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1:彼を助けて欲しい


「どうしたの! アキラ!」

 ユーリの金切り声が響いた。びしょ濡れのルナリアが、血まみれのアキラに肩を貸して、半分なだれ込むようにしてユーリのねぐらの戸を開いたのは、もう朝も近づこうという頃だった。

「だめ、気を失ってるんです」

 ルナリアは、荒い息を吐いて、どうにかこうにかベッドへ倒れ込むように近付くと、アキラをごろりとうつ伏せに寝かせた。そのまま、糸の切れた操り人形みたいに、ベッドに凭れて床に座り込む。ルナリアの黄金色の髪の毛から、水が途切れることなく床へと滴った。喘ぐように息をしながら、それでもなお言葉を発する事をやめない。

「私が着いた時には、もう気を失ってたんです。背中を刺されたみたいで、私たぶんその人とすれ違ったみたいなんですけど、暗くて、よく顔が見えなくて、でも、やっぱり、その人がアキラを、刺し、さした、みたい、なん、です」

「解った。解ったから。しばらく静かに。静かにして。落ち着いて」

「でも、でも」

「いいから。落ち着きなさい」

 ユーリはそう言うと、自分の作業台の上をみた。まだ材料のままの石ころたちが自分に溶かされ、固められ、商品となる事を待っている。これでは彼の傷を治せない。気づけば、指で作業台をトントンと苛立たしげに叩いている自分に気がついた。

 ふと振り返れば、ルナリアは、腕に残った最後の力を振り絞ってベッドにしがみつき、体を起こしていた。

「無理しないの! そのままでいてってば!」

「でも、アキラが!」

 アキラがなんだというのだろう。ルナリアに今できる事は何も無いはずだ。なのに、それでも何かが彼女を駆り立てて、何かしなければならないという気持ちにさせている。その事が何よりも、ユーリを急き立てた。

 ユーリは作業台の下から麻袋を一つ引きずり出した。麻袋の中には、真っ赤な石がずっしりと詰まっていて、重そうな音を立てながらランプの灯の下へと引っ張り出された。ユーリはその中から一つを取り出して、作業台の上のハンマーで粉々に砕いた。手近な器に水瓶から水を汲み、その中に砕いた粉を溶かす。ルナリアは器を持って、ベッドの隣へ立った。

 ルナリアはベッドに支えられて立っているようだった。ふらふらと覚束ない足で立ちながら、汗の粒を額に浮かせたアキラの顔を、じっと見つめている。

「ルー、そこの椅子にでも座ってて」

「…………解りました」

 何か言いたげだったが、素直に丸テーブルの椅子に座った。それでも、自分の濡れた外套を気にもせず、濡れた髪を絞りもせず、目はアキラの体を見ている。彼は無事なのか、彼は痛く無いのか、彼は辛く無いのか、絶え間なく問い続けているような視線だった。

 ユーリはアキラの頭を抱いて、口を開かせた。すごい熱だ。傷を負った上に長い間雨に当たったから、熱が出てきたのだろう。意識もなく、ただ熱と痛みに喘ぐように、悪夢にうなされているような声を出している。

 でも、無理やりにでもこの水を飲んでもらわないと困る。彼の体はいま、空いてしまった傷と戦っている。そのために、彼の体は大量に魔力を消費しているのだ。この、魂石を砕いて溶かした水を飲ませることで、彼が傷を治すために使う魔力を補わねばならない。

 アキラは拒むことなく口を開いた。そのまま少しずつ流し込む。口の端から流れ出るのを少しでも減らそうと、ユーリはゆっくりゆっくり彼に水を飲ませていく。

 自分の体が火照っていくのが解った。大仕事をしているのだ、と思う。

 水を全て飲ませ終えると、彼を再びベッドに横たえた。外套と下に来ていた服を脱がせると、背中にばっくりと開いた刀傷が露わになった。どす黒い血が傷口の周りにこびりつき、さらに一部は雨で洗い流されていったのか、新しい真っ赤な血で濡れていた。開いた傷口の向こうは、もう、赤い、と思ったところで、もう目がそれ以上見ることをやめていた。

 水瓶をベッドの横に引きずって来る。今さっき水を飲ませた器で傷口に水をかけ、傷を洗っていく。こびりついた血を洗い流したら、戸棚にあった薬草を布に塗りつけ、湿布にして貼ってやる。その上から、適当な布でぐるぐる巻きにした。

 応急処置はこのくらいだ。あとは、アキラが頑張る番だ。

 そう思って始めて、ユーリは自分がそうとは割り切れていないことに気づいた。目の前で、二晩同じ部屋で過ごした男の子がいる。そいつが、熱を出して、うなされている。傷口に巻いた布には、すぐに鮮血が滲んでくる。額に汗を浮かべている。触ると焼けるように体が熱い。

 なのに、自分にできることはこの応急手当だけだったのだ。

 それは、あまりにもちっぽけな仕事のように思えた。

 自分にできることはここまで。なんて寂しい終わりだろう。もう、自分にできることはここまでで、あとは、アキラがどうにかすることだ。それはいくら悲しんでも、いま、この真夜中で、そろそろ夜明け頃だ、というこの「いま」において、変わることの無い事実なのに、それでも、無性に逆らってみたいのはなんでだろう。

 ユーリはベッド際に椅子を引き寄せた。後ろに倒れ込むようにして、椅子に座る。両手を組んで、ベッドに寝かされたアキラの顔を見つめた。

 どんな夢を見ているのか、歯を食いしばり、汗を浮かせ、眉を寄せて、何か意味のわからない言葉を発している。

 辛いのだろう、とユーリは思った。その気持ちが、自分をなぜか苦しめるのだ。

 なぜなら、自分の知っている誰かさんと、彼の姿が、重なって見えるから。

 ユーリは立ち上がった。戸棚にある糸と針を取ってきた。水瓶の中の水で丹念にそれを洗い、アキラの傷口に巻いた布を、もう一度ぐるぐると取り外す。さっき巻いたばかりなのに、もう布からは血が滴った。

 一瞬、後ろを振り返る。ルナリアは荒い息のまま、目を閉じていた。あれだけの雨の中、アキラを担いで歩いてきたのだ。疲れが出たのだろう。

 今は、ルナリアでさえ仲間になってくれないのだ。

 聞きかじりだが仕方ない。ユーリはゴクリと唾を飲んで、針に糸を通した。手が震えて、なかなか糸が通ってくれない。


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