7:魂玉を奪うという事
「なんだか緊張しますね」
隣に腰を下ろしたルナリアは、アキラの顔を覗き込んでそう言った。
二人は、ユーリに指定された、ターゲットの機械傀儡の家の屋根に腰掛けていた。屋根と屋根の間を飛び移れないルナリアを背負ってここまできたせいで、到着したばかりの頃、アキラの息は死にそうなほどに切れていた。自分一人が動く時だって、激しく魔力を消費するのだ。ましてやもう一人余分に運ぶのだから、疲れるのも当然だ。
誰も、屋根の上に人がいるなんて思いもしない。屋根の真ん中辺りに腰掛けていれば、もう誰も二人に気づかなかった。
昨日とは打って変わって、今日は綺麗な晴空だ。空はもう藍色に変わり、気の早い星が一つ二つ、輝いているのが見える。
「ああ」
アキラの答えは短かった。もっと喋れば、屋根の下の人にバレるんじゃないか。そんな事はほぼ起こり得ないはずだったが、もしかしたら起こるかもしれない、という考えばかりが、アキラの頭をぐるぐる回った。
「やっぱり、アキラも緊張していたんですね」
「まあな」
魂玉を奪うんだからな、と言いかけて、アキラはやめた。自分にさらに緊張の縄を掛けてしまうような事は、するもんじゃない。
「大丈夫ですよ。私がついてますから」
「なんでそれが大丈夫なんだ」
「なんでって…………。私じゃ力不足ですか?」
「力不足かどうか知らねえけどさ」
覗き込んできたルナリアの視線から、アキラはすっと逃げた。
「俺をハメたじゃん、罠にさ」
「それは……、その…………、ですね……」
ルナリアはそれきり黙り込んだ。
ウルフやヘレナに会えないのは寂しい。が、しかし、自分の無実を知っている人間がそばにいる、というのは、それほど悪い気分ではなかった。問題はその人間が自分をまた罠にハメようとしないかどうか、気が気ではないという所にある。
要するに、また自分が罠にハメられるかどうか、そんな小さな事だけが重要なのだ。
「俺は怒ってる。怒ってるけど、全部が全部お前のせいって訳でもないから」
「それはそれで嫌です」
「なんで?」
予想外の言葉だった。ルナリアはまた、途切れ途切れに言葉を紡ぎ始めた。
「えっと、せっかくですね、ユーリは私の願いを叶えてくれたのに、少しでもユーリが恨まれるのは嫌なんです。でも、私が恨まれたい訳でもなくて…………。
すみません。甘い事言ってるのは解ってるんですけど、これが私の本当の気持ちです」
「解ってるよ。だから、怒りながらも、こうやってここにいるんだろうが。お前があの親父の所に行って俺が無実だって行ってくれないと、俺はおちおち外も歩けねえんだ」
「いつかは、必ずそうします。ですから、今しばらく待ってもらう事は出来ませんか?」
「お前の、なんだ、願いのために、か」
「はい。私だけは、この願いを譲るつもりはありません。それに」
ルナリアの言葉が一瞬つまる。アキラは次の言葉を心の中で想像した。やがて、ルナリアの薄い唇が、ゆっくりと開いた。
「アキラ、あなたは私を脅迫出来ないでしょう?」
「ああ、脅迫したら、あの親父に追っかけられる理由ができちまう」
会話が途切れる。ルナリアは後ろに手をついて、広い夜の空を見上げた。平らな空が無限の遠くに張り付いていて、星はそこに灯る火だ。
「あ、流れ星」
ルナリアの嬉しそうな声が聞こえる。緊張感のないやつ、とアキラはこっそりつぶやいた。なんでこいつが、ユーリに攫われたまま平気な顔をしているのか、それも、彼女の父親が魔術師を七人も呼ぶという心配をしているのに、だ。
それは、彼女が言った「願い」と何か関係があるのだろう。そして、彼女の話を聞く限り、その成就には、ここにいるのがアキラじゃなくても、誰だって良いのだろう。
やがて、空の色は濃くなっていき、眼下に見下ろす街の灯りも、一つ二つと徐々に消え始めた。暗くなってからも起きているのはランプの油の無駄だから、もうしばらく待てば街は完全な暗さに包まれる。
暗くなるにつれて、息を詰める。隣のルナリアの息遣いが肌で感じられるようで、アキラは縮こまったまま、少しも動く事はなかった。昼間の灼けつくような暑さが、だんだんと夜の涼しさに侵されていく。それにつれて、ルナリアの高い体温までもが感じられる気がした。
静かな宵。
やがて、城壁の向こうから頑張っていた薄い光の痕跡も消え去り、二人の周りの世界は完全に夜の帳に支配された。
ふと、ルナリアが言葉を漏らした。
「まっくらですね」
「ああ」
明るい声の後ろに、ひとつまみの不安が覗いていた。二人は小さな声で会話を交わす。
「アキラ、どこにいるんですか?」
「ここだ」
「ふふ、知ってます」
相変わらず緊張感がない。が、緊張でガチガチになっているより幾分マシだ、とアキラは思い直した。
と、手に何やら暖かいものが触った。柔らかく、しかし、しっかりと、アキラの手を握りしめた。
なんの事はない。ルナリアがアキラの手を握ったのだ。
「ここにいらっしゃるんですね」
「…………なんだ?」
「こうも暗いと、お互いを見失うこともあると思いましたから。手をつないでいては、ダメですか?」
「ダメじゃねえけど…………」
どうしてか、この小さな手を振り払う気にもならなかった。そのまま、どうすることもできずに、アキラはその場に立ち尽くした。
こういう時、どうするのが正解なのか、全くわからない。
まず、このそう広くもない屋根の上でお互いを見失ったところで、永遠に再会できないなんてこともあるまい。気をつけていれば、屋根から落っこちることだってない。
「…………わかったよ。繋ぎたきゃ繋いでろ。降りるぞ」
「はい」
屋根の傾斜はきつい。そろりそろりと瓦に手足をかけ、屋根の端まで移動する。この家の煙突は、アキラが通るには狭すぎた。直接窓から侵入することにする。
屋根の端まで手を曳いてルナリアを座らせると、アキラは言った。
「じゃ、ここで待っててくれ。俺が上がろうとした時に誰かいたら、小さな声で教えてくれ。良いな?」
「私は行かなくて良いんですか?」
「足手まといになる。ユーリも言ってたろ」
今夜、二人は全てユーリの経てた計画に沿って動いていた。彼女はいざ魂玉を盗み出す段についての説明の中で、
「ルーは素早く動けるわけでも、力が強いわけでもないから、実際に機械傀儡と対面するのはやめて。その代わり、アキラはたとえ闘えたとしても、周りへの警戒が薄れるかもしれないから、ルーはそこを補ってあげて」
と言っていたのだ。少なくともアキラはその通りだと思ったので、癪だが、ちゃんと彼女の言う事に従っていたのだ。
「わかりました。気をつけて」
ルナリアの顔を見ないようにして、アキラは屋根の縁に手を掛ける。感覚を研ぎ澄ます。体の真ん中の魔力の樹を意識して、そこから魔力を体全体に行き渡らせるように。指先に感じる、ざらついた瓦の感触に、体重がかかっている。
そのまま、そろり、と建物に嵌っている窓に近づく。暑いからか、無用心にも窓は開け放たれており、窓枠に足を掛け、そのまま部屋の中へと滑り込むことができた。
月明かりや星明かりは、こんなに明るかったのか、と思った。部屋の中に、星たちの青白い光が、筋になって差し込んでいるように思えた。弱々しくても、やはり光だ。闇を照らすのだ。開けっ放しの窓から、ガラスを通さずに差し込む光は、ガラス越しの光よりも、もっと明るかった。
つまり、誰も、次は自分が標的になるなんて、露ほども思ってないということだ。
足元の木板が小さく軋む。研ぎ澄まされた聴覚には、それがとんでもなく大きな音に聞こえ、思わず出した一歩を引っ込めてしまう。
大丈夫だ。
あまり慎重になりすぎると、機を逸するぞ。
アキラは自分を奮い立たせた。この場には、自分と機械傀儡、その二人しかいない。しかも、機械傀儡はお休み中だ。圧倒的に自分が有利なのだ。
アキラはいつの間にか湧いてきた生唾を飲み込んで、部屋の中に見えるベッドへと近づいた。
自分と同じくらいの年頃の男の子だった。肌にはニキビがあったり、月明かりを照り返したり、そのまま、生きている人間の肌だった。
これが、機械傀儡。
目の前のヒトを、機械傀儡だと解って接するのは、考えてみれば初めてのことだった。目の前で生きている人間は、しかし、生きている人間ではない。禁術を使って、冷たい外体を動かし暖めているだけの、機械傀儡なのだ。
アキラは腰に括り付けたユーリからの借り物のナイフを握った。革のくたびれた柄がかさかさと手のひらをくすぐる。他人行儀な触り心地を感じながら、銀色の刃を取り出した。
毛布を剝ぐ。その下には無防備な体があり、深紅の魂玉が…………。
「お、お前が…………」
聞きなれない声がした。近くだ。視線を移して、やっと、目の前の男の子が発した声だと気づく。
とっさにアキラは、刃を自分の目の前に構えた。腰を低くして、いつでも飛び出せるようにする。
「お前が、か、か、怪盗ソキウスなのか…………!」
彼の目は恐怖の色だった。アキラの目と振り向けた刃から目が離れず、しかし、逃げ出そうとした格好のまま、体はピクリとも動かない。
アキラは黙ったまま、隙を窺った。気づかれた以上、隙を狙って飛びかかり、さっさと魂玉を剥がしとるしかない。でなければ、大声に気づいた誰かがここまでやってきて、それっきりだ。
「こ、答えろ! 臆病者!」
彼の瞳はアキラを捉えたまま動かない。額に汗が浮き、ベッドから立ち上がって床を踏みしめ用とした足には、力が入っていない。
いつでも、飛びかかればこちらの勝ちだった。
なのに、どうしてか、アキラの足は動かない。
「俺を襲って、どうしようっていうんだ!」
心の底からの恐怖だった。
ユーリの言っていた「情報筋」とやらが嘘を吐いていないなら、目の前の機械傀儡は禁術の末に生まれた、魂玉を持つ機械傀儡、もっというなら、誰にも憑依されていない機械傀儡だ。魂玉の魔力が彼を動かし、魂玉に閉じ込められた生前からの意識が彼の肢体を統率する。
つまり、怪盗ソキウスに魂玉を取られるのは、彼にとっては、二度目の死なのだ。
アキラは、もう一度、じっとりと汗ばんできた掌でナイフを握り直した。
アキラは無言を貫いた。こっちだって、自分の守るべき暮らしがある。居場所がなくなるくらいなら、ユーリの言う事に従って彼の魂玉を取ってきたほうが良い。
「答えろよ!」
彼はもう一度吠えた。もう、限界かもしれない。次に大声を上げたなら、この家の誰かが目を覚まし、この部屋まで来るかもしれない。それは何としても避けたかった。次に誰かがこの部屋に入るまでに、力を失った彼をベッドに戻し、布団をかけ直し、置手紙を置いて、何も壊さずにこの部屋を出て行かなくてはならない。
全部、ユーリの言いつけだった。いくら真実ではないとはいえ、確かな弱みを握られている以上、言われた通りにしなければならない。
アキラは、目の前の彼を睨みつけた。湿気が多く、まるで粘りでも持っているかのような空気がアキラの体を包み込む。
額を流れた汗が、目に滲みた。痛みは感じない。すべての感覚は、魔力を、的確に放出するため。筋肉の中に魔力が伝わっていく感覚を、底なしに欲している。
静けさが訪れて、部屋の中を満たした。
答える言葉なんて持ち合わせていない。ただ、一つ言う事があるとすれば。
「…………悪いな」
微睡みを破った罪を詫びるのみだ。
「…………っ!」
アキラは床を蹴った。二歩目を着く時にはもう、彼の足元にいた。すかさず左腕で腹に一発叩き込み、作った溜めで右腕を振るう。ナイフの柄で彼の頭を揺らす。
彼の体はゆらり、ゆらり、と揺れ、ベッドに蹴つまずいた。ぺたん、とベッドにすわりこむ形になってようやく、彼は今の自分の状況を悟ったようだった。
人間を精巧に模して作られた外体の弱点は、やはり人間と同じところである。そうでもしないと、やはり、ちょっとした仕草に不自然さが現れてしまい、また、憑依している側の人間にも違和感を生じてしまうからだ。
彼はみぞおちと頭を打たれている。あと一歩だ、とアキラは思った。か弱い、丸腰の少年だという事は、これっぽっちも頭の中になかったに違いない。
アキラは追い詰めた。ベッドの上に飛び乗り、彼を押し倒した。四つん這いになって、彼の胸に手を差し入れる。
金属のようなものが、手に触れるのが解った。
「やめろ…………、はなせっ!」
彼が身を捩る。アキラは必死になって彼の体を押さえつけた。
「うーっ! うーっ!」
もう、言葉にすらならない声を上げて、彼は泣いた。アキラはナイフを彼の胸へと差し入れた。
暖かい。気持ち悪いほどの暖かさだった。差し入れた右腕を今すぐ抜いて、そのまま彼をぶん殴りたくなるような、いや、そのままここから出て行きたくなるような、気持ち悪い暖かさだ。
知っている。彼に何の非もない。全ては自分の感じ方の問題だ。
知らぬ間に歯を食いしばっていた。歯の擦れる音を聞きながら、でも、アキラは歯を食いしばる事をやめなかった。やめてしまえば、自分はナイフで抉る事をためらってしまう。そんな事をすれば、自分の元の生活は脅かされるかもしれないのだ。
いけ。魂玉を取れ。それだけで良い。どうせこいつは、自分の人生とは交わらないやつだったんだ。いけ。魂玉を取れ。
アキラは、全身の力を乗せて、ナイフを突き立てた。そのまま切っ先を回す。
ころり、と小石のような物が落ちて、床を転がった。
「ああっ…………っ‼︎」
悲痛な叫び声を最後に、彼の体はぐったりと力を失った。力を失ったことに気づかず、アキラはしばらく、魔法の樹から、筋肉へ、魔力を送り続けた。
力を失った事に気付いて、アキラははナイフを彼の服の中から抜いた。鞘に仕舞う。耐えがたい吐き気が襲ってきて、体を縮めて、それをやり過ごした。まだ残る彼の体温にあてられたみたいに感じて、ふと、夜の空気を浴びたくなった。
そのまま、そろりそろりとベッドの上から降りた。
ふと床をみれば、さっき転がった魂玉が、月の光を返して輝いていた。アキラはそれを拾い上げてみる。
何でもない、真紅の、透き通った石だ。夜空に透かせば月の光は中で反射するし、暗闇に落とせばすぐに闇の中に溶けていってしまう。
透明であること、真紅であることを除けば、ただの石だった。こんなものに魂が閉じ込められ、こんなちっぽけなもので人間と同じ形のものを動かせる。
あまりにもバカバカしかった。
アキラはポケットに魂玉を入れ、力を失った彼をベッドにちゃんと寝かせた。毛布をかけ直し、その上に持ってきた置手紙を置く。後始末は完璧だ。
アキラは来た時と逆に、窓枠に足をかけた。頭上に声をかける。
「誰も、こっち見てないか?」
「はい。大丈夫です」
ルナリアの声を聞いて、アキラは窓枠にひょいと立った。さっきまでは、じっとりしている、と感じていた夜の空気だけど、こうしていると、塵一つない空気は澄み渡って、涼しくさえ感じられる。
アキラは弾みをつけ、屋根の縁をつかんだ。そのまま魔力を腕に送り込み、腕の筋肉で屋根まで登る。
さっきまで閉じられた小さな部屋にいたからだろう。屋根の上は広い世界だった。まるで自分がカゴに閉じ込められていた鳥で、実はこの広い世界に恋い焦がれていたのではないか。そんな有りもしない空想をして、アキラは首を振った。
傍に立つルナリアに声をかける。
「帰ろう」
「帰りましょうか」
そのまま、ルナリアが歩き始めたかどうかも確かめないで、アキラは屋根を歩み始めた。と、ルナリアはアキラの隣へと歩き出した。
「アキラ……、おっとっと。やっぱり屋根の上は危ないですね」
躓きかけたルナリアの手をとって、アキラは彼女のバランスをとってやる。
「ほんとだよ。あぶねえぞ。屋根から落っこちて怪我でもしてみろ。ユーリに何言われるか解んねえ」
「そうですね」
ルナリアはえへへ、とはにかんで見せた。そして、つないだままの手のひらを何やらもぞもぞと動かしてから、アキラの目を覗き込んだ。
「汗、びっしょりですね。大丈夫ですか?」
瞬間、アキラはさっきの吐き気を思い出した。顔に出さないように、気取られないように。アキラは耐え、そして、微笑んだ。
「…………大丈夫だ」
そうとしか、答えようがないだろう。




