春の肖像・王宮の廊下
王宮へ場所を移しても、「春の肖像」をめぐる視線は消えなかった。王宮では、声を潜めた会話ほどよく響いた。レティシアが通ると話は止まり、去った後にだけ「婚約者」という言葉が残った。
レティシアは王太子との婚約を、幼いころから家の務めとして教えられた。喜びか不安かを問われた記憶はなく、自分でも答えを持っていない。
亡き母の肖像は十六年前と同じ場所にあった。レティシアは似ていると言われる灰青の目を上げ、今日から増える王宮行事を予定表へ書き込んだ。
姉妹は互いの予定をすべて知っているわけではない。それでも夕食だけは同じ卓を囲むという約束を、社交季が始まる前にもう一度確かめた。
レティシアは分からないことを分かったふりで埋めなかった。小さな違和感も、今はただ日付と場所を添えて記録するだけにした。
屋敷は少しずつ眠りについた。華やかな季節の前夜にも、火を消し、鍵を確かめる家人たちの手順はいつもと変わらない。
ノエラは読みかけの本へ細い青紐を挟んだ。姉が題名を尋ねると、まだ途中ですから、読み終えたら話しますとだけ答えた。
王都では春の馬車が増え、門前の石畳が一日中鳴っていた。新しい季節は華やかでも、公爵家の予定には義務の文字ばかりが並んだ。
マルタは窓辺へ季節の花を一輪だけ飾った。過剰な装飾を好まない姉と、明るい色を選びたがる妹の、ちょうど中間になる白い花だった。
午後の作法稽古では、歩幅と視線の高さを何度も直された。レティシアは不満を見せず、終わると教師へ礼を述べて妹の待つ居間へ戻った。
公爵領から届いた便りには、雪解けと今年の種蒔きが記されていた。王都の予定とは違う時間が流れていることに、レティシアは少しだけ息をつく。
(本文実測:705字)




