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5話 身支度をしてパーティーへ

 ミネルヴァが目を覚ましてから、約3か月がたとうとしていた。風が少しずつ涼しくなり、緑の葉が黄色く移ろうとしている。

 この日の宮殿内は、これまでにないほどの賑わいだ。同盟国の国王一家がアステルを訪れているため、歓迎のパーティーが催されるのだ。


 聞けば、ニコライには王妃がいないため、こういう場で皇帝のパートナーをつとめるのはミネルヴァの役割らしい。

「なぜっ…お兄様には…奥方がいないの!」

 きついコルセットをぎゅうぎゅうに締め上げられながら、ミネルヴァが言う。

「さあ、下々のものには陛下のお考えなど」

 アンナは、いつもこれだ。何か知っていたとしても、いつもこの口上で逃げるのだ。

 つい前世の癖で舌打ちしそうになるが、すんでのところで我慢する。

「ミネルヴァ様、お袖をお通しください」

 着付け役の侍女に言われて、ミネルヴァは薄いブルーのドレスに袖を通す。

 これまでも小さなお茶会には呼ばれたことがあるが、ここまで大きなパーティーは初めてだ。ミネルヴァの心は少しだけ浮きだつ。

「なんてお美しい」

 侍女たちがほうっと声をあげる。


 一見、地味なようにも思えるグレーがかったブルーのドレスは、儚げな印象のミネルヴァには良く似合う。

 ボリュームのあるスカートの裾には、細い銀糸でダマスク調の刺しゅうが施されており、気品たっぷりだ。若々しすぎず、落ち着きすぎず、出戻り皇女にこれ以上ふさわしいドレスはない。

 クローゼットでは見たことのなかったドレスということは、おそらくこの日のためにあつらえたのだろう。

「アンナが選んでくれたの?」

「はい。さしでがましい真似でしたら、申し訳ございません」

「ううん。いいの。流行りはよくわからないから」

  栗色のふわふわの髪は髪結いの侍女の手によって、くるくるとまとめられていく。髪飾りはやはりネモフィラのような小さな花をかたどった銀製のコーム。耳元だけはゴージャスに、大粒のダイヤがキラリと光る。

 

ーーただ、少し、デコルテの開きが気になるな……。

首の傷は治ったが、よくよく見ればうっすらと筋がついているのがわかる。


 ミネルヴァは、髪結いの侍女が並べていた自分のアクセサリーを見て、ひと際大きなブルーの宝石がついたネックレスを手に取る。

「そちらは、ご成婚当初、トラネス国王より結婚祝いにいただいたサファイアのネックレスです」

 アンナが、ニコリともせずに言うので、伸ばした手を引っ込める。

 ドレスに合わせるジュエリーなんて何を選んだらよいのか分からないが、曰くつきのネックレスならやめたほうがよさそうだ。 

「じゃあ、こちらで」

 ミネルヴァは、小さなダイヤモンドを花の形に散りばめた繊細なチョーカーを手に取った。

「お似合いでございます」

今度はアンナも納得したらしい。


 トントン。ノックがされて、侍女の一人が告げる。

「陛下がいらっしゃいました」

 ドアが開くと、飛び込んでくるのは若き皇帝陛下。

 銀の縁飾りのついた白いジャケットに濃いブルーの刺しゅうのベストは、おそらくミネルヴァのブルーのドレスとコーディネートされているのだろう。

 まるでおとぎ話に出てくる王子様のいで立ちだ。

「ミネルヴァ! 見違えたよ!」

「……お兄様。ご無沙汰しております」

ミネルヴァは、ドレスの裾を持ち上げて一礼をした。

 

 この3か月で、ミネルヴァがニコライと会ったのはほんの数回だ。ミネルヴァとニコライの母親はミネルヴァが小さい頃に病気で亡くなっているし、父親であるルイス大公はサマール族との戦争で亡くなっている。お互いたった1人の家族でもあるはずだが、皇帝というのはどうも多忙を極めるらしい。ニコライがミネルヴァのもとを訪れることは、ほとんどない。

 

 その上、この宮殿ときたら4つの建物に分かれていて、それぞれが完璧に独立しているため、行き来する必要もない。

 ニコライが主に生活するのは、執務室や会議室が集まる夏の宮殿。ミネルヴァが生活するのは、王妃や皇女といった王家の女性たちが住む部屋とティーサロン、そして図書室などがある春の宮殿。

 それからまだ見ぬ祖母・皇太后が暮らす冬の宮殿と、パーティーなどを行う大広間や貴賓室がある秋の宮殿がある。

 それぞれの宮殿は回廊と庭園で繋がれているのだが、どこに誰がいるのかもわからないし、いちいち侍女にお伺いを立てて会いに行くほどの用もない。

 要は、ミネルヴァの生活は春の宮殿と庭園だけで、ほぼ完結していたのだ。


「行こうか」

 ニコライが腕を差し出すので、そこにそっと手をかける。

 こうした動きが自然と出るのは、身体に染み付いた以前のミネルヴァの記憶のおかげだろう。

「とても良く似合ってるよ」

 ニコライが、こちらを見て人好きする笑顔を浮かべてくる。アンナをのぞけば、この世界で一番近いはずの人間だが、ミネルヴァには、いまだによくこの兄がわからない。

「ありがとうございます」

「君が病気で記憶を失っていることは、ほとんどの人は知っている。わからないことは適当にかわしてくれていい」

「はい」

「それでも何か言ってくる人がいれば『兄に申し伝えておきます』と言うんだよ」

「はい。ありがとうございます」

 つまり「嫌味な奴や訳わからん奴は皇帝に言いつけるぞ」と脅せばいい、ということか。わかりやすいアドバイスだ。

 

 


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