52話 センターは遅れてやってくる
バートラムのMCが終わると、再びトント、トン、と静かに響くカホンの音。
またもや観客の中から歓声があがる。
「キャーッ」
しかし、この声は喜びの声とは違う! 女性のかん高い声の間に、ザッザっという軍靴の音。
叫ぶ群衆をかき分けて、ぐんぐんと迫ってくるのは衛兵隊だ。
「……ミルトン!」
先頭にいるのは、いつかのコンサートでヴァイオリンを叩き割った、にっくき衛兵隊隊長だ。
向こうもミネルヴァの顔に気付き、さっと顔色が変わる。
≪アナザー・ロージア≫も騒ぎに気付いているようだが、まだ歌うのをやめようとしない。
――やばい! 襲われる!
向けられた殺気に、御者台に座ったまま、動けなくなる。
「さがって!」
キーン!
ミネルヴァの目前に金糸がきらめく。ミルトンの剣を護身用の小刀で受けたのは、レイだ。
器用に歌いながら、ミルトンの剣をさばいていく。幼い顔をしているが、彼は正真正銘、騎士の家の出なのだ。
「やるじゃん!」
参戦するのはリアムとバートラム。ライブを見守っていた貴族の男性から剣を借り、やはり歌声を張り上げながら衛兵隊の剣をさばいていく。
周りの観衆も「リアム様!」「レイ様!」と声援を送る。もしかしたら、これも演出の一貫だと思われているのかもしれない。バートラムのカホンが騒動に負けじと大きく響く。
ふとミルトンの部下のひとりが丸腰のミネルヴァに気付き、こちらに向かってこようとする。
――今度こそ狙われる!
ミネルヴァが目をつむったそのとき。
コツン。
「いて」
御者台にコロリと転がったのは小石だ。
「お姉ちゃんに乱暴するな」
白い息を吐きながら言うのは、寒さで鼻の頭を真っ赤にした男の子。……いつの日か、草笛を吹いていた子供だ。
「なんだと、このクソガキ!」
コツン。再び、幾分か大きな石が投げられ、衛兵隊の額に当たり、血が頬を伝う。
「おい!」
という間もなく。コツ。コツン。ゴツ! 大小の石がどんどんと衛兵隊へと投げられていく。
「痛い!」「やめろ!」という衛兵隊に、「お前らがひっこめ!」「もっと歌を聞かせろ」と民衆たちが次々に抗議の声をあげる。
その数、100人、200人は優に超えるだろうか。広場の争乱とは裏腹に、ミネルヴァの耳の中はキンッと静まり、胸に熱いものがこみあげてくるのがわかる。
「お前ら! どうなってもいいのか!!」
衛兵隊は大声を張り上げるが、石だけでなく、鋤や斧、ステッキやほうきなど、武器になりそうなものを片手にした民衆の輪に囲まれて、その威勢はすっかり小さくなっている。
そして、その時……遠くから聞こえるのは、かすかなラッパの音色。
「ラッパだ!」
「ラッパの音だ。初めて聞いた!」
子どもたちが嬉しそうな声をあげる。おそらく10年ぶりに響くであろう、高らかなファンファーレが澄んだ冬の空気を切り裂くように、どんどんと近づいてくる。
城壁へと続く大路の遠く、小雪で埋め尽くされた灰色の空に砂埃が見える。
だんだんと砂埃が晴れて、ゆっくりと姿を現すのは騎馬隊だ……。
――まさか。
何頭かの馬が列になって歩み寄ってくるのがわかる。
背中に大刀を差した勇壮な騎馬隊の姿が大きくなってくる。
先頭を率いる、ひと際目立つ艶やかな黒髪は。
「……アレックス!!」
「……やあ。遅くなったな」
あっけに取られている衛兵の手をふりほどき、ミネルヴァが駆け寄ると、アレックスは馬上から前と変わらない余裕ありげな笑みを浮かべる。
「本当よ!」
ミルトンたちをそっちのけに、兵隊たちの帰還に群衆がワーっと湧く。
「御父上!」
「レイ、留守中、変わりはなかったか?」
「はい!」
アレックスのすぐ後ろに控えている中年の将官は、レイの父親だ。見れば、他にも兵たちの家族が駆け寄っており、あちこちで再会を喜ぶ声が聴こえる。
「皆のもの! カナード族との和睦は相成った!
カナード族に武器を不当に輸出し、自身の私服を肥やしていた悪党はルーヴル公である!
公と結託していたカナード族の宰相および公の捕縛を持って、この争乱は集結した!」
アレックスが馬上で剣を掲げながら叫ぶと、いっそう大きな歓声が響く。
「これらの銅、および鉄鉱石はカナード族よりの和睦の証である!」
そして、後ろに控えてきた大きな荷台を指すと……。
「楽器だ!」「ピカピカ!」
そこに鉄鉱石とともに整然と積まれているのは、金管楽器の山。
「トランペットにユーフォニアム、チューバ、トロンボーン!」
目からは涙、口からはよだれを流しながら言うのはダグラスだ。
「……! これ、どうしたの?」
「カナード族はもともと銅鉱石と鉄鉱石の産地なんだ。辺境の地にあることをいいことに、あいつら、首長国であるアステルに黙って楽器を量産して、外国に輸出していたのさ。しかもアステルにもともといた楽器職人たちがカナード族に身を寄せて、山岳地帯にいくつも工房を開いていたんだ。それを補償金代わりにいただいてきたってわけ」
「でも、皇太后に知られたら、溶かされてしまうんじゃ?」
「そうかな? もうみんな音楽の喜びを知ってしまったようだけど」
ダグラスが勝手に荷馬車からトランペットを取って、高らかに一節を吹き上げる。
――これは……。
「気高き鷲よ 慈悲深き神よ」アレックスが馬上で歌う。
――あの歌だ。
いつか、パーゴラでアレックスが歌っていた、どこか切なく懐かしい歌。気づけば、民衆も兵隊も声をそろえて歌っている。
「やあ、古くから伝わる民謡だね。久しぶりに聞いた」
リアムがつぶやく。
「みんな、歌を忘れたわけではなさそうですね」
バートラムが言う。
ふと、気づいてミネルヴァはあたりを見回す。
兵隊たちと笑顔で肩を組んで歌っている民衆たち。
トランペットを吹くダグラスの周りを嬉しそうに駆け回る子供たち。
そして、最後に目に留まったのは……。槍を持つ兵隊に警備された粗末な馬車と、それに駆け寄るマーガレットだ。
「……お父様!」
マーガレットが小さな窓に縋りつき、その小さな肩をハワード公が支えている。
「マーガレット」
小窓の中では、ルーヴル公が薄く微笑んでいるのが見える。
いつものような脂下がった笑顔ではない、何か諦めたような、いやふっきれたかのような表情だ。
「どうやら私が失脚する前に、お前の居場所を作ることはできたらしいな」
マーガレットとハワード、そして後ろにいるミネルヴァの方にも目を向けてつぶやく。
「行ってくれ。もうじゅうぶんだ」
ルーヴル公が警備兵に合図をすると、マーガレットが声もなく、膝から崩れ落ちていく。
小窓がカタンとおそらくルーヴル公自らの手によって閉められ、極悪人をのせた粗末な馬車は歓喜の歌に見送られながら、そのまま王宮へ続く道へと遠のいていった。




