詐欺師を撃退し、三度スリを追いかけなければならなかった。
怪しげな露店で霊薬と偽ったただの塩水を金貨一枚で買おうとした時は正気を疑い、自分がいなければ金をドブに捨てていたのだと思うとジャレッドの貧相さにも理解せざるを得なかった。
ジャレッドの最高位の月瞳は何の魔力も宿っていない事を見抜きそれを指摘したが、「月瞳ですら見抜けない神秘の力が宿っている」という言い繕いに納得してしまったのだ。ジャレッドは決して馬鹿ではなく察しも悪くなかったが、ひたすら信じやすく騙されやすかった。
ジャレッドは病人を見つけても無視する事が多かった。命に関わらない病や、既に他の医者の世話になっているらしい病人には特に無関心だった。ジャレッドの目的は自分の死神病を治す事。そしてそのために腕を磨き、知識を蓄え、霊薬を集める事なのだ。決して人を救う熱意に満ち溢れてはいない。
ジャレッドはまず滞在二日目に豪商一族の隠居した老人を半ば押しかけで治し、恩に着せて鎮光薬を手に入れた。その日の午後のうちに道端で倒れ腹を突き破る非実体の寄生性の若木に吸い殺されそうになっていた学生を救い、対価として学院から貴重な医学書を借りてこさせたが、全て読んだ事があるものであり、空振りだった。
滞在三日目、大手術に失敗した。相手は貧しい小作農の幼い三男で、両目の月瞳を患い失明しかかっていた。ジャレッドは六時間かけ手術を行ったが、左目は月瞳も実体視力も完全に失われ、右目は月瞳を失い実体視力を僅かに残すのみという結果に終わった。最悪なのはジャレッドがその場で摘出した新鮮な左眼球を興奮しながら解剖しているのを小作農の妻に見られ悲鳴を上げられた事で、人殺し! 人でなし! と半狂乱で鍬を振り回され二人は慌てて逃げ出した。
滞在四日目は伝染性の火竜病に侵された者がいる街はずれの隔離小屋に乗り込んでいき、暗く狭い閉めきられた部屋に押し込められた六人の患者を片端から治していった。サララは自分達に感染しはしないかと戦々恐々としていたが、ジャレッドが開発していた対火竜病特効予防魔法のおかげで無事に済んだ。その魔法を開発するまでに九人の治療に失敗し爆死させたという話は努めて聞き流した。
あのままでは死を待つばかりだったと涙ながらに感謝する六人に、ジャレッドは治療の対価として片目でよいから月瞳を解剖させてくれと要求し、恐れられていた。
サララは前日の月瞳手術の失敗を悔やみ、二度としないために必要な事なのだと理解していたが、六人にとっては人を治してから改めて切り刻もうとする狂人にしか見えない。加えて手遅れで既に死んでいた一人の死体を六人が見ている目の前で嬉々として解剖しはじめたため、サララには崇拝に近い域にまで上がっていた好感が地に落ちる音が聞こえた。
結局、六人は命の対価に片目の月瞳を失い、同じ病に苦しんだ仲間をバラバラにされ(解剖後元通りに繋ぎ直されていたが)、感謝と恐怖と嫌悪が入り混じったなんとも言い難い複雑な顔で二人を見送った。
サララは惨殺・ジャレッドの名で呼ばれるのも無理はないと思いはじめた。
何も悪い事はしていないが、やることなすこと外聞が悪すぎた。意外にも死神はほとんどの時間大人しく鎌になっていて、干渉してこなかった。悪評に死神は関係なく、純粋にジャレッド本人が原因だった。
厄介な仕事の依頼が持ち込まれたのは、レイヴァル滞在の五日目だった。
「アンタが最近噂の医者か?」
早朝に宿屋を訪ねてきたのは豚のようにでっぷり太った巨漢だった。ジャレッドは彼の濁った白い目を見て、すぐに鍛冶屋だと見抜いた。日常的に魔法火に目を焼かれる鍛冶屋は盲目になってようやく一人前と言われている。事実、巨漢は物理的視力を失い魔力だけを見ていた。
「そうだ。目を治すのは一時間あれば済むが」
「いや、この目は俺の誇りだ。治しやがったらアンタを炉にくべてやる。アンタ豚を治せるか?」
「あー、それは家畜の?」
ジャレッドは巨漢の豚鼻と豚腹を凝視しながら言った。巨漢は視線に気づいていたが、気を悪くした風はなかった。
「そうだ。俺が飼ってる豚が病に罹ったらしい。うつる病らしくてな、近所の医者の手にも負えん」
「伝染病か。人畜共通感染症だとしたら面倒だな。どんな病だ?」
「治せるのか?」
「それは詳しく聞かなければわからん。で、どんな病だ」
巨漢はこの世の終わりを告げるような深刻な声で、重々しく言った。
「肉が、不味くなる」
「肉が不味くなる」
ジャレッドは繰り返した。
「血液が突発的に沸騰するとか、夜中に光りだすとかは?」
「ない。ただ、病に罹った豚の肉はもんのすげぇ不味くなるんだ。肉だけじゃない、血の腸詰めも不味くなる! 鍋の底にこびりついたコゲつきの塊みてぇなんだ!」
巨漢が嘆き悲しみ顔を覆うと、見物していた他の宿泊客から次々と同情の声が上がった。
「骨でとったスープもだ!」
巨漢が悲しみに吠え、それは酷い、治してやれヤブ医者、と野次が飛び始める。まるで娘が不治の病にかかったかのような雰囲気で、ジャレッドは困惑した。
「なんかしょーもない病だな……」
サララがジャレッドの内心を代弁すると、巨漢は突然激昂した。
「ふざけるな小娘! お前が今啜ってるミルク粥が泥水に変わっても同じ事が言えるか!? 食はッ! 人生の道しるべだ! 旨い肉、冷たいエール、塩気の効いたチーズがあるから俺達は生きていけるんだ! それが不味くなったらお前、人生真っ暗だろうが!」
巨漢が太い腕を振り回して熱弁すると大きな拍手があがった。二人は何を大げさな、と思ったが、熱くなった聴衆達にまるで悪神に挑む英雄にかけるような声援をうけ、巨漢と一緒に宿屋から押し出された。今更この依頼は受けませんと言える状況ではなかった。
ジャレッドはサララと顔を見合わせ、ため息を吐いてのっしのっしと大通りを先導する巨漢についていった。
「おおそうだ、まだ名乗ってなかったな。鍛冶屋のピグーだ」
「医者のジャレッドだ」
「助手のサララ」
「死神の――――」
「おい黙れ死鎌」
「ん? まだ誰かいるのか?」
「いない。二人だけだ」
「そうか?」
二人はレイヴァル職人区の工房に案内された。立ち並ぶ煉瓦造りの工房の間を複雑に水路が巡り、金属を叩く賑やかな音や掛け声怒鳴り声に満ちている。丸太を満載した馬車が通り過ぎていくのをよけてピグーの鍛冶屋に通される。
「ウチは小物を扱っている。先生も何か入用なら安くしとくぜ」
赤く熱された包丁や鍋を叩いていた徒弟達はピグーが工房に入ってくると頭を下げた。それに鷹揚に手を振り、裏口を開けた。
そこは柵で囲われた小さな運動場だった。十匹の豚が日向ぼっこをしたり地面を掘り返したりしている。豚はピグーを見ると一斉に集まってきた。サララは親豚に懐く子豚を連想した。
「先々月と先月潰した豚は旨かったんだ、家内と俺でぺろりよ。んでも今月潰した豚がえらく不味くてたまったもんじゃなかったんで一昨日もう一頭潰したんだが、それも不味かった。餌も水も調べたがおかしなところはなんもねぇ。これは妙だってんで家内と相談して、近所の老いぼれ医者に診てもらったんだ。そしたらこいつは病だってんだが、治し方が分からんと来た。しかもジジイめ、食い物を粗末にしたんだろう、食神様の罰が当たったんだなんて言いやがる。俺はそんな事してねぇ。いつも豚は鳴き声以外全部食ってる。なあ先生よ、アンタならこいつら治せるか?」
「ふーむ……」
ジャレッドは月瞳はいっぱいに見開いて鼻を鳴らす豚達を見ていたが、珍しく即答しなかった。豚を一匹捕まえ、影骨を出して触診し、しばらく唸ってからやっと自信なさげに言った。
「これは草斑の一種だ。たぶん」
「草斑? なんでぇそりゃあ」
「影骨を侵す伝染病だ。草斑の歴史は古い。人間の歴史が始まった時にはもうあったとされる。感染者の影骨には草のような非実体の出来物ができる。この豚はその初期段階だ。草斑は感染しても害があるわけではないが、滑稽だ。影骨出して草生えてたら誰でも笑っちまうだろう? そういう事だ。影骨の見た目を気にするような、神官だとか、王侯貴族には特に嫌われてきた。家畜には感染しないはずだが、変異種なんだろうな。肉を不味くするなんて話は聞いた事がない。元々草斑にはそういう性質があって、人間にだけ感染している間は確かめる機会が無かったから知られていなかっただけなのか、それとも家畜にも感染するように変異する過程で肉を不味くする性質を獲得したのか。興味深いな」
ピグーは興味無さげに相槌を打った。
「はあ。で、治るのか」
「……治癒に成功した例はない。やってはみるが」
ピグーはまるで治らないと言われたように失望した声を漏らした。それがサララの癇に障った。ジャレッドがやってみると言ったら、最善を尽くしやれる事は全てやるのだ。その結果治る事もある。
治癒の前例が無いから、聞いた事がないからと、治る見込みが全く無いと決めてかかる者をレイヴァルで過ごした数日の間に何人も見てきた。
もっとも、ジャレッドがもっと医者らしい姿をしていればピグーも希望を抱きよろしく頼むと頭を下げただろう。サララはジャレッドが軽んじて見られるのは我慢がならなかった。サララを治したこの遍歴の医者は、本当に、素晴らしい名医なのだ。
「おい豚、ジャレッドを馬鹿にするな。こんなのちょちょいのちょいだぜ」
「いやそんな簡単にはいかないからな。最善は尽くすが。それで豚を治した場合の、いやピグーじゃない、こっちの豚だ。報酬の件だが」
ジャレッドは懐から図面が引かれた羊皮紙を取り出した。
「こんなのは作れるか?」
ピグーは羊皮紙を覗き込み、興味を惹かれ手に取って嘗め回すように見た。
「これはなんだ? 錐、ではなさそうだな」
「俺が考えた医療器具だ。液針器と呼んでいる。霊薬を穴の空いた細い針を通して魔力器官に注入する事を目的に設計した。これがあれば無駄に切開しなくとも必要な個所に必要なだけ最小限の負担で霊薬を処置できる」
「なるほど、この棒を押し込むと筒に充填された霊薬が針の中を通って出る訳だな?」
「そうだ。素材は霞硝子で考えている」
「ぜんぶ霞硝子じゃあ強度が足りねぇな。針は火鉄か死んだ鋼にした方がいい」
「そうすれば作れるか?」
ピグーは腕組みして唸った。
「仕組みの理屈は分かるが、難しいな。特にこの針が難しい。医者ってのはみんなこんな繊細な道具使ってんのか? 恐れ入るぜ」
ジャレッドは自信を無くすピグーの背中を叩いた。
「しっかりしてくれ。ピグー、アンタは目を潰すぐらい腕の立つ鍛冶師だろ。立派な職人だ。俺は医者の仕事をする。アンタは鍛冶師の仕事をしてくれればいい」
ピグーは目を瞬かせ、ぶひぃと笑った。
「そう言われちゃあ引き下がれねぇな。いいだろう。先生が俺の豚を治してくれたら、コイツを完璧に作ってやる」
契約は成立し、二人は固く握手した。




