42話 戦地におもむくアレックスとの約束
王宮がにわかに騒がしくなったのは、それから数日後のことである。
北部の異民族カナード族が蜂起したのだ。
「ミネルヴァ様!大変です!」と起きぬけにアンナが渡してきたのは、街で配布される号外新聞と皇帝の印鑑つきの伝令文だ。
「カナード族が蜂起……ですって?」
そこには北部に居住する狩猟民族であるカナード族の一派が武力蜂起したと書かれている。
聞けばカナード族の住む北部の山岳地方は冬は雪に閉ざされており、夏には断崖絶壁を登らないかぎり居住地にたどりつけない。いわば陸の孤島のようなものであり、自給自足に近い生活を送っているという。しかしそこで採れる鉄鉱石と銅鉱石をめぐって、首領国であるアステルとは長いこと小競り合いが続いているのである。
ミネルヴァは急いで身支度を整えて、ニコライの住む夏の宮殿へと急ぐ。
戦争をやめて、というのは簡単だが、ミネルヴァの一言で何かが変わるとは思っていない。
とりあえずは何が起きているのか知るのが先決だ。
しかし――。宮殿の前には、衛兵が長い槍を構えて立っている。
「通して」
「皇帝陛下より、許可のないものは通すなとお達しが出ております」
「皇帝の妹よ」
「例外はないとのお達しが出ております」
ちっ。無表情に伝えてくる衛兵に思わず舌打ちが出るが、衛兵たちは眉毛ひとつ動かさない。
とそこへ、回廊を渡ってくる一行が目に入る。
先頭を歩く長身は、アレックスだ。
「やあ。ミネルヴァ。早いな」
「アレックス!」
後ろにはルーヴル公も控えていて、目だけが笑っていない微笑を向けながら、胸に手を当てて頭を下げてくる。
「……聞いたの。戦争が始まるって」
「戦争といったって、小規模な反乱みたいなものだ。何も心配することはない」
「あなたも行くの?」
「辺境を守る兵から正式な要請があったら、皇族から誰か出ざるをえない」
「カナード族の居住区と接している辺境の警備兵からすれば、皇族が陣頭に立つことほど士気が上がるものはないのですよ」
ルーヴル公が口をはさんでくる。
「……でも、それで、お父様はお亡くなりになったのよ」
もちろん、前皇帝の弟であり、実父であるルイスの死に関しては今のミネルヴァが覚えているわけではない。
ただ、いくら高貴な血といえども、命を落とす危険性はある。その事実だけでミネルヴァは体が震えるのを感じた。
「俺は死なないよ」
「そんなこと」
「別に戦地に赴くのはこれがはじめてというわけじゃない」
アレックスは、あくまで軽く言おうとする。
それがミネルヴァには自分に心配をかけさせまいとする強がりに想えてしまう。
――≪アナザー・ロージア≫はどうするのよ。
つい、口をついて言ってしまいそうになるが、そこはルーヴル公の手前、言葉を飲み込んだ。
「さあ。陛下がお待ちです」
ルーヴル公が促すと、衛兵が槍を構え直して、大きな扉を開ける。
アレックスは、ミネルヴァには何も言わないまま、固い表情で中へと吸い込まれていった。
……
その夜、ミネルヴァは眠ることも能わず、こっそりベッドを抜き出していつものパーゴラへと向かった。
きっと、アレックスなら来てくれるに違いない。そんな予感があったのだ。
パーゴラは柱があるだけで外に面しているので冷たい風が入り込み、固いベンチもいつも以上に冷たく感じる。
アレックスの居住する冬の宮殿に向けて、ミネルヴァはランタンを揺らしてみる。
しかし、アレックスと会って、何を話すと言うのだろう。戦いに行かないで、と言ったところで、決定事項を覆すことなどできまい。気の弱い方ではないが、どうしても不安で手が震えてきてしまう。
――お兄様はなぜ戦争なんか……。
「やっぱりいた」
その声に気付いて顔をあげると、暗闇の中でアレックスが立っている。ランタンも持たずに、回廊に灯るランプの灯に背を向けているのでその表情はつかめない。
「アレックス……」
アレックスは何もいわずにミネルヴァの隣に座る。
いつの間にか、冷たい風の季節になった。初めてアレックスと出会った頃とは違って、もう月もずいぶん高くに登っているし、星はいっそうきらめいている。
「いつ発つの?」
沈黙を破るようにして、ミネルヴァが口を開く。
「1週間後だ」
「そんなに早く」
きゅっとスカートをつかむ。1週間後じゃ、コンサートも何も開くことができない。アレックスなしで、≪アナザー・ロージア≫はやっていけるだろうか。現実的な不安が頭をもたげてくる。
「また≪アナザー・ロージ≫のことを考えているな?」
「そりゃ、そうよ。マーガレットも参加してくれて、せっかく軌道に乗り始めたのに」
ミネルヴァがそう言うと、ハハッとアレックスは心底おかしそうに笑う。
「あんたの頭の中はそればっかりで、本当に面白い。俺のアプローチに乗ってこないなんて、あんたぐらいだ」
――アプローチ。
その言葉に、ミネルヴァの胸がドキンと高鳴る。
たとえば、パーティーでからんできた元夫のアーネストから逃げようとしたとき、バートラムの庭で蛍を見たとき、アレックスの好意を感じなかったわけではない。
しかし、それをそのまま素直に受け取るには、ミネルヴァは大人になりすぎていたし、アレックスは女性慣れし過ぎていた。
そう思ったそばから、アレックスは自分が身に着けていたガウンをミネルヴァの肩にかけてくる。
「ずいぶん薄着で来ている。もっと近寄って」
そのままミネルヴァの肩を抱き寄せて、耳元で話すものだから、ミネルヴァはくすぐったさに身をよじってしまう。
「今年の冬は寒いらしいな。天体省の人間が言っていた」
カナード族の居住地は雪に閉ざされた山岳地帯だという。さぞかし、風は冷たく、空気は刺さるようだろう。
「なぜ、わざわざ冬に戦うの?」
もっと違うことを話したいのに、口をついて出るのは現実的な問いかけだけだ。あえて話の核をごまかしてしまっているような、もどかしい気持ちになる。
「それこそ、彼らの戦略さ。カナード族は雪山に慣れている。一方、アステル国の大半は温暖な気候で兵士たちのほとんどが雪山には慣れていない。おまけに雪山となれば、軍隊が通れる道はさしてない。一本道でやってきたところを順番に討ってやろうという戦法なんだろう」
「そんな。そんなのやられに行くようなもんじゃない」
アレックスの腕をつかむと、驚いたような表情を見せ、そのまま思いがけずに不適に微笑む。
「俺がいなくなったら困る?」
「あたりまえでしょう!馬鹿! 死んだら許さないから!」
「ひどい言いようだ」
アレックスが肩を震わせて笑っている。無邪気な笑顔だ。
真意を訪ねるなら、今しかないだろう。
ミネルヴァは意を決して、聞きたかったことを訪ねる。
「アレックス、聞きたいことがあるの」
真摯な声色が伝わったのだろう、アレックスは笑うのをやめてこちらをじっと見つめてくる。
「どうして、お兄様はあなたを戦地に送りこむことにしたの?」
「さっき、士気を高めるため、とルーブル公が言っていただろう。ただでさえ、この国は皇位継承者が少ないんだ。」
たしかニコライは未婚で子どももいないから、直系の皇位継承者といえば廃位されたアレックスぐらい。その他に先々代の皇帝の兄弟の子孫がいるが、それも遠い血縁関係があるだけで、数も5人に満たないらしい。
「数少ない皇帝の血を引く人間に、そんな危ない橋を渡らせるの?」
「なかなかするどい」
アレックスは小さな子どもをほめるように、サラっとミネルヴァの頭をなでる。
「おそらくみんな、内乱を治めてカナードの地を力で平定しようと考えてるだろう? でもニコライは違う。彼はあくまで和睦を申し込むつもりなんだ。正しい取引、対等な交渉をするには、こちらもそれ相応の人物を出さなくては信頼されない」
アレックスが、言葉を選ぶようにしながら語り始める。
「それに少ないのは、皇位継承者だけじゃない。皇帝の周りには信用できる家臣が少ないんだ」
「どういう意味?」
「ニコライが即位してもう何年も経つのに、いまだにニコライではなく皇太后の顔色をうかがう貴族は多い。皇太后の腹心であるルーヴル公は私腹を肥やすことと権力に固執しているし、ニコライは剣が立つわけでもないから騎士団からの信頼も薄い」
「ひどい言いよう、はどっちよ?」
思わずミネルヴァは兄をかばってしまう。しかしアレックスの表情はあくまで柔らかく、彼がそこまでニコライを悪く思っているわけではないことは伝わってくる。
「だから、信頼できる人間がカナード族の長に会いに行くしかないんだ」
「そんな……」
ミネルヴァは言葉が継げなくなる。
「俺にもし何かあったら、ニコライを、この国を頼む」
「いやよ」
アレックスが弱気な言葉を言うので、ミネルヴァがあえていじわるな返事をする。
「この国を、私に好き勝手されたくなければ、無事に帰ってくることね」
涙がこぼれおちないように睨みつけながら強く言うと、アレックスはまぶしいものでも見るように目を細めて見つめてきた。
「それじゃあ……帰ってくるしかないな」
そして。
流れるような手つきで、ミネルヴァの額にかかった髪を耳にかけると、ひどくスムーズに、そっと口づける。
「……厄除けのおまじない」
突然の、しかもほんの少し触れるだけの優しいキスにあっけにとられているミネルヴァに、いじわるな笑みを浮かべて言う。
―――……厄除け?
「それ、どういう意味?!」
「さあね。おやすみ!」
そのまま後ろ手に手をヒラヒラさせて、アレックスは立ち去ってしまった。
ひとり残されたミネルヴァは、そっと指先で唇にふれる。
さっきはあんなに温度を感じたのに。
すでに唇は、冬の風にさらされて、ひんやりと冷たくなっていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
あと10話前後で完結予定です。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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