49話 夜明けの決意
そして夜明け。
眠れない時間を裁縫に費やしたので、ライブ用のリボンはほとんど完成した。メンバーカラーのサテンに豪華なフリル、この国の言葉でリボンの端には名前も刺しゅうしており、マーガレットほどではないけれどなかなかの出来栄えだ。
最後の仕上げに糸を通した針を引っ張ったところで……。
「いたっ」
ミネルヴァは過って自分の指先に針をさしてしまった。
人差し指には、赤い血玉がぷっくりと浮かび上がってくる。ひとなめするだけで、消えてしまうほどの小さな傷だ。
ふと、頭に先ほど見た新聞の文字が浮かんでくる。
『渓谷にて落馬のち行方不明』
初めて馬車に乗ったとき、間近で見る馬の大きさに驚いたものだ。あの高さから落ちたら、軽いケガじゃすまないだろう。ましてや場所は険しい山脈に囲まれた深い谷。今の時分なら、雪や氷河におおわれているかもしれない……。
ミネルヴァの頭の中に思い浮かぶのは、雪の上に倒れこむ、鮮血を流したアレックス。
――なんだか、キレイすぎて現実感がないわ。
「にゃあ」
ずっと部屋にいてくれたヴィオレッタが窓辺にたってカリカリと窓枠をひっかくので、ミネルヴァも窓の外を見る。
もうあたりはすっかり白じんでいるようだ。
しかし「にゃあ」と甘えた声で鳴くヴィオレッタが目を向けているのは空ではなく、もっと下の方だ。
バラ園の木立の影、しゃがみこむようにして隠れているあの銀髪は……。
「リアム?」
ミネルヴァは急いで庭に下りる。リアムは今、王宮への立ち入りを禁じられているはずだ。
誰かに見つかったらどうするというのだろう。
見張りの衛兵に見つからないようにしながら、ミネルヴァはリアムの元へと素早く走る。
「リアム!」
「やあ」
リアムはミネルヴァを見ると嬉しそうに微笑み、それから手をとって、急いで林の奥へと身を隠す。
「何してるのよ! 見つかったらどうするの?」
「ごめんね。君のことが心配で。一目だけでも顔を見たかったんだ」
きつくミネルヴァに問われて、目でわかるぐらいしゅんとする。
おそらく、このうなだれた姿の自分を、本気で叱れる女性などいないと知っているのだ。
「それより、一体どこから入ってきたのよ」
「秘密だよ。ヴィオレッタが、前に抜け穴を教えてくれたんだ」
人差し指を唇に当てて、いたずらっぽく笑う。
謹慎中の身で、こんな危険を冒して王宮に忍び込むなんて、リアムもアレックスのニュースを聞いていてもたってもいられなかったのだろう。
「アレックスのことなら、私は」
「信じていない?」
ミネルヴァがアレックスの名前を言うやいなや、かぶせるようにリアムが言う。
「そうね。彼が死ぬなんてありえない」
もちろん何もしてなければ、不安が頭をもたげてくるし、涙だって零れ落ちそうになるし、大声で叫びたくもなる。
しかしアレックスは、前世でも今世でも、今まで自分が出会ったどの人間よりも生命力にあふれた人間なのだ。そんな彼が、この世からいなくなるなんて、到底信じられるわけがない。
「驚いた。以前のミーナだったら、ずっと泣いていただろうに」
リアムがミネルヴァを見つめて、柔らかく笑う。
「まるで君じゃないみたいだ」
――ドキン。
「何、バカなこと言っているのよ。女はね、いろいろあると、強くなるのよ」
ミネルヴァの中にいるミナホに気付いているかのような、心の内まで見透かすリアムのシルバーアイ。思わずミネルヴァは目をそらしてしまう。
「でも、もし。……もし、アレックスが帰ってこなかったら? このまま≪アナザー・ロージア≫はなくなるんじゃないの?」
リアムが真剣な目で問うてくる。ただ元気づけにきたわけでも、もちろん口説きにきたわけでもない。おそらくミネルヴァの覚悟を聞きに来たのだ。
「リアム」
今度は、まっすぐにリアムを見つめ返す。
「≪アナザー・ロージア≫はアレックスありきのものじゃない。彼がいようといまいと、あなたたちは歌うのよ」
いようと、いまいと。自分で言った言葉が重くのしかかり、ミネルヴァは自分が羽織ったガウンの裾をきゅっと掴む。
「このままでいいわけがない。みんなが望むものを押さえつけて、それで国を統治しようなんて、そんなの間違っているもの」
「……それならいいんだ」
リアムはその言葉に軽くうなずいた。
「君がしっかり前を向いていることがわかって良かった」
すっかり庭は明るくなっている。衛兵の交代の時間だろうか、ザッザと靴の音が近づいてくる。
「そろそろ行かなくちゃ。僕の家でも僕が起きてこないって心配しているかもしれない」
「ええ」
「ミーナ、君は本当に強くなったね」
リアムが、最後にミネルヴァの手をとって甲にキスをする。
「じゃあ、聖イーグルの日に」
リアムは最後にそう言うと、木立の中へと去って行った。いつの間にかそばに来ていたらしい、ヴィオレッタがその後をそそくさとついていく。
おそらく木立の先に、彼女の抜け道があるのだろう。なーん、と甘える声だけが、耳に残った。




