第十六章: 入学試験
王立学園の入学試験の前日に王宮からテレジア姫を護衛するために朝に登城するようにという命令が届いた。前日の夕方から王宮に泊まっても構わないという事だった。
「私の入学試験って形式だけですから王宮に行ってきますよ。」
そういう事で最低限の準備だけしてヘンリーさんの馬車で王宮に向かう事になった。
王宮に着くとすぐにテレジア姫の部屋に通された。
テレジア姫はなんだか少しほっぺを赤くして「わっ私とあなたはもう婚約者なのですから。」と言いながら俺の横に座ってくる。握り拳2個分くらい距離を空けているのが乙女らしい。
侍女たちも「お似合いのお二人ですね。」と歓迎してくれている。
俺もテレジア姫も座ったはいいけれどどうしていいかわからない。本当に二人とも人形のようにじっと座っていたのである。
「お、お菓子でも食べましょうか。」
「あ、ええ。そうですわね。エドワード様。」
テレジア姫がそういうから俺はお菓子に手を伸ばすとテレジア姫も同時に手を伸ばしてきたのでお菓子の皿で二人の手がぶつかってしまった。
「あ、ごめん」
「ごめんなさい」
思わず二人して手を引っ込めあってしまった。
「そういえば、エドワード様、お兄様がエドって呼んでいるのだから私もエドって呼んでいいですか?」
「ああ、構わないよ。」
「エド」
「なんだい?じゃあ私もテレジア姫のことを愛称で読んで構わない?」
「ええ、いいわ。」
「テス?トレーシー?どれがいいかな?」
「トレーシーがいいわ。」
「じゃあトレーシー」
「は、はい。なんだか恥ずかしい。」
「二人の時にはこうやって愛称を呼ぶ事にしよう。」
「そうね。お父様の前で愛称を使ったりしたら喜んで『君にお父さんと言われる筋合いはない、誰が愛称で呼ぶことを許した』とか言われそうね。うふふ。」
トレーシーの国王陛下の声真似は本当に似ていたので思わず俺も笑ってしまった。
「そうだね。そんなことで笑うと不敬だと言われても困るから陛下の前では真面目に呼ぼう。」
「まあ。父上はそんなことで不敬なんておっしゃらないと思うから大丈夫よ。」
そんなたわいもない会話をしていると、いつのまにか夕暮れが来ていて、国王ご夫妻と夕食を誘われた。
トレーシーはもちろん行く事になっている。
「エドも一緒に来て欲しいな。」
そう言われて断れる俺ではない。
トレーシーと二人で国王陛下ご夫妻の待つ食堂へと案内された。
着席すると王妃様からは「お似合いの二人よね。」とニコニコしている。
俺が「テレジア姫とはよくしていただいています。」と言うと、王妃様は「そんな堅苦しいことは言わなくていいのよ。公式の場ではそんな堅苦しいことを言うのは仕方ないけれど、ここではもっと気楽にしてちょうだい。」なんてことを言う。
ちらっと国王陛下の方を見ると王妃様の言うことを聞いていないふりをしている。
王妃様は国王陛下などお気になさらないようで、「で、二人とも、お互いに呼び合う愛称は決めたの?できたら教えて欲しいな。」とさらにぐいぐい押してきた。
「エ、エドワード様のことはエドって呼ぶのです。あのっ、ウィルお兄様がそう呼ぶので。」
「あら、そうなのね。じゃあトレスの方はなんで呼んでもらっているの?」
王妃様の追求の手は止まない。
「わ、私の愛称は秘密ですわ。二人だけの時にしか呼ばないって約束しているのです。母上。」
王妃様は艶然と笑みを浮かべて「あら、もうそんな秘密を作ったのね。それは良いことだわ。それでは私もそれ以上は追求しないでおきましょう。」と言った。
俺は王妃様に「では私も国王陛下や王妃様との私的な集まりではテレジア姫のことをトレス姫と呼んでよろしいでしょうか。」と聞いてみた。
「それでよろしくてよ。」王妃様はあっさりと言う。
国王陛下は何か不満がありそうだったが、トレーシーに睨みつけられて黙ってしまった。
王妃様は「もうあなたの部屋は客間に用意したので王宮を実家だと思って気楽に住んでもらって構わないわ。トレスと寝室は別よ。それはきちんと結婚式を挙げてからね。」と言う。
「もちろん、そのことは弁えております。」と俺が言うと(国王陛下は可哀想にトレーシーに何か言われて黙ってしまっている。)王妃様は「あなたはうちの娘を魔族の手から救ってくれた。それには本当に感謝しているの。だから学園に行ってもトレスを守ってあげて。」と言う。
「もちろんのことでございます。」と俺は言う。
「だからこそ寮生活にしたのよ。あなたも寮にいてトレスを守って欲しいし、トレスが王宮に行き帰りする時には馬車に同乗して守って欲しいの。」
ちょっと過保護かもしれないがこれが親心ということだろう。
「私はトレス姫を一生守るつもりですからご安心を」と俺は答えた。
国王陛下が「親バカなのはわかっている。けれども可愛いトレスを守りたいという気持ちをわかってくれて嬉しいよ。」としんみりと言った。
ちょっと空気が沈んだ感じになってしまったので俺は「これからトレス姫には楽しい学園生活を送ってもらわなければなりません。私もそのために精一杯頑張ります。」と言って雰囲気を変えようとした。
トレーシーも「そうね。明日は入学試験だし早く休んだほうがいいかしら。」と言う。
国王陛下は「あはは、明日は答案用紙に名前だけ書けば合格させるように学園長には言っているからな。安心して受けてくればいい。」なんて言っている。
そりゃトレーシーが試験に落ちるなんてことはあってはならないけれど国王陛下自ら八百長を公言するのはなんだかまずくないのだろうか。
とりあえずは国王陛下のご機嫌も直って楽しく食事を済ませることができた。
食事の後はトレーシーが部屋まで送って欲しいと言うことだったのでエスコートして送る事にした。国王陛下も王妃様もそのことは織り込み済みだったみたいである。
特に喋ることはあまりなく、トレーシーを部屋まで送ったら「おやすみのキスはまだ早いよね。明日もよろしくね。」とトレーシーが言って部屋の中に入っていった。
そんなことを言われたら思わず捕まえたくなったが、侍女たちの目もあるので「おやすみ姫君」と言うだけに留めた。
その後、俺が休む客間に案内された。客間はトレーシーの部屋からそんなに遠くはなく、中に入ると豪華な調度品がふんだんに置かれた部屋だった。孤児院とヘンリーさんのタウンハウスしか知らない俺は天蓋付きの豪華なベッドを見て、こんなベッドで眠れるものだろうかと思ったが、疲れもありさっさと眠ってしまったようである。
翌朝は早めに目が覚めていた。まだ夜明け前だったけれども部屋を出ると侍女が控えていた。中庭で鍛錬してもいいかと聞くと構わないということだったので日課の鍛錬をこなしていると次第に朝焼けになり、日が上ってきた。
侍女がまたやってきて朝食の用意ができたということだったので、汗を拭いて服を着替えると食堂に向かった。
食堂には既にトレーサーが来ていて座っていた。国王陛下や王妃様はまだいないようだった。
「おはようございます。姫君」と俺が挨拶するとトレーシーは「さっきあなたの鍛錬を見ていたのです。」という。
「姫君をお守りせねばなりませんからね。」と俺が言うとトレーシーは「えへへ」と照れたように笑ってテーブルの下で俺の手を握った。
♢♢♢
朝食後には外出着に着替えて学園に向かって出発した。俺は騎士服に着替えただけだが、トレーシーは着替えに長くかかるのは当然である。馬車が出発したのは試験前ギリギリの時間であった。
トレーシーの横に俺が座るが、向かいには侍女が二人ついて馬車の中は四人だった。
俺は自然体だったが、侍女たちは襲撃の危険を考えていたのだろう、結構緊張していたようだった。けれども、王宮を出るまでの方が時間がかかったのではないかと思えるくらいの短時間で学園に着いたわけである。
試験会場とはいっても馬車を降りると既に学園職員が待機しており俺たち二人は別室に案内された。
そこで机に座ると二人だけで入学試験が行われたのである。問題自体は算術や歴史その他の総合問題であった。特に難しい問題ではなかったので俺は大体の問題の答えを記入することができた。試験が終わって答案用紙を担当に渡すとトレーシーは「さあ帰りましょう。」という。
そうだった。実技試験は免除だった。
他の受験生の誰とも顔を合わせることなく馬車に乗り、再び王宮に帰ってきたのは昼過ぎだった。
その日はトレーシーとお茶会をして過ごす事になった。たわいもない事を喋って一日を過ごした訳である。
翌日は騎士団の稽古の日だったので朝食後は許しを得て王宮を出て王宮の孤児院の方に向かった。
王宮の馬車で孤児院に行くのは少し面映い感じである。ランディとアランも来ていた。聞くと、既に王宮の人たちが俺の荷物を受け取って寮に運んでいるそうである。ヘンリーさんも少し気が抜けたかもしれない。一方でアランはここでの鍛錬の甲斐あってか実技の方はうまくいったそうだが、筆記試験の方が自信がないと嘆いていた。もう答案用紙は提出してしまっているので変更は効かない。悩んでも無駄じゃないかとは思うのだが、彼の悩みは尽きないようだった。
今日もトレーシーは俺に王宮にいて欲しいというので、稽古の後はランディをヘンリーさんのタウンハウスに送り、様子を見た後に再び王宮に戻る事にした。
王宮の馬車は豪華なので周囲の目を引くのである。ランディは王宮の馬車に乗れた事を素直に喜んでいたのだけれども。
ヘンリーさんは俺の顔を見ると「もう王宮に住んでこちらには帰ってこないかと思っていたよ。」と泣き笑いのような顔で言った。
「そんな事ないですよ。まあ、今日は姫君がウィルお兄様とお茶会をするから参加しろっていうので王宮に戻りますけれども。」
「ウィルお兄様って王太子殿下のことか?お前の学園の費用も王家が出すそうだ。」
俺は姫君が妖魔に襲われたのでそれを撃退した俺を護衛として頼りにしている事をヘンリーさんに伝えた。
ヘンリーさんは「エド、お前はあくまでトゥラニア辺境伯の嫡男のスペンサーだ。決して王家のものじゃない。それだけは忘れないでくれ。」と言った。俺も「もちろんそれは心得ている。」と答えた。
王宮に帰る馬車の中で(ヘンリーさんの心配もわかるよなあ、今の俺って完全に王家に取り込まれているようにしか見えない)と思ったが、どうしようもない。
王宮に帰るとトレーシーが待っていてくれた。トレーシーと今日の稽古でアランが学園の試験を心配していたが、稽古をするようになってアランのことを騎士らしくなってきたとマリウスさんが褒めていたので多分落とさないだろうと思うなんて話をしていたらウィル王太子殿下がやってきた。
お茶会のお菓子を食べながら王太子はちょっと悪い笑みを浮かべて「今日は入学試験の成績を持ってきたんだ。」と言った。
ウィル王太子って確かに生徒会長をやっていると聞いたが、まだ学園の学生だろう?そんなことをなぜ知っているのか。
「まあ、主に君たち二人の成績だよ。筆記試験の成績と実技の成績で総合判定が下されるが、筆記試験の成績は公表される。で、エド、君は一位だった。」
「えっ?」
さすがに簡単すぎやしないかと思って解いたけれども一位って?
「けれども、順位表にはトレスが一位として表記される。これは王族だからだ。」
トレーシーは「それなら私は一位じゃないのね。」と言った。
「うん。10番以内には入っているから成績としては申し分ないよ。」と王太子は言う。
「それなら私は正しい席次で良かったのに。エドが一位ならそれで私は満足だわ」
「ぷっ」
王太子は思わず吹き出した。
「なんて初々しいカップルなんだ。いいよいいよ。けれどもこれは慣例なんだ。高位貴族はみんな知っているからね。だからエドは2位だからといって怒らないでね。」
「怒るわけありませんよ。光栄なことです。」
「で、君たちは合格発表は見に行くの?」
「いえ、やはり人混みの中に入りたくはないですから見に行かないと思います。」
「わかった。じゃあこちらで君たち二人の入学手続きは済ませておくよ。」
「ありがとうございます。」
「なに、君たち二人が上位の成績で入学してくれたので私も鼻が高いんだよ。入学したら是非生徒会にも顔を出してくれたまえよ。」
王太子は近侍に「もうお時間です。」と言われたけれどもニコニコして去っていった。
ウィル王太子がいなくなるとトレーシーは「私が一位じゃないのに一位と言われるのは嫌だわ。」と言う。
「でもいい成績だったから王太子も喜んでいたよね。」
「でも高位貴族たちは一位でもないのに王女だから一位にされたと考えるわよね。」
「そんな奴らが何か言ってきても私がちゃんと守るよ。」
「嬉しい」
トレーシーは頭を俺の肩にもたせかけてきた。
侍女たちを見るとわざと視線を逸らして見ないふりをしているようだ。
俺はちょっとトレーシーを抱きしめてあげてから「侍女がいるよ。」って小声で言う。
トレーシーはさっと姿勢を正して俯く。顔が真っ赤になっている。それを見て俺も自分の顔が熱い事に気がついた。
翌日は合格発表である。
俺たちは発表を見には行かなかったが、二人の合格通知は王宮に届けられた。
お昼頃にウィル王太子が少し顔を出して「入学手続きは済ませたから大丈夫だよ。」と言って少し忙しそうにまた部屋を出ていった。
俺とトレーシーは侍女が用意してくれたスパークリングのぷどうジュースで乾杯をした。
「学園の寮に入るのならこの部屋ともお別れね。」とトレーシーが言うけれど王宮と学園の距離はわずか数分程度である。
「きっと国王陛下やお妃様は王宮の行事にかこつけて何度もトレーシーを呼ぶに決まっているじゃないですか。大丈夫ですよ。部屋が二つに増えるだけです。」
トレーシーは「そうかもね。」と言って微笑んだ。
「その時にはちゃんと私が護衛しますよ。」
「頼りにしているわ。」
その後、ロイド卿に会うと、もうトレーシーの荷物も俺の荷物も寮の方には運ばれているということである。俺たちは3日後の入学式の前日に寮に引っ越す事にした。
俺たちが寮に引っ越す前の晩に国王陛下夫妻とウィル王太子殿下とお別れの晩餐が行われた。
なんだか国王陛下も王妃様も涙涙なのであった。
王太子殿下は「まあ、寮生活と言っても王宮から学園までって少ししか離れていないじゃないですか。今年は私もいますからエドと私でしっかりとトレスを守りますよ。」と少し呆れ顔で言った。
王妃様は「そりゃ少しの距離でしょう。けれどもトレスが王宮からいなくなるなんて。」と言う。
国王陛下は「なんだかトレスをお嫁に出す気分なんだ。」とおいおい泣いている。
トレーシーが「あっそれじゃあもうエドと結婚していいのね!」と言うと国王陛下も王妃様も声を揃えて「「それはまだダメ。」」とおっしゃるのであった。
俺が何か口を出すのは完全に藪をつついて蛇を出す話になりそうだったので無口を貫いていたのであった。王太子殿下はそう言う国王陛下夫妻やトレーシーを生暖かくアルカイックスマイルを保って見回していたようであった。
そんなこんなでついに学園への引っ越しの日がやってきた。と言っても荷物は既に送られてあるので、ほとんど身一つの移動である。
学園に着くと学園長が待っていらっしゃって学園の内部を案内してくれた。もちろん、王女殿下の案内という事であって俺は単なる添え物である。
いくつかの教室の建物や騎士の修練場、魔法の練習場などを案内され、大食堂を見せてもらった後に学生寮に案内された。
普通の男子寮女子寮の他に王族の寮があって、トレーシーがそこに住むのは当然だが、驚いた事に俺はその隣の部屋をあてがわれていた。
既にトレーシーの部屋では王宮でトレーシー直属の侍女だった五人が働いていた。俺の部屋はトレーサーの部屋ほどは豪華ではなかったが、それでも2DKはありそうな豪華な部屋であった。
そんなこんなをやっているとウィル王太子がやってきた。俺が男子寮だと思っていたのですが、と言うと、王太子殿下は「そりゃトレスの危機にすぐに駆けつけられる場所じゃないと意味ないだろう?でも、国王陛下が言ったように正式の婚約や結婚は学園を卒業してからだからね。不純異性交遊は禁止だよ。」と言って、トレーシーに「トレス?何か不自由はないかい?何かあったらすぐに兄様に言うんだよ。」と言い、侍女たちには「もしエドが不純な動機で部屋に来るようなら追い払うんだよ。」と言っていた。侍女たちは「大丈夫です。」と槍を構えて「エド様など追い払って差し上げます。」と笑いながら槍を振るっていたのである。
なんだよ、これじゃまるで信用ないじゃないか。
学園編です。




