【第13話:残された温もり】
アロウはタルトの言葉を聞いた瞬間、凍りついたような笑みを浮かべ、その場に跪こうとしたソウを鋭い眼光で射抜いた。
■ アロウ:【拒絶と狂執】
「……ソウに手伝ってもらう、だと?」 アロウの声は、低く、湿った怒りを孕んで響く。
「いや、ダメだ。ソウ、貴様は一歩も動くな。……タルト、勘違いするな。お前に触れていいのは、お前をここまで育て上げ、その肌を飾る権利を持つ俺だけだ」
アロウはソウを「五歩後ろ」へと言葉の刃で叩き戻すと、再びタルトの身体へと手を伸ばした。 鏡越しに、背後で見守るソウを嘲笑うかのように、アロウはわざと時間をかけ、指先をタルトの柔らかな肌に這わせながら宝石を一つずつ外していく。
(……見ろ、ソウ。これが主従の差だ。お前がどれほど慈しもうと、この娘の肌から「俺の証」を剥ぎ取れるのは俺だけだ。 タルト、お前が誰の名前を呼ぼうと、今夜、お前の肌に触れているのは俺だという事実を忘れるな……)
すべての宝石を外し終えたアロウは、真っ赤に腫れ上がったタルトのうなじを最後に一度だけ強く愛撫し、満足げな、しかし空虚な微笑みを残して部屋を去った。
■ タルトの言葉:【氷解する涙】
扉が閉まった瞬間、タルトは張り詰めていた糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。 「……っ、アロ兄が……怖い……。あんな目、知らない……」 震える肩を抱きしめる彼女の視界は、恐怖と混乱で涙に濡れていた。
■ ソウ:【ハーブティと飲み込んだ言葉】
静寂が戻った部屋で、ソウは静かに動き出した。
「……タルト様。もう、大丈夫です。あの方は去られました」
本当は震えているタルトの方を抱き寄せてやりたかった。
あの「5歩後ろ」と命じられ今のソウにできることはこの温かい湯気を立てるハーブティーをタルトに差し出す事くらいしかしてやれなかった。
ソウの瞳には、アロウのそれとは正反対の、陽だまりのような穏やかさが宿っている。彼は決して強いることはせず、ただ彼女の不安を吸い出すように、静かに、優しく言葉を紡ぐ。
「……私は、あなたを守るものです。ですから、いつでも……」
(……いつでも、私の名を呼び、私を頼ってください。 閣下の命でさえ守りきれないほど、私はあなたをいとおしいと思ってしまっている。
たとえこの距離が、生涯縮まることのない絶望的な隔たりであっても。 いつか、この鎖のような屋敷を出て、野に咲く花を二人で眺めるような……そんな叶わぬ未来を、私は今夜も夢見てしまうのです。 この罪深き恋心が、いつか自分を焼き尽くすと分かっていても……)
ソウは、あふれそうになる想いを喉の奥で押し殺し、ただ一人の騎士として、彼女の震えが止まるのを待ち続けた。
タルトは、ソウから差し出されたカップの温かさに、ようやく、止まっていた息を吐き出した。 「ソウ……。……ありがとう。ありがとう……」
【アロウ視点】第13話・追記:黄金の檻の主の、独り善がりな慟哭
重厚なタルトの部屋の扉を閉めた瞬間、アロウの「完璧な公爵嫡男」の仮面は、音を立てて崩れ去った。
社交界での称賛も、ソウへの勝利宣言も、今の彼には一文の価値もなかった。
「……クソっ!!」
アロウは人気のない廊下で、近くにあった花瓶を壁に叩きつけた。粉々に砕け散るクリスタルと、飛び散る水の音が、彼の心の中の悲鳴のようだった。
(……満足? 俺が、あの娘を泣かせて、怯えさせて、ソウの名前を呼ばせて……それで満足したとでも思っているのか!?)
アロウは自分の頭を掻きむしり、壁に背を預けてずるずると崩れ落ちた。
(本当は……本当は、ただ守りたかっただけだ。 二度とあんな汚泥の中に、お前を落とさないために。誰の手垢もつかない、誰も触れられない、高貴で安全な「場所」に、お前を置きたかっただけだ。 なぜ、それが伝わらない?
なぜ、お前は俺の手から逃げようとする? 俺が宝石を贈るのも、ドレスを買い与えるのも、すべてはお前を愛しているからだというのに……。
……あの怯えた目。 俺を見るあいつの瞳が、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! お前だけは、俺を裏切らないと言ってくれ! ソウを頼るな。ソウの名前を呼ぶな。ソウの優しさに触れるな! お前を救えるのは俺だけだ。お前を愛せるのは、俺だけなんだ……!)
アロウは、砕け散ったクリスタルの破片を、自分の手のひらが血に染まるのも構わずに握りしめた。 その痛みだけが、自分の中に渦巻く「どうしようもない不安」と「行き場のない愛情」を、かろうじて現実に繋ぎ止めていた。
(……許さない。 俺の愛を理解できないお前も、お前の心を奪おうとするソウも。 たとえお前が俺を憎もうと、怯えようと、俺は決してこの手を離さない。 一生、この黄金の檻の中で、俺の愛を刻み込み続けてやる……)
アロウの瞳には、かつての絶望と、それを埋めようとする、より歪で、鋭利な執着の光が灯っていた。




