2話 距離感ゼロの銀髪美青年は婚約者!?
ミネルヴァが目を覚まして、1か月が過ぎた。
大げさなドレスと大がかりな湯あみさえ我慢すれば、アステル国での生活はほとんど天国と言っても過言ではなかった。どんな大きなライブ会場でも劇場でもかすれてしまうほどの絢爛豪華な宮殿内は散策をするだけで心が躍ったし、庭園に咲き乱れる色とりどりの花はミネルヴァの心を癒してくれた。
詮索好きそうな貴族のご令嬢の目線に合うことはあったが、しょせんは単なる噂好きの野次馬。以前のミネルヴァは知らないが、今のミネルヴァには気に病むほどのものではない。
ただ、天国とは得てして退屈なものなのだった。
「ねえ、アンナ」
バラ園の中の東屋、瀟洒なテーブルセットに腰かけて、ミネルヴァが言う。
「はい、ミネルヴァ様」
「退屈ね」
「まだ、お目を覚ましてから1か月ほどです。安静にしているのが宜しいのではないでしょうか」
いつもこれだ。
1か月たってわかったが、アンナはなかなか頑固なところがある。
例えば、城外に出てみたいと言っても絶対にダメ。ごてごてと重いドレスではなく、薄手の部屋着で1日過ごしたいと言っても「皇女としてあるまじき行為」と一喝するのみ。テーブルマナーを少しでも間違えれば、「おいたわしい。記憶をなくして、品性までなくされたのですね」と目をハンカチでおさえる始末。つまりは、ミネルヴァにとってかなり手厳しい。
ーー最初の日に見せた殊勝な涙は、いったいなんだったんだろう。
ミネルヴァはため息をついた。
東屋の片隅にはグレーの太った猫がいて、ミネルヴァをちらっと見てあくびをする。猫にまでバカにされた気分である。試しにチチッと舌をならすが、猫はまったく興味を示さない。
「ヴィオレッタは女性があまり好きではないんです」
どうやらこの猫はヴィオレッタというらしい。エキゾチックショートヘアのような鼻のつぶれたブサイクな猫だが、名前だけは仰々しい。
「誰か飼っている猫なの?」
「いえいえ。勝手に住み着いているんです。ネズミやイタチを捕まえてくれるし、これでも王宮の人気者なんですよ」
アンナがひとなですると、ヴィオレッタはニャーンとひと鳴きする。どうやらアンナには懐いているらしく、そのふてぶてしさがいっそうミネルヴァには面白くない。
ふと、目を庭から見える回廊に移すと、何やら回廊が騒がしい。
派手な衣装を身に着けた人物が3人ほど何か話しながら城内に入ろうとして、そして警備兵たちがそれを取り囲んでいる。
「あれ、何かしら」
「あれは……吟遊詩人です」
「吟遊詩人?」
「旅をしながら楽器を演奏し、金銭を稼ぐ流浪の民です。こんなとこまで入りこむなんて……」
アンナがどこか苦々しい表情でそう言う。
「私、聞いてみたい!」
ミネルヴァが勢いよく席を立とうとすると、その手を引く者がいる。
「いけない」
手を掴んでいるのは、白皙の美青年。銀髪のようなプラチナブロンドに、薄いグレーの瞳。銀のまつげが優しい目元に影を作り、物憂げな表情に見えるのがたまらない。空気に溶けてしまいそうなほどの色素の薄さだ。
この美青年を逃してはいけない、とばかりに、ミネルヴァはその手を握り返した。
「ミーナ?」
明らかに日本人ではないのに、言語はわかるらしい。もしかしたら日本暮らしが長いのだろうか。それなら即戦力になる。
「ミーナ……ミネルヴァ?」
――ミネルヴァって誰よ、そのキラキラネーム……。
と思い至ったところで、ミネルヴァは転生前の記憶を追いやった。
――やばい、やばい。スカウトするところだった。
「コホンッ……ご、ごめんなさい。気が動転して」
気を取り直すために、咳払いをひとつして椅子に座り直す。
「ええと……あなたは?」
「記憶、なくしたっていうの、本当だったんだね」
美青年はミネルヴァの手を握ったまま、言う。
「ええ、だからあなたのこともわからなくて、ついぼうっとしちゃった」
美青年は、ミネルヴァの右手を両手で包み込み、自分の口元にそっと近づける。
「良かった。目を覚ましてくれて」
そして天使のように微笑む。
「僕はリアム。君の元婚約者だよ」
――婚約者。この大理石のギリシャ彫刻のような青年が……。
気が付くと、猫のヴィオレッタまで青年の足もとに来て、背中をこすりつけて甘い声でニャーンと鳴いている。
「リアム様!」
アンナが咎めるような口調で言うと、リアムはパッと手を放して両手をヒラヒラとさせる。
「フフ。半分冗談。子どもの頃の話だからね」
「子どもの頃」
よく見ると、リアムは年も20歳を過ぎたばかりといった頃か。ミネルヴァよりは幾ばくか年若く見える。
「僕は、リアム・ハートリー。君とは幼馴染だったんだ」
ハートリー公爵家。この1か月でアンナに無理やり覚えさせられた、この国の主要な貴族の中にあった名前だ。代々この国の参謀職を務める家柄で、たしか一家の長であるアランソン・ハートリーは前皇帝時代から宰相を務めているはずだ。
「ミーナ」
リアムは、甘い声で微笑みかけてくる。この世界に来て、ミーナなんて愛称で呼ばれたのは初めてだ。前世での自分の幼い頃の愛称もミーナだった。
だからなのか、それとも本当にこの声に聞き覚えがあるからなのか、ミネルヴァはどこか懐かしい気持ちになった。
「僕はいつも君の後をくっついていたからね。トラネス国に嫁いだときには本当に悲しかった。
だから君が帰ってきたと聞いたときには嬉しくて……。なのに記憶を失う病にかかってしまうなんて」
アンナの方を見ると、軽く一度だけ頭を振った。ミネルヴァの自殺未遂は、おそらく王家の恥。内々に処理されているのだろう。
「記憶を失ったというのも、嘘なんじゃないかって思ってた。でも本当みたいだね」
リアムの目がすっと細められる。
「音楽を聴きたいだなんて」
「……どういう意味?」
「この国、特に王宮内では音楽はご法度。
先の内乱の戦没者の死に喪に服す……という名目だけれど、皇太后様が音楽を嫌っているからね」
「音楽を嫌う人なんているの?歌も? 楽器も? ダンスも?」
リアムはしかたがないという風に首をすくめる。
「もちろん近隣国とのパーティーなんかがあれば、室内楽が流されることもある。でもそれだって表立って推奨されているわけではない。歌手や芸人といった自分の身を削って金銭を得ようとするのは下賤な商売だとされているし、今のアステル国にはいない」
ミネルヴァは、自分の手が震えるのがわかる。
ーーじゃあ、この世界では、アイドルなんてもっとも下賤なものだわ。
まるで自分の人生を、全否定されたかのような気分だ。
「リアム様、ミネルヴァ様はまだ混乱されておいでです。今日のところは」
ミネルヴァの表情が変わったのがわかったのだろう、アンナが口をはさむ。
「わかったよ。ミーナ、庭園にはよく来るの?」
「え、ええ」
「じゃあ、また会えるね」
リアムは、再びミネルヴァの手を取ると、甲に口づけを落とし去って行く。その後ろ姿を、ヴィオレッタがいそいそと付いていった。
どうやらあの太った猫は、男性のことは嫌いじゃないらしい。
「ねえ、アンナ?」
「はい、ミネルヴァ様」
「皇太后さまって、私のおばあ様よね」
「はい。先の皇帝の母君であり、ニコライ様とミネルヴァ様のおばあ様であらせられます」
「そのおばあ様は、なぜ音楽を嫌っているの?」
「私のような身分の者にとっては、皇太后さまのお考えを想像するのもおこがましいものです」
「……そう」
おそらく、これは口を割らないだろう。ミネルヴァはアンナが淹れてくれた紅茶に口をつける。
この1か月、アンナはミネルヴァにこの世界のいろはを教え込んだ。
お辞儀の仕方からテーブルマナー、ドレスの扱い方、近隣諸国との関係……。考えてみると、そこにはダンスやピアノといった音楽の要素はなかった。一般的に社交界ともなれば、ダンスなんていの一番に覚えないといけないことのはずなのに。
――音楽が嫌われている国、だからか……。
よりによって、音楽のない世界へと転生したのは、どうしてなのだろう。
もしかしたら、自分には音楽もアイドルも無縁の世界のほうがふさわしいという神様の思し召しなのだろうか。
ミネルヴァは、前世に自分が大好きだったアイドルのステージを思い出す。
自分とアイドルの出会いは、高校のバレーボールの大会で、開会式のセレモニーに登場したアイドルのパフォーマンスに心を奪われたのが最初だった。
アイドルたちは自分とたいして年齢が変わらないよう少年たちなのに、自分とはまったく違う世界の人間に見えた。なんの装飾もない体育館がキラキラとまぶしい天国のようで、華麗に舞い踊る少年たちは光の妖精のようで、己の青春をかけたはずのバレーボールなんて頭の中からすっかり飛んで行った。
それぐらいの衝撃だったのだ。
――この世界では、あのドキドキはもう経験できないってこと?
そう思い至ると、ミネルヴァの心には、重いしこりのようなものが残った気がした。




