38話 国一番のおしゃれ好き、マーガレットへのお願い
ミネルヴァはルーヴル公の邸宅へと来ていた。
もちろん、ルーヴル公の動きは気になるけれど、今日、用事があるのは娘の方である。手紙でいくら誘いをかけても断られるばかりなので、アポイントも取らずに押しかけたのである。
もちろん父親であるルーヴル公にばれてしまっては元も子もないので、執務で邸宅を留守にしているときを狙っている。ルーヴル公に出入りしている業者に渡す袖の下だって馬鹿にはならないけれど、背に腹は代えられない。
「ミネルヴァ様」
応接間で待っていると、少しだけ怒った顔をしたマーガレットが入ってくる。
「突然、何の御用なんです?」
「そうよね。ごめんなさい」
誰だって、急に家に押しかけられたら迷惑だろう。ミネルヴァは素直に謝る。
「ミネルヴァ様がいらしたと知ったら、お父様に怪しまれるでしょう?」
心配なのは、こちらのことか。やはり根は優しい子なのだ。
だからこそ、こちらの動きがルーヴル公にバレることはないだろうと踏んで動けているのではあるが。
「ルーヴル公は、今日はキアヌの街かしら?」
ミネルヴァは少しだけ、ルーヴル公の動きについて探りを入れてみる。実際には今日は宮殿に出仕しているのはわかっているのだが、もしかしたらキアヌの街の訪問頻度などがわかるかもしれない。
が、マーガレットは「お父様がキアヌの街、ですか?」といぶかし気に答えてくる。マーガレットの表情から察するに、本当に何かを知っているわけではあるまい。
「あまり街に出ているという話は聞いておりません」
「ルーヴル公はあまり街がお好きじゃないのかしら。私はキアヌの街は好きだわ」
「さあ。私はお父様と出かけることはほとんどありませんから」
あまり父親との関係はよくないのだろうか。マーガレットは黙り込んでしまう。
ミネルヴァは紅茶を一口飲み「実はね。今日は、あなたに頼みたいことがあって」と切り出した。
「……スタイリストの件でしたら、お断りしたはずです」
――やっぱりダメか。
ほんの少し、期待していたが、マーガレットの意志は固い。でも、これであきらめるミネルヴァではない。
「スタイリストは諦めたわ。ただ、どうしても、ひとつだけ聞いてほしいの」
「ひとつだけ、と言って、ひとつだけのお願いで済む人はほとんどいません」
――なかなか鋭い。
コホンとひとつ咳払いをする。しかたがない、聞く気がなくても話を進めよう。
「あなたにしか作れない小道具があるのよ」
間髪を入れずに「これを見て」と差し出したのは、ミネルヴァ自身が描いた天使と悪魔のラフとメモ書きだ。あまり絵心のないので、わかりにくいかもしれない。マーガレットは、軽く眉間にしわをよせて、メモを凝視している。
メモの中央には、白いジャケットを着た天使に、黒いジャケットを着た悪魔とおぼしき棒人間。羽の部分には、チュール、レース、刺しゅう、と適当に材料の案が書いてある。
「なんですか?これ」
「実はね」
ミネルヴァは、今度の公演のプロットをマーガッレトに説明する。
主人公はアレックス扮する騎士。騎士には恋人がいて、戦いが終わったら結婚をする約束をしている。
しかし戦いのさなか、バートラムが扮する騎士の友人が毒矢に倒れてしまう。
友人を助けるには、厳しい崖の上にある解毒作用のある花を摘んでせんじなくてはいけない。崖を登っていくうちに、レイ扮する天使は騎士を鼓舞し、リアム扮する悪魔は誘惑する。
そして、ついに騎士は花のある岩肌に到達し、悪魔は去る。騎士は友人を助け、恋人のもとへと急いで大団円。
その物語の中に、曲を組み込んで、ミュージカル仕立ての公演にしようというのである。
「面白そう……」
プロットを一通り聞いたマーガレットは、思わず感想を口にする。
正直、ミネルヴァがもてる知識を総動員して作った付け焼刃な物語なのだが、娯楽に飢えた若い貴族の心は簡単につかめるらしい。実際、このあらすじを≪アナザー・ロージア≫のメンバーに説明したときも、レイだけは号泣しており、他のメンバーから冷たい目で見られていた。
「でしょ?」
ミネルヴァが食い気味に聞くと、マーガレットは気まずそうにメモで口元を隠す。
「それでね、いろいろ見てみたのだけど、天使と悪魔のイメージに合う衣装がないのよ。最初は本物の羽を付けようかとも思ったのだけど、どうしても重くなってしまう。それで、あなたのセンスなら、レースやチュールを使って作れるのでは、と思ったの」
マーガレットがイラストを見たまま考え込む。
いつも以上に気難しい顔をしているのは、きっと頭の中で父親のことやアレックスのことを考え巡らせているのだろう。
この可憐な少女が板挟みになっているのが自分のせいだと思うと罪悪感が首をもたげてくるが、そんなことは言っていられない。
「あなたの裁縫の腕はアステル国いちだと評判ですもの」
マーガレットは、黙り込んでいる。
「あなたに迷惑をかけることはないわ。あなたは、ただ私に頼まれて、祭礼用の衣装を作るだけ」
ミネルヴァが畳みかけると、マーガレットは観念したかのように「いつまでに必要なのですか?」と口を開いた。
ミネルヴァは、内心、よし!と手を握るが、表情に出さないように冷静を装う。
「本番は2週間後を目指しているわ」
「お約束はできません」
「ええ。でも待っている」
ミネルヴァは、半ば無理やり言い捨てて、ルーブル邸を後にする。
――もし作ってもらえなかったら……。その時は、その時だ。黒と白のストールでも巻いておけばそれらしく見えるだろう。
……
そして、お次はーー。
春の宮殿に戻り、自室に続く応接間に入る。
「ミネルヴァ様」
最近は≪アナザー・ロージア≫全員で集うことが多かったが、珍しくダグラスひとりの訪問だ。
「どうしたの? 急に用があるって」
「はい。お時間を作っていただきありがとうございます!」
ダグラスがペコリと軽く頭を下げる。
「実は、楽器を増やせないかのご相談なんです」
内心、もうやめたいと言われたどうしようと思っていたのでミネルウヴァは安心するが、しかし、それはそれで難題でもある。
「やはりカホン一台ではリズムしか刻めません。今度ミネルヴァ様がお考えになっている公演はお芝居仕立てですよね。さすがに打楽器だけでは情感がなさすぎます」
「……たしかに」
それは、実はミネルヴァも考えていたことである。歌い手が4人に増えたことで声には厚みが出た。その変わりに、ソロのときには感じなかった伴奏のかぼそさが、際立ってしまうのである。
アステル国の楽器は誰かが隠していないかぎり、燃やされていると思っていい。かと言って、誰か持っていないかと聞き回ることもできない。
いっそ、密輸でもするべきか。しかしどこから密輸すればよいというのだろう。アステルの支配下にはない、周辺の友好国と言えば……。
ミネルヴァが考えながらぐるりとあたりを見回すと、こちらをじっと見つめるアンナとバチっと目が合う。この目つきは……。
「どこか思い当たるのね?」
「……はい。ひとつだけ」
ミネルヴァの視線に促されるようにして、アンナが白状する。
「同等の力を持つ友好国、かつ文化芸術活動が盛んな国と言えばトラネス国しかないと思われます」
「なるほど!ミネルヴァ様の古巣でございますね」とダグラスも賛同する。
しかしアステル国が楽器の輸入を禁じているのは、近隣国であれば周知の事実だ。それを反故にしてくれるぐらいの取引材料が必要である。
「何か、弱みがあると良いのだけれど」
「もしくは、アステルにあってトラネスにないものとか」
ミネルヴァは、開港パーティーで会った元夫とその妻の顔を思い出す。
「あの品のない愛人顔の女、たしか何か言ってたわ」
「ミネルヴァ様、絶好調でございますね……」とアンナ。
たしか、あのときこう言ったのだ。「お気に入りのサファイアがどなたかの元に預けられてしまった」と。
ミネルヴァは、椅子から立ち上がり、隣の自室のウォークインクローゼットをあける。質素なドレッサーの中でひときわ異彩を放っていた大きなサファイアのネックレス。
「これだわ」
雑につかんで、ダグラスの元に持っていく。
「これだったら、どんな楽器と交換できる?」
ダグラスは、丸い目玉をさらにまん丸にしてサファイアを見つめる。
「これは……トラネス国の特産であるサファイアですね。しかも国宝級の大きさだ。これなら下手すりゃオーケストラひとつ分手に入りますよ」
「じゃあ、このサファイアとの交換を持ちかけましょう。あの女なら絶対に食いつくわ」
「……よろしいので?」
「もちろん。こんなサファイアになんの意味があるというの?」
アンナとダグラスはそろって「さすがでございます」と言ってきた。
さっそくミネルヴァはトラネスへと手紙を書く。宛先は腑抜けの王太子ではなく、欲にまみれた王太子妃。王太子には大国アステルにたてつく勇気などないが、あの王太子妃は違う。
欲望の指針がしっかりとしている相手は、実はやりやすい取引先でもある。あの女は金や宝石のためならば、ほいほい動くタイプの女なのだ。
それに国を代表する立場にあるわけでもないし、たとえ取引がばれたとしても下賤な女が欲に目がくらんだ、で済まされるだけだ。
数日後に届いた返事は、もちろんオーケイ。ただし、オーケストラひとつ分とはいかないようだ。
「親愛なるミネルヴァ様
私を頼っていただき、本当に嬉しく思います。
ただおわかりの通り、王太子妃に割り当てられた公費など微々たるもの。
いくらサファイアを戻していただけると言われても、
すぐに用意できるのはそんなに多くはありません。
とりいそぎ、トラネスの職人が手がけた一流のヴァイオリンは手配いたします。
あまり数は期待せぬよう、お伝えしておきますわ」
時間がないし、しょうがない。ミネルヴァは了解の返信をしたためる。
ミネルヴァの慰謝料変わりの取引が幸いして、トラネスではアステル国の商人であればある程度の自由貿易が許されているため、個人輸入の目もそこまで厳しくない。バートラムに依頼すれば、なんとか輸入経路は確保してくれるだろう。
やるべきことはやった。ミネルヴァは、ふうっと安堵の息を吐いた。




