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7話 棄てられた皇太子の哀しみの過去

 リアムがミネルヴァを連れてきたのは、大広間の上階。下の賑わいとは異なり、客人の姿もなく、フロアはひっそり静まり返っている。

「こっち」

 リアムが、奥の一室へとミネルヴァを招き入れる。


 薄暗い室内に目が慣れない。少し埃っぽい匂いがする。リアムが重いカーテンを開けると、光がさしこみ、やっと彼が見せたいものが露になった。


「肖像画……?」

 その部屋一面に飾られていたのは、大きな肖像画だ。真正面にあるひと際色彩の鮮やかな肖像画は、兄であるニコライのものだ。

 彼によく似合うアイボリーのジャケットに、ゴールドがかったガウン。頭上には大きな冠をいただいている。

 その隣に飾られているのは、見知らぬ王。年は40代から50代。柔和でありながら意思を感じさせるニコライとは反対に、どこか沈鬱な面持ちに見える。


「お兄様の隣の絵って」

「先の皇帝・グスタフ帝だよ」

「あまりアレックスに似ていないのね」

「そうだね」

 グスタフ帝の隣には、別の見知らぬ王と王妃。おそらくその前の皇帝だろう。その隣にも、同じく王と王妃の肖像画が飾られている。

「なぜ、先の皇帝は王妃と一緒に描かれてないの?」

 ミネルヴァはふと気づいたことを口にする。独身のニコライはともかく、他の王は皆、王妃とともに描かれている。

「いいところに気付いたね。…..グスタフ帝の妻リリアンヌはね、サマール族の姫君だったんだ」

 サマール族。アステル国の史実を調べたときに、何度も目にした名前だ。

 ニコライとミネルヴァの父親ルイス大公は、サマールの反乱を平定するための戦いで猛攻に遭い、命を落としたと聞いている。


「リリアンヌは、それは美しい女性だった。アステルでは珍しいほどの艶やかでゴージャスな黒髪に、意思の強い目。まだ皇太子だったグスタフ帝は、当時内乱が頻発していたサマールの地を敵情視察のために訪れて、そこでたちまち恋に落ちたんだ。

 サマールは舞踊に優れた民族だったからね、かたぶつだったグスタフ帝は情熱的なリリアンヌの踊りでイチコロだったんだろう。周囲の反対を押し切って、ふたりは結婚した。特にグスタフ帝の母君、皇太后は大反対だったと聞くよ。

 それでも翌年にはアレックスが生まれて、小競り合いがつづいていたサマールとも一時はうまくやっていたんだ。でも」

「……でも?」

 言い淀むリアムを促す。もうすでに国を巻き込んだ情熱的な恋物語が、悲劇へと進んでいくのは知っている。

「アレックスが7歳のときに、リリアンヌが不慮の事故でなくなってしまう。狩猟の場での落馬だったと処理されたけれど、サマール族出身の王妃に対する反感があったのも事実なんだ。それでサマール族は、大事な姫を殺されたと言って、ふたたび戦いを仕掛けてきた」

「でも事故なんでしょう?」

「正直、わからないとしか言えない。ただ、グスタフ帝にはそんなことどうでも良かったんだと思う。

 愛する人が消えてしまった。それだけ。グスタフ帝はすっかり絶望して、リリアンヌの死の真相を明らかにする気力もなかったし、サマール族と戦う気力だって残っていなかった」

「それで皇帝の弟である、お父様が戦地に……」

「そう。そしてルイス大公は戦死し、その後でグスタフ帝も衰弱死。ニコライ様が帝位についた」

「ちょっと待って? アレックスは?そのとき皇太子だったのはアレックスだったはずよね?」

「確かに彼は皇太子だった。でも前皇帝が床に臥せったときに、一緒に廃嫡されたよ」

「まだ子どもだったはずでしょう? なぜそんな必要があるの?」

「僕と同じ年だから、廃嫡したとき彼は12歳だったはずだ。さらにひどいことに、アレックスは実の祖母である皇太后の命令で、宮殿のはずれにある北の塔に幽閉されたんだ」


 ミネルヴァは愕然とする。アステルの国史を記した書物には単に「退位」と記載されていたが、事実はもっとひどい。

「暴徒であるサマール族の血を色濃く引く皇太子だ。何をしでかすかわかったもんじゃない、というのが、幽閉を主導した貴族たちの言い分だね」

「10年前に幽閉されたって……前皇帝が亡くなったのは8年前だったわよね。まだ父親は生きていたのに、なぜ息子をかばわなかったの?」

「残念ながらその当時のグスタフ帝は、精神をきたしていて、もう誰が誰かもわからなかったという話だよ。

 そして幽閉されてから2年後、亡くなったグスタフ帝に代わってニコライ様が正式に帝位についたことで、アレックスは臣籍降下させられて、やっと塔を出てきたってわけ」

「ひどい」

 なんて残酷な話だ。母親を亡くした上に、急に敵扱いされて、おまけに12歳から15歳まで塔に幽閉。塔から出てみれば、自分の身分は、すでに従兄弟に奪われているなんて。

「……お兄様が主導したわけではないわよね?」

「ニコライにそんな野心はなかったと思うよ。事態を収束しようとした皇太后の意向だろうね。

 君の結婚だってそうさ。隣国や他民族に対する牽制のために、一番力のあるトラネスに嫁がされたんだから」

 正直、王族というのは身分が高くて好き勝手できるのかと思っていた。しかし、この国ではそうでもないらしい。


 庭からキャッキャという声が上がっている。窓から見下ろしてみると、そこには当のアレックスが女性に囲まれている。

 はしゃいでいるように見えるが、話を聞いたあとでは痛々しく見える。

 

「……ミーナ。久々に会ったアレックスに興味を惹かれるのはよくわかる。ましてや君は記憶がなくて、初対面みたいなものだ」

 リアムがミネルヴァの視界を遮るようにして、ふたたびカーテンを閉める。

「でも、彼はやめたほうがいい。君が傷つくだけだ」

 リアムは何か誤解をしている気もするが、あの光に興味を持たない人間などいるだろうか。

 ましてや、前世のミネルヴァは弱小とはいえ芸能プロダクションのマネージャーなのだ。

 ミネルヴァは、リアムの言葉に「そうね」と気のない返事をするだけだった。


……


 広間に戻ってもアレックスの姿は見えず、ミネルヴァは残念なような、安心したような気持ちになる。

 軽く目をつぶって椅子に座りながらアレックスの出自について考えていると、うっすらと金属音のような音が耳に入ってきた。

「鉄琴?」

 よくよく聞いてみないとわからないほど、小さく、ゆっくりと音が鳴っている。

 広間内を見てみると、ドレープの影となっているグラスが置かれたテーブルで一人の若者が小さな音で、しかし何かしらの楽器を奏でている。

 ミネルヴァは、ささやかな演奏を邪魔しないようにこっそりと彼に近づいた。


「楽器、弾いていいの?」

「うわっっ」

 一曲終わったところで声をかけると、茶色い巻き毛に大きな眼鏡をかけた青年は大きな声をあげた。

「ミネルヴァ様!驚かさないでください」

「ごめんなさい。久しぶりに音楽を聴いたものだから嬉しくて」

 ミネルヴァがそういうと、青年はにっこり微笑む。

「私も演奏するのは久々です。こんな音でも音楽とみなしてくださるんですね」

 青年の前に並べられていたのは、水が入ったワイングラスだ。

「これで音を出していたのね」

 昔、テレビで見たことがある。確かグラスハープという演奏法だ。

「はい。音が出そうなものは何でも試したくなる性分でして」

「そう。聞いてはいたけれど、厳しいのね」

「はい。でも今日は皇太后さまがいらっしゃらないだけ、まだマシですね」

 そう言うと、青年は少し笑う。ミネルヴァにしてみれば、皇室に対して軽口をたたく、その感性は好ましく思えた。

「あなた、お名前は?」

「ポート公爵家のダグラス・ポートです」

「公爵家の人間なのに、音楽を好むのね」

 公爵家と言えば、皇室にも縁がつながるなかなかの家柄のはずだ。

 ミネルヴァは、アンナの「音楽は下賤なものが好むもの」という言葉を思い出す。

「ええ、ですから、ここで演奏していたことが知られると、また父上にどやされますね」

眼鏡の奥の瞳がいたずらっぽく光る。

「じゃあ、ばれないようにしないとじゃない?」

「でも見つかったのがミネルヴァ様ですから、安心です」

 ミネルヴァなら告げ口しない、と言う根拠は何なのだろう。ダグラスは妙に自信ありげだ。

「それに、もしばれそうになったら、こうすればよいのです」

 と言うと、ダグラスは、並べられた水を次々と飲み干し、そしてミネルヴァに笑いかけた。

「ふふっ。確かに」

 取り澄ましている貴族が多い中で、ダグラスはなかなかユニークな男のようだ。

「ありがとう、ダグラス。素敵な演奏だったわ」

 ミネルヴァは伝えると、再び広間の賑わいへと戻る。グラスハープの優しい音色のせいか、幾分か心は落ち着いていた。

 

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