14:幕の下りていく所が見えるかい?
「だったらどうだっていうんだ?」
目の前の男の声は、まだ人を小馬鹿にしたような調子だ。しかし、その顔を隠す布の下で、確かに表情が変わった。
さっきまでいた家の中から、人が出てこようとしているのだ。階段を降る音が、耳を塞ぎたくなるような雨音の中でも聞こえる。
「ちっ」
男はそう言うと、踵を返し、駆け出そうとした。
「させるかっ!」
アキラは、がっ、と男に飛びついた。ものすごい力で振り払われそうになるが、その腕に噛み付く。男は小さな悲鳴をあげた。が、すぐにアキラの頭を拳で殴りつけ、腹を蹴飛ばすと、アキラの軽い体はゴミのように雨に濡れた石畳に投げ出された。
自由になった男は、そのまま走って逃げ始めた。
アキラは腹を抑える。大丈夫だ。痛いだけだ。内臓が破れてたとしたって、今は関係無い。いける! いける! いける!
さあ、走り出せ!
一歩目は重い。二歩目は少し重くて、三歩目には重さはほとんどなかった。腹に何か違和感はあるが、走り始めて仕舞えば、忘れるほか無い。
怪盗ソキウスの背中を追う。気づけば、歯を食いしばっていた。何か、いや、痛みや辛さだろう、自分の体に降りかかる嫌なものに耐えるように、歯を食いしばって走る。食いしばった歯の隙間から、熱い息が漏れた。
少し恰幅のいい怪盗ソキウスだったから、走るのはあまり早くなかった。アキラはあと二歩の所まで近づいて、怪盗ソキウスの足元に抱きついた。
重い体がいとも簡単に石畳の上に転ぶ。アキラはそのまま腰の鞘に手を当てた。触り慣れたナイフの柄に手が触れたのがわかった。そのまま、刀身を鞘から引き出す。逆手に持ち替えて、振り上げた。
当たり前のように、脳みそに、こいつを殺そう、という考えが思い浮かんだ。
怪盗ソキウスは、ニヤリと笑ったに違いない。
アキラの振り下ろしたナイフを、奴は分厚い手のひらで握って止めた。彼の手からはだらだらと血が滴り落ちて、彼の服を汚し、石畳へと川のように流れていった。暗闇にまぎれてしまって、もう水たまりが赤いのか透明なのかすら解らない。
「お前…………」
「命さえあればな、いいんだよ」
心なしか、声の調子が変わったような気がした。どこか悲しげな、それでいて説教くさくて、でも本人にそんなつもりは全くなくて。
そんな余計なことを考えているから、心に隙が生まれるのだ。
どすっ、と濡れた音がした。
まただ。衝撃だけ感じて、自分の身に何が起きたのか気づくのは、今度も少し遅れてからだ。
ほらやってきた。
背中に痛みを感じた。背中の筋肉を突き抜けて、体の芯を裁縫針でかき混ぜられているような痛みだ。
見なくても解る。背中からナイフで刺されたのだ。だんだんと刺されたところが暖かくなっていくのを感じた。
「命さえあればな」
怪盗ソキウスはそう言うと、乱暴にアキラの体からナイフを抜き去った。同時に、アキラの頭を殴り飛ばして、乱暴に自分の上からどかした。痛いとかそう言う問題じゃ無い。さっきからやられっぱなしで、体に力が入らないのだ。
石畳の上に突っ伏しながら、怪盗ソキウスの遠ざかっていく足音を聞く。びちゃっ、びちゃっと乱暴に水たまりを踏みつけながら、通りを広場の方へと歩き去っていく。
手をついて立ち上がろうと、力を入れてみる。腕が震えている。血がもうたくさん出たのだろう。だんだん寒くなってきて、余計に腕が震える。腕だけで這って進むことさえできない。
死ぬのか?
魂玉を持ってる機械傀儡たちは、みな、この瞬間を一度味わったんだろうか。味わった上で、怪盗ソキウスの噂を聞いて、彼らは何を思うのだろう。
魂玉が大事とか、機械傀儡と人間の体の違いとか、そう言うことは関係なしに、純粋に、二度目の死を思うんだろう。寒さと苦しさでぼんやりしていく頭の中で、アキラはそう結論を出した。
結論を出したって仕方ない。その点では、怪盗ソキウスの言ってることは完全に正しかった。
命さえあれば、いいのだ。
一瞬、雨音の一粒一粒がはっきりと聞こえたような気がした。すべての汚れを躍起になって洗い流すように、雨脚はさらに強まっていく。
なのに、アキラの耳には、雨脚はどんどん遠ざかっていくように思えた。
雨が、止んでいく…………。




