29話 バートラム邸がコンサート会場に
朗読会まであと一週間。
再びミネルヴァとアレックス、ダグラス、それからすでに秘書として重宝されつつあるアンナは、バートラム邸へと集まった。
今日は最終確認、いわばリハーサルともいうべき日だ。
サロンの装飾は、ネイビーとブラウンが基調。椅子も深いネイビーのリボンで飾り立てて、シックな雰囲気にする。
バートラム家のシャンデリアは、この世界では最新式のガス灯で明るさも強い。最後の朗読のときにはシャンデリアの灯りを消して、ガスランタンをステージに配置して簡易的なスポットライトのようにする。
もちろん現代のライブハウスのような最新の音響や照明もないけれど、それでもこちらは高級な木材を使った家具やインテリアの持つ重厚なパワーがある。
ステージが飾り立てられるのを見ているミネルヴァは、胸が湧きたつのを押さえられないでいた。
そのミネルヴァの気持ちを煽るように軽快に叩かれるのは、ダグラスのカホンだ。一流のパーカッションのように、手の平と指先を使って巧みに音を使い分けている。
「どうです? なかなかの出来でしょう?」
さすが音楽狂と名高いダグラス、すでにこの簡単な楽器を物にしているようだ。
「ねえ、こんなところで弾いていて、みんなが何事かと思わないかしら? もしこの時点で噂になったらどうするのよ」
ミネルヴァが半ば呆れたようにダグラスをたしなめると、「その点は心配に及びません」と家主であるバートラムが話を割って入ってきた。
「うちで働く者にはじゅうぶんな給金を与えております。この家で見聞きしたものを口外するような痴れ者は雇っておりません」
「なるほど、口止め料が入っているんですね! さすが商売上手と名高いバートラム家だ!」
褒め言葉とも嫌味ともつかない言葉にバートラムとミネルヴァは沈黙するが、当のダグラスは満面の笑みだ。バートラムのこめかみに血管が浮いているように見えるのは、気のせいではないだろう。
「ミネルヴァ様。皆さま、お疲れのようです。そろそろお暇のお時間では」
冷や汗をかいているミネルヴァのもとへ、アンナが耳打ちしてくる。たしかに気づけば、窓の外はとっぷりと日が暮れている。装飾のために働いているのは主にバートラムの家の使用人、いくらバートラムがいいと言ってもこれ以上つき合わせるのはまずい。
「気づかなかったわ、ありがとう」
――こういうところが良くなかったのよね。
ワーカホリック気味だった自分の以前を思い出す。思えば≪ロージア≫のみんなも、夢のためによく付き合ってくれていた。
「あら、アレックスはどこ?」
ふと見渡すとアレックスがいない。ミネルヴァは近くで働いていた使用人の一人に聞いてみる。
「アレックス様なら、先ほどテラスから庭の方へ出ていきました。ご案内いたしましょうか?」
「いいの。ちょっと探してみるわ」
バートラム家の庭はそこまで広大ではない。ミネルヴァは、アレックスを追いかけて庭へと出た。
「アレックス」
夕闇に包まれた庭園の小路の先に、黒いシルエットが見える。呼びかける声に気付いたのか、アレックスはこちらを向いて手をふるような仕草をした。
ミネルヴァが近づく、と同時に、自分がふわふわとした小さな光に包まれているのに気づく。髪の毛の先まで、ぽうっと光が灯って、まるで髪の毛が発光しているかのようだ。
「え……」
いつの間にか、ミネルヴァの周囲には無数の光の粒が漂っている。
「綺麗。これは……ホタル?」
ミネルヴァが手を伸ばすと、その指先に光の粒がとまった。
「浜ホタルだよ」
淡い光に照らされながら、アレックスが言う。
「ちょうど行商人が来ていたんで、買ったんだ。あんたに見せたら喜ぶかと思って」
「すごい。星の中みたいね」
現代のホタルと違って、光はオレンジがかった温かな光だ。おそらくいつかフィナンスの街で屋台に売られていた、あのホタルだろう。ホタルはすぐには飛んでいかずに、ゆらゆらとミネルヴァの周囲を漂う。
「あんたはさしずめ月の女神だな」
「ふふ。何それ。いつもそうやって女の子を口説くの?」
こちらを見つめるアレックスの瞳にも、ホタルの光が映って揺らめいている。憂いをたたえた深い湖のような眼差しに、思わず手を伸ばしそうになる。
「ホタル、ここに止まってる」
が、先に手を伸ばしてきたのはアレックスだ。額にそっとやさしく触れて、そのまま軽く指の背で頬をなでてくる。
ロマンティックが過ぎる、このシチュエーションに、ミネルヴァの心臓もうるさく音を立てている。このまま目を閉じたら、おそらくアレックスの顔は自分の顔に近づいてくるだろう。しかし、このプレイボーイにとって、キスがそんなに重い物だとは到底思えない。
――いけない。この間、女遊びは厳禁と言ったばっかりなのに、自分が誘惑されそうになってどうする!
――このホタルがいけないんだわ。
――この光が、非日常へと連れて行ってしまうから。
「そうだ!」
「……え?」
「ホタルよ。このホタル、利用できない? 最後のスポットライトはガスランタンを使うのではなく、ホタルを放つの」
「……あんたって仕事バカ?」
ロマンチックな雰囲気をそっちのけに、急に饒舌に話し出すミネルヴァを見て、アレックスが口元を押さえながらクックと笑う。
「失礼ね」
――正真正銘、根っからの仕事バカよ。
「ホタルの手配を頼んでくるわ。あなたも早く戻ってきてね」
「ああ」
まだ笑いを含んだ声だ。
「ミネルヴァ!」
先に歩きだしていたミネルヴァが呼び止める声に振り向くと、アレックスとは思えないほど爽やかな笑顔があった。
「1週間後、楽しみだな」
「ええ、本当に!」
ミネルヴァもつられて笑顔を返した。




