15話 異世界でアイドルをスカウト!
ニコライと話をして以来、ミネルヴァの目は自然とアレックスの姿を探すようになっていた。
しかし不思議なもので、探せば探すほど、本人に会えない日が続く。別に会ってどうしようという計画は何もない。「アステル国で一番のアイドルにならないか?」だなんて言ってみたところで伝わるはずもないし、とうとう本当に気が狂ったかと思われるだけだろう。
ミネルヴァは、いつぞやアレックスとその取り巻きを見かけた庭園をゆっくり歩きながら、木立のざわめきに耳を澄ませた。
自然と、あの夜に耳にしたフォルクローレ調の歌が口元をついて出る。フンフーン♪ フーンフーン♪ うろ覚えなので、様にならないが、木々のこすれる音が伴奏みたいで心地よい。
昼下がりの木漏れ日があまりにも美しいので、ミネルヴァはついご機嫌で鼻歌を歌う。
「相変わらず行儀の悪いお姫さまだな。トラネス国でよっぽどひどい目にあったと見える」
と、耳慣れた声。
「……きゃっ」
驚いたミネルヴァは、よろめいて転びそうになる。
「あぶない」
アレックスが手を引き、自分の肩に抱き寄せる。すぐ目の前には、汗ばんで艶々と輝く首筋。またおイタをしてきたのだろうか、フリルシャツの前はラフにはだけていて、ミネルヴァの手にしっとりとした肌が吸い付いてくる。
がっしりとした腕に抱きしめられて、ミネルヴァは迷わずたっぷり匂いを吸いこんだ。
「スー」
「おい」
「ハー」
少しの汗のにおいと針葉樹のような清廉な香りだ。
「おい!」
「スー」
「ミネルヴァ」
「ハー」
「ミネルヴァ!」
――わっ。間違った!ハグ会じゃなかった!
「あ、ごめんなさい!あまりにいい匂いだったから!」
急いで体を離すと、アレックスは呆れた顔でこちらを見ている。
「なんなんだよ? 目が覚めてからのあんた、本当に変だぜ?」
「ええと、そうよね? うん、私もそう思うわ」
ミネルヴァは焦って、やはりおかしな返答しかできない。
「ハハッ」
アレックスは、そんなミネルヴァを見て、心から楽しそうに笑う。今まで見たことがない、やんちゃな子どもみたいな笑顔だ。
「おかしいな、あんた」
いつも女性たちに囲まれていても気を許している様子がないアレックスだが、今はほんの少しだけ周りの空気が和らいでいるのが分かる。
「ええと、アレックス。少し話さない?」
「へえ。珍しい。俺のことを避けているのかと思った」
「避けてなんかいないわ。あれは、あなたを避けているんじゃなくて、あなたの周りにいるご令嬢たちを避けていただけ」
「ふぅん。はっきりと言うね」
「ただでさえ出戻りの皇帝の妹だなんて、身分が高いだけで扱いにくいもの。そのうえ“みんなのアレックス様”の幼馴染で、いかにも親し気な様子で現れたら、女性陣からしたら面白くないはずよ」
「分析力も確かだ」
アレックスは心底面白そうに言って、進路の邪魔をしていた木の枝をぐいと引っ張る。
ちょっと力を入れただけでも、筋張った手首に血管が浮き出て生々しく美しい。
本当にどこからどこを切り取っても、絵になる色男だ。
「みんなのアレックス様……ね。権力もない、財だって許されていない。顔と体だけが取り柄の俺に、いったい、何を求めているんだか」
いつもうわべだけの会話しかしないアレックスが、珍しく本音を言う。
「顔と体だけが取り柄って、それだけでも素晴らしいわ」
もう少し顔が良ければ、もう少し身長が高ければ。そう言って、くやし涙とともに消えて行ったアイドル候補たちは今まで何人も見てきた。
「それに……あなたには、歌がある」
そう言うと、アレックスは驚いたかのように目を見開く。
「……何を言ってる?」
「だって、前に歌っていたじゃない。とても素敵な声だった。聞いているだけで涙が出るような。あんな歌声、私のマネージャー人生でもそうそう会えたことないわ!」
ーーいや、マネージャー人生って。また訳のわからないことを言ってると思われる!
ミネルヴァは自分の失言に焦ったが、アレックスの方では気づいてないらしい。
「あの歌は、どこで覚えたの。ほら、この間も歌っていた……」
風がそよそよと吹いてくる。アレックスは絞り出すように「塔の中で」とつぶやいた。
「あの歌は、子どもの頃好きだった歌なんだ」
アレックスは木立の影にひっそりと隠れるように鎮座する、アメルダ像の方をじっと見つめる。
「塔の中では、歌だけが慰めだった」
「お母さまが歌ってくれたの?」
「さあ。昔のことだから覚えていないよ」
忘れられたアメルデ像の、艶やかな面差しを思い出す。
――きっとアメルデ像のモデルはアレックスではなく、リリアンヌ王妃だったのね。
そしてそれは、きっと前皇帝が愛する妻のために建てたものなのだろう。高い塔の部屋から、草で覆われた石像に向かって子守歌をくちずさむ少年の姿を想像して、ミネルヴァの胸はチクッと痛んだ。
「それに、今は歌ってはいけない」
アレックスは苦しそうに言う。
「おばあ様が、皇太后様が音楽をお嫌いだから?」
ミネルヴァが吐き捨てるように言うと、アレックスが手を握ってくる。軽く触れただけなのに、焼け付くように熱い手だ。
「ミネルヴァ。だとしても、誰も、おばあ様を責めることはできない」
哀しみをたたえた黒曜石のような瞳が、じっとミネルヴァの瞳を釘付けにする。
アレックスは、その当の皇太后に、身分をはく奪されて幽閉されて、あまつさえ命さえ奪われようとしたのに。
憎しみはとうに尽きてしまったのだろうか。それとも単に優しいだけなのか。….....見捨てられても、憎みきることはできないのは自分も同じだ。
「アレックス。……あなたと私は同じ」
ミネルヴァは、アレックスの手をぐっと強く握る。
「皇帝の妹と言ったって、誰も私に見向きもしない」
こちらを嘲笑するように扇で口元を隠す貴婦人たちの姿。いつも腫物に接するように扱ってきたアンナやニコライ。前世で自分に背を向けた≪ロージア≫のメンバー。私こそが事務所を背負っていたと信じていたのに、簡単に切り捨てようとした社長……。
「きっとみんな知っているの。自殺をしそこなった哀れな貴族の女だって。これから私を娶る人だってきっと現れないし、このまま城で朽ちていくだけの運命よ」
ーーそう、それなら……。
「アレックス、私と一緒にアイドルを目指しましょう」




