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54話 哀しき皇太后との和解

 王宮につくと、皇太后の謁見の間へとすぐに案内される。

すでにアレックスとニコライの決闘の話は皇太后の耳に入っているのだろう。おそらくその顛末も――。


 馬車ではニコライもだんまりで、何も話すことはなかった。

 ミネルヴァも聞きたいことはたくさんあったが、何から聞いていいのかわからなかったし、たとえ振りだったとしても、自分に手をかけようとした事実に対して怒りがあったのだ。


――おばあ様に、何を話すのかしら。


 ニコライを先頭に、アレックスとミネルヴァは数歩ひかえて跪く。


「皇太后陛下のおな~り~」

 従者が一声あげて、居所と間をつなぐ重厚なドアが開かれ、そして皇太后がゆったりと姿を見せる。いつもはルーヴル公が支えているが、今日は支える人間もいない。杖をついてゆっくりゆっくり歩み寄る姿は、いつも以上に小さく見えた。


「3人とも、顔を上げなさい」

「「「はい」」」

「いつまでたっても仲が良いこと」

皇太后はひとことそっけなく述べると、ようやくたどりついた豪華な椅子にゆったりと腰をかけた。


「アレックス。カナード族との和睦を結んだとのこと、よくやりました。

 一度、行方知れずになったという報が入りましたが、あれは相手を攪乱するための策?」

「はい。なかなかルーヴル公が尻尾を出さないので、油断させるために姿を消しました」


――なるほど。それで遭難したと言うニュースが入ってきたのか。

 ミネルヴァはひとり、納得する。

「結構」


「次に、ミネルヴァ」

「はい」

「アレックスたちを扇動したのはあなただとか」

「……はい」

「責任はどうとるつもり?」

 重い声で皇太后が言う。思えば、皇太后とこうしてきちんと話すのは初めてかもしれない。前にパーティーで交わしたときよりも、もっと固い声色だが、それが怒りなのか無関心なのかはミネルヴァには読み取ることができない。


「責任……ですか。そもそも、私には音楽を禁止する理由がわかりません。

 おばあさまにも、先ほどの広場でのコンサートを聴いていただきたかったわ。

 皆の高揚した顔、嬉しそうな歓声、一体感……。風紀を乱すとか、喪に服すとか、バカげているわ!」 

思わず、ミネルヴァの言葉に力が入る。


「アレックスが、陣頭で歌っているのだそうですね」

「はい。彼の歌声はとっても素晴らしいんです。周りのみんなを虜にするし、幸せにもしてくれます」

その言葉に、ふっと皇太后が息をもらし、幾分空気が和らいで感じる。


――もしかして、笑っている?


「アレックス、あなたは?」

 今度は皇太后がまっすぐにアレックスを見て言う。

「あなたは本当に歌いたいの?」

 これは不思議な問いかけだ。

 まるでアレックスが本当は歌いたくないような……。


「はい。おばあ様。もう、大丈夫です」

 アレックスが哀しげに顔をゆがめ、しかし、きっぱりと言う。


「あなたが私を閉じ込めておかなくても、私が歌を歌っても、私を求める父上はいないのだから」


――え。

 

「アレックス、言う必要はない」

ミネルヴァの思考を止めるように、口を開いたのはニコライだ。

「いいんだ。ミネルヴァには知っていてほしい」

ニコライに口を挟ませないためだろう、アレックスが口早に話を始める。


「おばあ様が音楽を禁止したのは、父上の病が原因なんだ。

 お母様が亡くなり、父上は本当に悲しんで……そして気が触れてしまった。

 成長するにつれて、お母様そっくりになっていく俺を身代わりにしようとしたんだ」


――嘘。


 書店で見た、肖像画のリリアンヌとアレックスの姿を思い出す。

 まだ3、4歳だったけれど、黒目がちで女の子のように愛らしいアレックス。リリアンヌが亡くなった頃はまだ12歳だったというから、未成熟で、おそらく少女のように見えたことだろう。


「幼い俺に、お母様の服を着せて、歌わせたり、躍らせたり。それから」

アレックスが苦しそうに唇をかむ。その先は言わなくていい、そう思うのに、言葉が出ない。


「寝所にも入ってこようとした」


 美しい妻が亡くなり、その役割を年端のいかない息子に押し付けようとした。

 これを虐待と言わずして、なんと言おうか。血の気がサーっと引いていく。


「なんてことを……」

 目の前がぐわんと暗くなる。跪いている足元が、グラグラと沸騰して崩れ落ちそうなほどの怒りだ。


「幸い、ことが起こる前に、ニコライが父上の不審な動きに気付いてくれてね。おばあ様に助けを求めてくれたんだ」

 と、そこでミネルヴァはある事実に思い当たる。


――助けを求めた?


「……もしかして、それで、アレックスを塔に閉じ込めたというの?

 12歳の孫を閉じ込めて、精神異常の息子は守ったってこと!?」

 ミネルヴァの悲痛な叫びに似た声は、すぐに広間の沈黙に飲み込まれてしまう。


 皇太后は薄く目をつぶり、頷く。

「ええ。私は弱い母親でした。妻を亡くし、狂った息子を、これ以上無様な王にしたくなかった。

私にできたのは、物理的にアレックスを遠ざけることだけ。12歳の孫に、アレックスに甘えてしまったの」

 そう言われても、ミネルヴァはすぐに話についていくことができない。頭の中は混乱したままだ。


「……音楽を禁止したのはなぜ?」

「音楽が聞こえると、グスタフの精神は乱れてしまった。

 リリアンヌやアレックスを探して王宮をさまようばかり。私はそんな姿を見ていられなかった」

 皇太后の見開いた目から涙がにじむ。遠くを望むその老婆の目には、さまようグスタフ帝の姿が映っているようだ。


 ミネルヴァは追求をやめない。

「グスタフ帝が亡くなった後も音楽を禁じたのは? 音楽を禁じないとアレックスを処刑するって、皇帝に就いたニコライを脅したんでしょう?」

「ええ」

「処刑は本心だったの? それとも新皇帝のニコライに好きにさせないために、アレックスを脅しに使った?」

「違う! アレックスを殺す気だって、ニコライを脅す気だってなかった!」

 皇太后が手で顔を覆う。


「怖かったのよ。音楽を聴くと、王妃の影を求めて王宮をさまようグスタフのおぞましい姿が、どうしても思い浮かんでしまう。ただ、私が、辛くて思い出したくなかった。ごめんなさい……ごめんなさい。ニコライ、アレックス!」

 皇太后がすすり泣く。いつもの威厳のある姿とはまったく違う、悲しい老婆の姿だ。

 ミネルヴァは能面ではない皇太后の姿を初めて見たが、それがこんなに辛いものになるなんて、思いもしなかった。哀れだとは思う。しかし、到底同情する気にはなれない。

 

「おばあ様」

 いたわるような声をかけたのはアレックスだ。

「一国の王が狂って息子に手を出すなんて、それこそ大問題だ。あなたはそこでできることをしただけた。それに――」

 皇太后のもとまで進んで、膝立ちになり、優しく手を握る。

「あなたが……あなたが俺のことを膝に乗せて、歌ってくれたあの歌が、塔の中でも俺を癒してくれたんだ」


――あの歌。

 いつかのバーゴラで歌っていた、あの歌は、リリアンヌではなく皇太后が教えてくれたものだったのだ。


 ふとミネルヴァの脳裏に一枚の絵のような映像が思い浮かぶ。

 いつものパーゴラで、黒い礼服を着た幼い男の子を抱きかかえる、同じく黒い喪服姿の皇太后。泣きぬれた男の子を膝の上に乗せて、背中をあやすように軽くたたきながら、低く優しく歌を歌っている。そしてそれを影から覗く、栗色の髪の少女。

 ……これは、もしかしたらミネルヴァの幼いころの記憶なのかもしれない。


「おばあ様。音楽は、歌は、いつも俺の味方だ。大丈夫。みんなに音楽を返しましょう」

 アレックスが皇太后にそっと近づき、その両手をとるが、皇太后は動かない。


「それなら。私は、帝位をアレックスに返したい」

 沈黙を破ったのは、ニコライだ。

「みんなだってアレックスの方がふさわしいと思っているし、僕だってそうだ。

 もう何年も、玉座はずっと自分の居場所じゃないように感じていたんだ」


 皇太后はふうと息を吸い込んで、椅子に深く座り込む。

「アレックスは? どうしたいと思っているのですか?」

「私は……私は王位などまっぴらごめんです。この国には、もうじゅうぶん振り回された」


「それに……皇帝になったら、アイドル活動ができないでしょう?」

 そう言って、ミネルヴァの方を振り返って笑う。

 今までに見たことのないぐらい、晴れやかな笑顔だ。


「わかりました。国政はこれまで通りニコライにまかせます」

「しかし、おばあ様」

「ニコライ、膿は出し切りました。……あなたなら、名君になれると思いますよ」

「はい」

 ニコライの短い返事に、少し涙が混ざっていたのは聞き間違いではないだろう。

  

 皇太后が杖でカツーンと大きく床を鳴らす。

 退出の合図だったのだろう、侍女が居室への重いドアを開ける。


――許せるかはわからない。でも!

 

「おばあ様!」

 皇太后が立ち去ろうとするので、思わず、ミネルヴァは一歩前に出て呼び止めてしまう。

「今日は、聖イーグルの日です! 式典で≪アナザー・ロージア≫のお披露目をしたいわ! 

 ぜひ、おばあ様もいらしてください!」

皇太后は、うなずくでもなく、ちらっとミネルヴァたちを見て、そのままゆっくりと退出した。


ゴーーーーン。ゴーーーーン。ゴーーーーン。ゴーーーーン。ゴーーーン。


「やあ、5時を知らせる鐘だ」

 ニコライがつぶやく。民衆が鐘楼の鎖をほどいたのであろう。


 実に10年ぶりにこの国に時報の鐘が鳴らされたのであった。


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