第十七章: 王女対聖女
その日の夕食はトレーシーの部屋で二人で食べる事になった。俺は侍女たちに槍で刺されないかとヒヤヒヤしたが、トレーシーは「エドは紳士だから大丈夫ですよ。」と笑っている。
侍女たちは「私たちはエド様のお部屋も隅々まで掃除しますからメンテナンスはお任せください。」と言ってくれたが、それって隠しごとはできないって事だよね。
トレーシーは「ここはお父様やお母様の目が届かないからエドと二人の愛の巣よね。」とふざけていたが一番年嵩の侍女に「ウィルフレッド王太子殿下にあれだけ忠告されていたのに早速お破りになるのですか?」と絞られてしまった。もちろん俺の方にも冷たい視線が送られてくるので俺は必死に「チガウチガウ」と首を振り続けなければならなかったのである。
それでも侍女たちは俺たちが同じソファに座ってお話しするくらいのことは許してくれたのでその夜は少し遅くまでトレーシーの部屋でにいて、それから部屋に戻ったのである。
翌日、いつものように夜明け前に起きて鍛錬をしていた。そろそろ日も昇ってきたので鍛錬を切り上げて朝食に行こうかと考えていた時、いきなり後ろから「ジャン?ジャンじゃないの?」と言う声が聞こえた。驚いて振り返ってみると聖女のローブを着たアリシアである。
「今日は入学式だから早めに来たのだけれど、こんなところでジャンに会えるなんて。」
最近はエドワードという名前に慣れてきていたのでジャンという名前で呼ばれるのは新鮮である。
「ああ。俺もここに入る事になったんだ。イアンが俺のことをエドワードって言ってただろう?そちらの方で俺がトゥラニア辺境伯の嫡子って認められたんだ。」
「そうだったのね。よかったじゃない。もうあなたとは会えないと思っていたの。」
「俺もそうだな。まさかアリシアがこの学園に入っているとは思わなかったよ。」
「フリーダもいるわよ。聖女はここの聖女科で研鑽を積むんですって。」
「そ、そうなんだ。」
「でも私の護衛騎士さんに会えるなんて神様のご加護ね。」
と、背後から凍えそうな圧を感じた。恐る恐る振り返ってみるとトレーシーが鬼のような形相をしている。
「ト、トレーシー」
「おはよう、エド。朝食のお誘いに来たのだけれど、その方は誰?」圧が強くなる。ブリザードでも吹きつけてきそうである。
「あ、ああ。聖女のアリシアだよ。今度この学園に入るんだって。」
まあ、聖女の正装であるローブを着ているのだから見間違えようはないのである。
「アリシア、この方はテレジア王女だよ。第一王女様だ。」
「ああ、筆記試験第一位の才女ね。」
「初めまして、聖女アリシア様。王女のテレジアと申します。エドワード様の婚約者ですの。」
いきなり爆弾を落としてきた。
「初めまして、テレジア王女様。王女様が婚約されたという話は寡聞にして聞いていないのですが。」
アリシアが正面から反撃している!
「おほほ。まだ学生ですからね。卒業したら公表するのです。」
「ということはまだ本決まりではないということですね。」
だんだん舌戦がエスカレートしてきている。
「待て、待つんだ二人とも。アリシアはもう朝食を食べたのか?」
「神殿の朝は早いですからね。もう朝のお祈りを済ませて朝食も済ませてきたのです。」
「じゃあ、俺たちはもう時間がないから朝食に行く。また入学式の会場で会おう。」
周辺にはちらほらと登校してきた学生の姿が目につくようになってきた。このままケンカさせておくと俺たちが朝食を食べ損ねてしまう。
なんだかトレーシーが勝ち誇っている。その分、アリシアがぐぬぬという表情をしている。
「ジャン、じゃあ入学式の会場で待っているから。絶対来てよね。」
そう言ってアリシアは入学式の会場の方に向かって行った。
トレーシーは「エドが婚約者を選んでくれてよかったわ。」と言って俺の手を引っ張って部屋に向かった。
まだまだ声に険がある。朝食を食べながらもソーセージをフォークで突き刺しまくっている。
「あの、トレーシー、落ち着いて。」
「あら、私は落ち着いているわよ。聖女様だからと言って鼻の下を伸ばしているどこかの人とは違うの。」
「ぐっ!」
俺は別に鼻の下を伸ばしたりはしていない!心の中でそう叫ぶが声に出しては言えない。
「そうよ。聖女なんだからきっと王家も欲しがるわ。そうだ、ウィルお兄様に婚約者として押し付けてやろうかしら。」
なんだか恐ろしいことを言ってません?
入学式ではウィル王太子が在校生代表で挨拶してトレーシーが新入生代表として挨拶するらしい。トレーシーは侍女に付き添われて代表挨拶のリハーサルのために向こうに行ってしまった。
この学園はひとクラス20人で6クラスある。そのため、各学年は120人という事になる。
その中を歩いていると見知った顔を見つけた。
「アランじゃないか。」
「エドワード、なんとか無事に合格していたよ。」
「そりゃ君が落ちるわけないだろう。」
そんな話をしていると後ろから「見つけた」という声が聞こえた。
振り返るとアリシアがいた。
「や、やあアリシア。こいつはアラン。王都騎士団長の息子で一緒に武術の練習をしているんだ。」
「アラン、この子は聖女のアリシアだよ。」
「初めまして、アラン、ちょっと筋肉がひ弱い感じね。」
アランは自分が気にしていることを言われてショックを受けている様子である。
「アリシア、他人が気にしていることを言っちゃダメだよ。」
「あら、私は筋肉があって私を守ってくれる人が好きなの。」
「エドワード、僕は大丈夫だから。」健気なアランの声がする。
式場に入ると座席は自由着席だった。ということで俺とアラン、アリシアは並んで座る事になった。もちろんアリシアは俺の隣に座っている。
長い長い学園長の話が終わると次は在校生代表としてウィルフレッド王太子の挨拶である。
俺はこの状況をウィル王太子には見られたくなかったのでできるだけ身を縮めて見られないようにしようと頑張った。もちろん無駄な努力である。
ふっと頭を上げると喋りながらこちらを見ているウィル王太子と思いっきり目が合ってしまった。ウィルは一見真面目そうに喋っているが、もう隠しきれないほどニヤニヤしているのがわかる。
もう俺としては「トレーシーはアリシアをウィルの婚約者に押し付けると言っていたんだぞ。そうなった時のウィルの顔を想像しよう。」としか思えない。
学園の入学式の時点で詰んでいる自分にとってはもう煮て食うなり焼いて食うなり好きにしろという気分である。
そうして王太子の挨拶は終わった。
次は在校生代表としてトレーシーの挨拶である。
もちろん、俺はトレーサーとは視線を合わさないように頑張った。けれども、抗いきれない圧が俺の視線をゆっくりと上に向かせる。
もう氷のようなトレーシーの視線が突き刺さる。
いや、何も知らない人が見れば初々しい新入生が挨拶をするのに緊張して少し固まったという感じにしか見えないだろう。しかし、俺にはトレーシーの目からアイスジャベリンが発射された感触がありありとわかる。トレーシーって火の魔法使いなのに。
俺がダメージを受けたのを見てトレーシーは氷の微笑みを見せて再び挨拶を再開した。
何が辛いかと言ってその攻撃を受けたのは俺だけで、そばにいるアランもアリシアでさえ何も気づいていなかったという事である。
トレーシーの挨拶が終わると入学式の式次第は終わりで新入生は各クラスに分かれて担任の紹介を受ける事になる。
アリシアは俺と同じA組だった。もちろんトレーシーも同じである。トレーシーは挨拶が終わるとすぐに俺の所に来て、空いている方の腕をむんずと掴んだわけである。
何も知らない人なら「両手に花で幸せじゃない」というかもしれない。しかし、俺の鼻先でトレーシーとアリシアがバチバチと視線を戦わせているのである。もう視線ビームが見えるのではないかと錯覚するほどである。
唯一、救世主となりうるアランはおとなしく俺の後ろをついてきている。(アラン、何とかして俺を助けるんだ!)と必死で念を送ったのも虚しく、アランは「あ、僕はC組なんだ。授業が終わったらまたね。」と無情にもC組の教室に入って行きやがった。あの恩知らずめ。
俺は表情を完全に消してトレーシーとアリシアに運ばれるままに教室の席に着いた。他の男の中には「ああつ両手に花だと自慢したいのか?」とか囁いているのもいた。俺の苦労も知らずにいい加減なことを言いやがって。
他の連中をチラチラ見ているとケビンとフリーダが別の場所に座っているのが見えた。ケビンも俺に気がついていたみたいだが、さすがにこの異様な雰囲気に近づくことは諦めたらしい。
トレーシーとアリシアは俺の頭越しにお互いに「ふふふ」「うふふ」と微笑み合って、「どうやら決着をつけないといけないようですね。」なんて不穏当なことを言い合っている。
今日はこの担任との顔合わせが終わるとフリーになるはずである。本来ならば俺とトレーシーは学園の大食堂でランチを楽しむはずだった。
トレーシーが「今日はエドと大食堂でランチを楽しむ予定ですのよ。アリシアさん、あなたもご一緒にどうかしら。」なんて言っている。アリシアは「ええ望むところですわ。」なんて言っている。思わず悲鳴を上げたくなるところであるが、それは俺の完全な感情制御力で押し殺す。
朝からずっと修羅場なのでもう修羅場に慣れてきそうである。
そうこうするうちに教師らしい若い男が教室に入ってきた。
クラスの他の女子生徒は「あー結構イケメンじゃん」とか口に出している。トレーシーもアリシアもそんな男のことは見てすらいないけれど。
「ああ、先生が入ってきたぞ、前を向け。」俺は二人に小声で囁いた。
二人ともこれまで超優等生、真面目生徒として生きてきたのである。反射的に前を向いてくれた。その代わり両側から手を握られたものだから俺はペンを持つことすらできなくなったけれども。
「私はバーナード・レクタングルスだ。これから君たちの担任を持たせてもらう。このA組は学年の中で最優秀の生徒が属している。他のクラスには負けないように卒業までトップを維持してもらうことを期待する。」
先生はそういうと細かい注意事項を説明し始めた。
俺は入って二人が暴走しないか気が気じゃないし両手を掴まれていてそもそもペンすら持てないからどうしようもなかった。
細かい注意事項は全く俺の頭には入らなかった。
そのまま授業が終わり、流れるようにみんなが教室の外に出てきた。俺たち三人は大食堂に向かう事になった。
大食堂に着くと、まだ上級生の授業は始まっていないため人影はまばらだった。
トレーシーは「皆さん、A定食で宜しいわね。ウィルお兄様によるとここの食堂の至高はA定食ということですの。」と言い、A定食を3つ注文した。
食堂の人は「今は空いていますから個室も使えますよ。」と教えてくれた。
いくら人影まばらといっても衆人環視の前で修羅場を演じたくない俺は食堂のおばちゃんのアドバイスに沿って個室を利用する事にしたのだった。
食堂はセルフサービスである。俺は三人分のA定食をワゴンに載せて個室まで運んだのだった。
個室に入ると俺を真ん中にして二人がその両脇に座る。そしてお互いに俺の頭上できっと睨み合うので非常に辛い。
「せっかくの食堂なのだし、まずは食べないか?」
俺がそう提案しても何の効果もなかった。
仕方がないので俺がカトラリーを手に食事を始めようとすると、トレーシーが「で、エドは私とこの聖女とどちらを守りたいのよ。」と言う。
俺は口に入れたマッシュドポテトを思わずゴクリと飲み込んで「そ、そりゃトレーシーだよ。」と言った。アリシアが息を呑むのがわかる。
「で、でも、アリシアは変態男爵に貞操を狙われていたから守らざるを得ないんだよ。」
「変態男爵ってエドのこと?」
トレーシーが寸鉄のように突っ込んでくる。
「お、おい、言っていいことと悪いことがあるだろう。大体まだ私が男爵になる前の話ですよ。」
「へえ」
トレーシーが氷のような返事をする。
「もう三年前になるのよね。」
アリシアが懐かしそうに答えてくれた。
俺はアリシアがガードン男爵から襲われているのを救った話やその後、護衛についた話をしたのである。
けれども、トレーシーはあまり感銘を受けた様子はなかった。
「アリシアってそれでエドのどこがいいわけ?」
トレーシーはアリシアに聞いた。
「筋肉」
ためらうことなく答えが返って来た。
「は?」
俺は呆れて口を挟んでしまった。言うに事欠いて筋肉とはどういうことだ。
「私は筋肉ダルマみたいなマッチョは嫌いなの。こう全身に鋼のように細かい筋肉がついている細マッチョこそが至高なのよ。」
俺としてはさっぱり理解できねえ。トレーシーもさすがに呆れているのではないかと見たら何だか目をうるうるさせて体を震わせている。
一体どうしたんだ。
「お姉さま、あなたは私の生き別れの双子のお姉さまに違いないわ」
トレーシーが謎のようなことを言い出した。
「いいえ違うわ。私はサザーランド子爵家の10番目の末娘よ。あなたとはそもそも顔の作りも違うわ。」
アリシアは何だか無慈悲に否定する。
トレーシーはめげない。
「ええ。私も最初はウィルお兄様の筋肉こそ最高と信じて疑わなかったわ。でも違ったの。エドこそが最高の筋肉の持ち主よ。それは運命の出会いだったわ。」
何だか俺は関わってはいけない何かに関わってしまったということなんだろうか。
「アリシア様、あなたも私と同じ筋肉愛好家なのね。」
「ええ、そうね。あなたも同じ趣味だったなんて意外だわ。」
「ええ。だから私もエドを時々なら貸して差し上げます。いつもはダメですけれど。」
「いつも貸してくださって構わないのよ。」
「アリシア様、あなたはお気づきではないのよ。あなたは聖女だわ。」
「それが何だっていうのよ。」
「聖女様は純潔を保つことが重要でしょう?男女のお付き合いは許されることではないのよ。」
「それが何だっていうのよ。」
「エドも若い男性よ。常にラッキースケベを求めているわ。」
「それは酷い偏見だぞ。俺は清廉潔白だ。」
つい我慢できなくなって俺も口を出してしまった。
「エドがいつも胸を見つめているなんて言わないだけでみんな知っているわよ。」
「そういえばジャンっていつも胸を見るのが好きだよね。」
アリシアにも蹴散らされてしまった。
どうやら俺はノックアウトされてテンカウントの真っ最中のようだ。
「聖女のボーイフレンドって、そういうことなので途中で悪い虫がついて破局を迎えることが多いという話を聞くのです。けれども私が管理すればエドに悪い虫なんて付けさせませんわ。」とトレーシーは自信を持って断言した。
「そもそもテレジア王女が悪い虫じゃないの」とアリシアが小声で呟く。
「聖女の活動期間は10年前後よ。その時、私がエドの正妻にはなるけれど、第一側妃の座は空けておいてあげる。そうすれば聖女を引退した時にあなたもエドの奥さんにはなれるのよ。」
トレーシーはちょっととんでもないことを言い出している。
「あの、当事者の俺の意見は?」
「あなたの意見は不要でしょう。どうせ私とアリシアのどちらかなんて選べないのだから。」
「酷い」
俺のテンカウントはまだ続いていた。
「そうね。王女様のいう事にも一理あるわ。私も趣味が同じ王女様の気持ちはわかる。それならばジャン、いや、エドを共有するというのは悪くない話ね。」
「国王陛下、うちのお父様も正妃の母上以外に側妃を二人娶っていらっしゃるけれどそれなりにうまくやっているわ。」
こうして将来の正妻と第一側妃が俺の承諾を一切得る事なく勝手に決まっていったのである。
食事を終えた頃にはトレーシーとアリシアは10年来の親友のように仲良しになっていたのである。
学園編




