【第8話:愛執の覚醒と、絶望の命令】
吹き飛んだ扉の向こう、タルトの白い足から流れる鮮血を見た瞬間、二人の男の時間は、残酷な音を立てて停止した。
■ アロウ:【後悔という名の狂気】
(……ああ、俺は何をしていたんだ。体面だの管理だの、そんな下らない理由で、俺の「たった一つの光」を、こんな汚泥の中に放り出したのか!?) アロウは自分の肺が潰れるほどの衝撃を受けていた。彼女の命の灯火が、今、この目の前で消えていたかもしれない。その想像は、かつての恋人に裏切られた絶望など、幼子の擦り傷に思えるほど、彼の魂を無慈悲に打ちのめした。
(俺だ。俺が殺しかけたんだ。俺の見栄が、俺の臆病さが、彼女の肌を裂かせた……!) アロウは、震える足でタルトに駆け寄り、彼女を抱き寄せることさえ忘れて、ただ、己の無能さに、そして彼女を傷つけた世界すべてに激昂した。
「……殺せ。一人残らず、この世にいた痕跡さえ残さず、徹底的に磨り潰せ!!」 アロウの叫びは、喉を裂くような悲鳴だった。彼は自覚したのだ。彼女を失うことは、自分の魂が死ぬことと同義であると。今この瞬間、タルトは「人質」でも「玩具」でもなく、彼が生きていくための唯一の理由へと変質した。
■ ソウ:【自己嫌悪という名の獣】
ソウの脳内は、灼熱の殺意と、それ以上に冷徹な「自分への断罪」で埋め尽くされていた。 (俺なら守れた。……俺が側にいれば、あんな見習いどもに任せなければ、彼女にこんな傷を負わせることはなかった。俺は何のために、最強の騎士として剣を振るってきた!? 彼女の足に触れたあの刃を、なぜ俺が先に折っておけなかった!!)
「俺なら守れた!」という猛烈な自責が、ソウを獣に変えた。 彼は主君の命令が下るよりも早く、もはや処刑人と化した無慈悲な剣筋で男たちを沈めていく。返り血を浴びながら、ソウの瞳に宿っていたのは、もはや「教育者」の慈しみではない。
一人の女を死ぬほど愛し、そして「騎士」として彼女を死地に晒してしまった自分自身への、血を吐くような怒りだった。 (志願する。……閣下の許しなどいらん。命じられずとも、私はこの女の影となり、二度と誰にも触れさせない) そう、ソウは心の中で静かに、だが鋼のような意志で決意していた。
宿命の命令
嵐のような殺戮が終わり、静寂が戻った倉庫。
アロウは、自分の上着でタルトを包みながら、血に濡れた剣を収めたソウを見つめた。
今、アロウの頭にあるのは、一分一秒でも長くタルトの命を永らえさせる方法だけだ。
そのためには、自分よりも、誰よりも、目の前に立つこの「最強の男」の力が必要だった。
ソウの騎士としての腕、幼い頃から見てきたその実直な性格、そして何より、グランツ公爵家への揺るぎない忠誠。それらを知り尽くしているからこそ、アロウは確信していた。
「タルトの命を託せるのは、世界でこいつしかいない」と。
「……ソウ、こい」
アロウの声は、低く、重く響いた。ソウが志願の言葉を口にしようと一歩踏み出すよりも早く、アロウが断を向けた。
「貴様に、生涯をかけた任務を命ずる」
ソウは、その場で深く跪いた。
「今日、この瞬間から、お前はタルトの五歩後ろでいつでも彼女を守れ!
何が起きても、即座に彼女の盾となり、その命を救え!
ソウ・リーヴァス!これよりお前をタルトの専属護衛に任命する!」
「……!!」
「……御意。この命、すべてを賭してタルト様をお守りいたします!」
ソウは深く頭を下げた。
アロウの「失いたくないという激昂」が下した命令。
ソウの「俺なら守れたという後悔」が受理した宿命。
アロウはソウなら守り切れると信じ、ソウは主君の命令という大義名分を得て、ようやく己の罪を償うための「場所」を手に入れた。




