10:私が怪盗ソキウスだ
どさっ、と乱暴に投げ込まれたのは、地下の、燭台一つない物置のような部屋だった。部屋の前はポツリポツリと蝋燭が立ててある廊下で、廊下もこの部屋も、壁には石が組んであった。
そのせいだろう。外の空気とはまるで違う、ひんやりとした空気が部屋の中を満たしていた。
扉を揺すってみる。だめだ。鍵がかかっている。体当たりしても、蹴っ飛ばしてみても、ビクともしなかった。
「炎よ!」
魔法の樹を絞り、指先から魔術が「溢れ出る」イメージで。指先を扉に振り向けた。扉は一瞬驚いたように大きく軋み、しかし、それまでだった。
「諦めろ」
扉の向こうから、冷酷な声がする。さっきの門番だった。アキラはその言葉に答えるようにもう一回体当たりすると、ドアの横の壁にどさりともたれかかった。そのままズルズルと背中が落ちていき、やがてペッタリと冷たい床に座り込んでしまう。
なんなんだよ、おい。
クラウスの野郎、それっぽい理由を並べ立てて、結局は俺を犯人に仕立て上げたいだけなんじゃねえのか?
そもそも、自分がルナリアの隣にいたのだって、別に隣にいたくていたのではない。ルナリアが自分を呼んだのだ。ならば、自分がルナリアの寝室の中に入れるかどうかさえ、自分でどうこうできる事ではなかったのだ。
恨みごとばかりどんどん溢れてきて、ブツブツと唇は絶え間なく動き続ける。
奴らは一体、自分をどうするつもりなんだろう。こいつが憎き怪盗ソキウスだった、と嘘を言い、真実はねじ曲げられたまま、晒しあげられるのだろうか。
そうなれば、自らの命も怪しい。なんなら、この街にもういられないかもしれない。
あの田舎の家に帰るか、いや、それすら許されないかもしれない。あの家はすでに兄貴のものとなるのが決まっている。自分が帰って、陰で穀潰しだと思われるのはまっぴらごめんだ。兄貴の下で働くのも、一切問題の解決にはなってない。
なら、この町の丸い城壁の外へ、出て行かなくてはならない。それも、自分の田舎とは違う場所へ、だ。
「ったくよお」
そのあとに続く言葉は、何にも出てこなかった。
だれか、助けてくれねえかなあ。
俺がここから出るのは、少し難しいや。
アキラの気持ちは、どんどん諦めの方へと傾いていった。
…………何か、遠くで音が聞こえる。また、何か騒ぎが起きたのだろうか。本物の怪盗ソキウスが捕まっていたなら、それ以上望むものは何もない。
「騒がしいな」
扉の向こうの門番が、そう呟くのが聞こえた。
アキラも耳を済ます。大きなものが動く音がする。幾人もの人が怒号をあげているのだろう。一つ一つの言葉は聞こえなくとも、人間の声が飛び交っているのがわかる。
そして、アキラは、その怒号から一人が外れ、こちらへ近づいてくるのを聞いた。硬質な音を立てて地下への石段をくだり、その足音の主は行くなり立ち止まって、叫んだ。
「表で火事だ!」
「なんだって‼︎?」
「誰かが放火したらしい。早く、こっち来て手伝え!」
「でも俺、ここを見張ってろって言われたんだけど」
「こっちが先だ! いいから来い!」
「……解った。行こう」
門番の裏返った声の会話が飛び交った。そして、今降りてきた声の主と、二つの足音を並べて、門番は石段を上がっていく。
チャンスかもしれない、とアキラは思った。今、自分の事を気にかけている人間は、誰一人としていない。ウルフとヘレナは自分が仕事をしていると思っているだろうし、さっきの六人の魔術師だって、今は火事に気を取られているはずだ。
千載一遇のチャンスが、巡ってきた。
アキラは扉に思いっきり体当たりした。扉は少し歪み、そして、何事もないように元へと戻った。もう一回。ダメ。もう一回、ダメ。
今少し怪我しようと、脱出してしまえばこちらのものだ。いくらだってやりようはある。
だから、今。今でないと、ダメなのだ。
開け! 開けよ!
魔術を使う。扉は少し大きく歪む。それでも、アキラを通してはくれない。怒り任せに蹴っ飛ばす。今度は、全く歪みやしない。
開け! 開け! 開け!
アキラはもう一度、地面を蹴って、部屋の縦幅いっぱいに後ろへ下がった。
ふくらはぎで魔力を爆発させるイメージだ。…………いけ!
アキラは狭い部屋の中で一歩、二歩と跳ねると、そのまま体を丸め、肩から扉へと突っ込んだ。飛び上がった体が、扉へとぶつかる瞬間に、うっ、と息を止める。
衝撃が走る。痛みはない。でも、何か固いものにぶつかった感触だけを残して、アキラの体は、跳ね返された。
「うッ‼︎」
次の瞬間、冷たい石の床に打ち付けられたのがわかった。乱暴に体が転がっていくのを止められない。ぐるぐる世界が回る。頰が代わる代わる、冷たい石を触る。どうにか足を踏ん張って止まる。
アキラの体は止まった。と、同時に、アキラは自分が叶わなかった事を知った。
あの扉は、自分の力では破れないのだ。
アキラには解ってしまった。そう解ってしまったらもう、二度と、立ち上がる勇気は起きなかった…………。
その時。
「ったく、力任せにぶつかってばかりなんて、芸がないんだから」
扉の向こう側から、聞きなれない声がした。
「誰だ!」
「誰だっていいじゃないの。この扉を開けてあげようっていうんだから」
呆れ返ったような声がした。かちゃり、と金属の触れ合う音がした。錠が外されたのだ。
「いーい? 開けるよ?」
重く閉ざされていた扉が、ぐい、と開かれる。扉の隙間から、外の蝋燭の光が、こちらの闇へと忍び込んで来た。
朝が来たのか、と、アキラは変な事を考えていた。短い間ここに閉じ込められていただけなのに、細く頼りない蝋燭の火でさえ、こんなに明るい。
アキラは外の明るさのせいでどこかおかしくなったかのように、よろよろと立ち上がった。そして、開きつつある扉を睨みつける。
誰だ。この扉を開けているのは、一体誰なんだ。
扉はぐいぐいと開かれて行き、いま、めいっぱいに開かれた。
少しの光が眩しくて、アキラは目を細めた。目を細めながら、扉を開けた人間は誰か、見逃さないようにする。
蝋燭のぼうっとした光の中に浮かび上がったのは、アキラと同じくらいの背、癖っ毛、そして、細めた目でもわかる、強烈な力の籠った、瞳。
「なんでそんなに私のこと、警戒してるの?」
彼女の場違いに明るい声がする。アキラは答える代わりに、一歩後ずさった。彼女はずいと一歩前に出て、にやり、と不敵な笑みを浮かべてみせた。
「あんた、アキラ・インウェニアムでしょ?」
「お前は…………、誰だ?」
「私はユーリ。ユーリ・ジュディティウム」
そして、彼女は一呼吸おく。なぜか、アキラは自分の息が詰まるのを感じた。
目の前の赤毛の癖っ毛の女の子の言葉が、なぜか夢の中の言葉のように思えた。
「みんなは『怪盗ソキウス』って、呼んでるけど」




