3-4 ささやかな冒険と宴
「これ、気持ちいいね!」
みゆきが楽しそうに言った。
風がうなり、その声もかすれて聞こえる。
全身を風が叩き、今にも吹き飛ばされそうな勢いだ。
歩達は今、キヨモリの背に乗って大空を駆けている。
あの後、隣の部屋で寝転んでいたキヨモリを起こし、皆で乗っかった。
首の真後ろに唯、双翼にそれぞれ歩とみゆき、そしてそれぞれのパートナーがひっかかっている形だ。邪魔になるのではないかとも思ったが、キヨモリはそれくらいでは何の負荷にもならないらしい。歩が昏倒させられたのが百に一つだったんじゃないか、と今になって思わせる程の呆れた膂力だ。
ばさり、と大きな翼が動かされる度に、強烈な風が舞い起こっているのがわかる。いつもは肩に乗るアーサーを、歩は抱えなければならなくなっている位だ。
みゆきが再度言う。
「唯! これほんとに気持ちいいよ!」
「私もそう思う! 『竜は飛んでこそ竜』の意味もわかるってもんよね!」
「ほんとにね!」
「けどさ、イレイネも空飛べるんじゃない!? 飛んでるとこみたよ!」
「飛べるけど、こんなに速くは飛べないよ!」
確かに、イレイネは身体を宙に浮かせることができる。それは歩達に見せた雨のような技からもわかる。ただ、流石にこれほどの速度は出ない。
風が耳をさくように流れ、大声でないとすぐ隣の声も聞こえない。すさまじいまでの力だ。
唯が鼻高々に笑顔を浮かべている。
――確かに気持ちがいい。
見下ろすと、光が線となって伸びている。風がうなる音や、皮膚の表面をけずるように流れる大気など、そうそう体験できることではない。全てが洗い流されて行くような、そんな感覚だ。
女性陣二人ほどの盛り上がりはなかったが、歩も楽しんでいた。みゆきの影ともいうべきイレイネも、ずっと微笑んでおり、心地よさそうだった。
ただ、むくれているのがいた。
アーサーだ。
「ふん! 我も飛ぼうと思えばこれ位」
どうもプライドが刺激されるらしく、不満げに鼻から炎を漏らしていた。漏らした炎も風に流され、鼻水を垂らしているかのような体たらくだ。
歩はまだ先程のやりとりから吹っ切れてはいなかったのだが、それを見て笑ってしまった。笑っていると、ひとまずは忘れることができた。
楽しい時間は矢のように過ぎる。実際、数分足らずで目標地点に着いた。
場所は、森と住宅街の間の、ちょっとした空き地。降り立ったとき、砂地の足元が舞いあげられた。
「終わっちゃったね―」
「また今度乗せたげるから。次は遠出しようよ!」
「いいね! 楽しそうだ」
女子二人は既に次の約束をしていた。本来の目的を忘れているのではないかというはしゃぎっぷりで、竜殺しのことも頭の端から消えているに違いない。
時間ももう大分遅くなっているのもあり、歩は空気を読まず割って入った。
「ひとまず、買い物済ませようか。何食う?」
「鍋などいいのう。酒をたっぷり入れてな」
アーサーはもう気を取り直して、食い意地を張っている。
頬を上気させたみゆきが返答してきた。
「そうだね。折角だから作りたいけど、手早くできるのがいいかな。大きめの鍋とかあった?」
「それは流石になかったかな」
思い返してみたが、棚の中には小さめの手鍋しかなかったような覚えがある。
アーサーにも聞いてみたが、ない、と端的な答えが返ってきた。
「なら買ってくか。キヨモリ、まだ運べそう? それに、キヨモリどれくらい食べる?」
「あ、うん。キヨモリはまだまだ余裕で運べると思う。食べる量はきりがないから、少し多めの一人分位で、後はいつも食べてるのが学校にあるから……だけど」
唯に話を振ってみると、何故か反応が薄い。先程までの余波で頬は赤いのだが、眉を下げて困り顔になっている
「どうした?」
「あ、あの、私、料理できないんだけど……いいの? 私、包丁も握ったことないの……」
ほっと気が抜けると同時に、微笑ましいだと思った。
「関係ないよ。運んでくれるのはキヨモリだし、何もしてないってことはないからさ。それを言うならこのクソ竜とか食うだけのつもり満々だしな」
「ふん! 我には味見という、唯一無二の仕事がある!」
「ははは。確かに、アーサーは舌いいもんね」
唯はびくびくと覗っていたが、本当に歩達はどうとも思っていない。できるやつがすればいい話だ。
時間ももう大分遅くなってきている。伝手の相手も、できるだけ早いほうがよかろう。ただでさえ迷惑行為なんだから。
「とりあえず、行こうか。もう遅いしね」
「そうね。唯もさっさと行こう! キヨモリはここで待っててもらっていい?」
唯の承諾を受け、キヨモリはその場で待機となった。
残った面子で近くの商店街に移る。
すぐに目標の場所にはついた。行った先は、色々と世話になっている商店街。多くの店のシャッターは閉じられており、閑散としていた。空いているのは、二十四時間営業の礼の駄菓子屋と一、二件だけ。
歩はまだ空いている店ではなく、既にシャッターが閉じられた店の前に進んだ。
そこから脇にそれ、人一人がやっと通れる位のスペ―スを通り抜けた先の、小さな勝手口のところまで行くと、戸を叩いた。
「すみません、水城歩です。いいですか?」
すぐに反応があった。戸ががらりと開けられ、そこから出てきたのは無精ひげの伸びた、赤ら顔のおじさんだった。
歩を見て、破顔した。
「おー、歩ちゃん! どうした? つっても内に来たなら目的は一つか! よし、店開けるから待ってろ」
「わざわざすみません」
ガハハという笑いが店先に引っ込んでいく。その音についていくようにして店の表に戻っていった。
戻ると、困惑顔の唯がいた。妙に心配そうだ。
歩がついてそう経たない内に、シャッターががらりと上げられた。まだ野菜がいくつか残っており、閉店作業は終わっていないようだった。
「おお、みゆきちゃんも一緒かい! もう一人きれいどころ揃えてるなんて、歩も隅におけねえなあ」
「野菜、いいですか?」
「おうよ、何が欲しい? 何食うんだい?」
「鍋しようかと思ってるんですけど、いいのあります?」
「おうさ! 白菜とか春菊いいのが残ってるよ!」
「私、お肉の方行ってますね」
「調味料も一緒に頼む」
イレイネを連れてみゆきが去っていった。それを見て唯がどうしたらいいか迷っているようだが、そうこうしている内にみゆきは見えなくなった。
もじもじしながら、結局歩の後でぼうとしている。
それを見て、八百屋のおじさんはなにやら唸り出した。
「いや、いい子だね~ほんと可愛い。俺が後十年若けりゃ」
「犯罪ですよそれ」
それを聞いて、唯が顔をむっとさせた。
「いやいや、歩も見た目が幼いからってことじゃなくって、高校生に手出すことがって意味だからさあ」
「フォローになってないですよ」
歩は手にした白菜の根っこの辺りを見ながら答えた。
さらにむくれる唯に、おじさんが豪快に笑い飛ばす。
「いやいや、ごめん。おじさん気が利かなくって。まあ内の野菜食ってりゃ胸も大きくなるさ!」
「下品っす」
両手で自分の胸を掴みあげながら、おじさんが言った。超重量級のおじさんの胸は、単純な大きさだけなら唯とは比べ物にならないだろう。
唯の顔が真っ赤になっていると、歩がざっと目利きを終わらせた。
「これと、これも加えて、これでお願いします。あ、あと籠も貸してください」
「おう、結構あるね。まあそこの嬢ちゃんに一杯くわせてやりな!」
「遅くにありがとう」
「類さんによろしく言っといて」
「母さんには頭上がりませんもんね。奥さんにも尻に敷かれて災難っすね」
「うるせえよ。ほらさっさと帰れ、内の母ちゃんの飯が待ってんだよ」
「そりゃすんません。では奥さんにもよろしく」
「はいはい」
手早く会計を済ませてお釣りを受け取ると、おじさんが閉める前に歩がシャッターを下ろした。買った量は、大きめの籠四つ分にもなった。キヨモリの分もできるだけ、と考えるとこうなってしまう。
ふと後ろを見ると、唯が顔を真っ赤にして肩を震わせていた。
「いや、ごめんごめん。気はいいんだけど、一言余計なんだよね、おじさん」
「いえ……」
そこで何か思い出したのか、はっと顔を上げて唯が尋ねてきた。
「それはともかく、八百屋さん、いちいち開けてもらってよかったのかな?」
「ああ、見ての通り付き合い長いから」
「仲いいんだね」
「まあね、母親経由で俺も仲良くなっちゃったんだよ」
「そういえば、しっかり野菜見てたよね」
少し照れくさいのもあり、歩は鼻の頭をかいた。
「母親がそこらへん詳しかったのよ。それで八百屋のおじさんと意気投合しちゃって、一緒に着いてた俺も二人の講義受けながら育ったからさ。最近は俺一人で買いに行くのも多いしね」
「へー」
唯の相槌は、妙に気持ちがいい。
「みゆきが言った肉屋も似たような感じで常連になってて。みゆきも双方と仲いいんだよ」
「だから二人に分かれたのか」
そこでみゆきが戻ってきた。相当量の物が詰め込まれた買い物かごを両手に持っている。脇にいるイレイネは、巨大な鍋を抱えていた。
「いいのあったよ。キヨモリもそれなりに食べられそうな位あるよ」
「あ、ありがと」
「じゃあ行くか」
「あ、私も持つよ」
「ほい」
四つの籠の内、比較的軽そうなものを二つ渡した。唯はそれを軽く持ち上げた。
「結構なっちゃったね」
「まあね、大食漢の竜が二匹も、って。アーサーどうした?」
そう言えば、アーサーの姿が見えない。ひどい話だが完全に忘れていた。
「覚えてる?」
二人とも首を振った。イレイネも覚えがないらしい。
「あの馬鹿どこいったんだろ」
「忘れてた私達もそれなりのもんだけどね」
「それは仕方あるまい。我が気取られぬよう動いたからな」
声の方を振り向くと、小さな手になにやら籠を下げたアーサーの姿があった。
ふらふら、と飛んでくると、その荷物を歩の籠の上に乗せる。
「おい、どこ行ってたんだよ。それに中身なんだよ」
「秘密じゃ」
「はいちょっと見るねー」
みゆきがさっと籠の蓋を広げた。
そこにあったのは。
「酒?」
「うむ。とっておきがあったのでな」
開き直って、アーサーがうそぶいた。
「また飲む気か」
「孤独な夜に酒はつきもの」
「どこが孤独なんだよ」
「我の崇高さは誰にも理解できぬ。故に、我は常に孤独なのだ」
歩はため息をついた。
「そもそも支払いどうしたんだよ」
「母上殿にツケで。駄菓子屋のオヤジは物分かりがよくて素晴らしい」
「……買ったのあそこか」
仕方がない。一度受け取ったものを返すのも悪かろう。
気を取り直して、女性陣に言った。
「とりあえず、帰りますか」
「肉どの位の大きさがいい? 好みはある?」
「いえ、特にないよ」
「同じく」
「あい。歩、野菜をお願い」
「おう」
まな板代わりの厚紙を退いて、果物ナイフが次々とより分けていく。地鶏の堅い肉質を、ちゃちな果物ナイフで切れるか心配だったが、みゆきはなんなく捌いていっている。包丁の事を失念していたのは失敗だったが、なんとかなりそうだ。イレイネが補佐をしながら、効率よくどんどん肉類を小分けしていっている。
歩も手早く野菜を水にさらしていく。きのこ類は表の汚れだけをぱっと拭い、葉物を適当にちぎっては皿に盛り付けていった。
買い出しから戻ると、みゆきと歩は適当に分担して下ごしらえを始めた。
果物ナイフしかなかったのは失敗だったが、イレイネの補佐もありそれでもなんとかやっていけている。その間、アーサー、キヨモリ、唯の三者は手持ちぶたさみたいだった。キヨモリの寝息がBGMに聞こえ、アーサーは先程からずっと後ろを飛びまわっており、うざったいこと、この上ない。
そして唯はというと、おろおろしていた。
ちらっと見ると、自分にすることは何かないか、と挙動不審になっている。料理ができず、自分が役に立てていないのを、今になっても引きずっているようだ。
丁度タイミングがあったのもあり、用づけることにした。
「唯、これ持ってって」
「あ、うん!」
洗い場に置いていた、盛り付け終わっている皿を唯に渡す。元気よく受け取ると、ちゃぶ台の方にぱぱぱ、走っていき置いた。
歩の受け持ちは終わったので、自分で持っていってもよかったのだが、唯の顔を見ると、頼んでよかったように思う。
「こちらも終わったよ、唯、お願い」
戻ってきた唯に、みゆきも皿を渡した。肉が山盛りになったものと、切り分けた野菜の二つ。洗い場にはまだまだたくさん残っているが、ちゃぶ台に置いておいては邪魔になるから、後で取りにくればいい、という判断だろう。
「じゃあ、私、鍋の方に移るから」
「よろしく」
まだ大量に残っている具材の内、痛みそうなものだけ冷蔵庫に移した。使った厚紙や包丁を水で丁寧に流し、壁に立てかけておく。
ざっと後始末を終え、ちゃぶ台に戻った時、既に準備は完了していた。
醤油と酢を混ぜて作ったポン酢の入った小皿と取り皿が並び、中央の鍋の中では、昆布で出汁を取ったのだろう、ほんのり色づいた液体がゆだっていた。既に、火の通りにくいものは投入されており、ぐつぐつと煮えているところだ。
「じゃあいただきますか」
適当に座る。歩とその隣にアーサー、角度を変えてみゆきとその後ろにイレイネ、歩と対面になる位置に唯と、目をしぱしぱさせているキヨモリが座っている。
「ではいただきます」
みゆきの掛け声で、一斉に箸が動いた。鍋に入れられた箸の数は四つ。イレイネとキヨモリを除いた数だ。
さっと豚肉を取り、ポン酢に着け、口に含む。
うん、うまい。
「美味しい! ほんと料理うまいね!」
「あんま手はかけてないけどね」
イレイネにだし汁を注いだ器を渡しながら、みゆきが言った。
唯が美味しそうに鍋に箸を突っ込んでいると、唸り声が聞こえてきた。
キヨモリだ。
「ああ、ごめんごめん」
唯は忘れていた、と笑いながら立ち上がると、冷蔵庫の方に走っていった。
中から取り出したのは、巨大な肉の塊。帰って来てから、キヨモリの待機室に忍び込み、中から取ってきたらしい。歩が野菜を洗っている時にそれを持って戻ってきたのだが、その量を見た後、一日分といった唯の言葉に納得しながらも圧倒された。
それをキヨモリの前にどん、と置いた。下はそのまま皿になっており、キヨモリはそこに口を突っ込んでむしゃむしゃと食べ始めた。
「キヨモリの分も鍋あるから、食べ終わったらあげるね。底の方は七割がたキヨモリのだから」
巨大な鍋は、今なかに入れている分だけでも四人が満腹になる量がある。まだ大量に残った具材と考えれば、確かにキヨモリの取り分はそう少なくない。
「ごめんね、キヨモリが大食らいで」
「いえいえ」
「なればこそ我も思う存分食せるというわけよ。唯も早く食うがよい。その貧相な身体を多少はマシにするいい機会ではないか。まあ貧相な身体もそれはそれで滑稽なものだがな」
アーサーの煽り文句に、唯は一瞬顔を赤らめた後、激しく反応した。
「ふん、食べるわよ! キヨモリ! あの馬鹿竜に食べられる前に、全部食べちゃいなさい!」
「いや、なくなるから」
歩が突っ込みを入れる横で、アーサーがほくほく顔で白菜を口に入れた。至福そのものといった表情だ。器の隣には封を開けられたウィスキーの瓶があり、小さめのグラスまで用意されてある。
「これで飲み相手がいると最高なんだがなあ」
「何言ってんのよ、未成年」
「ここにはお前以外いないっつうの」
「ひ、ひどい……こうなったらみゆきお前も」
「残念、お一人でどうぞ」
アーサーがしょぼん、と肩を下ろし、熱い地鶏を口にして目を白黒させている。それを見て、笑いが巻き起こった。
それからは和気あいあいとした時間が過ぎていった。
途中、アーサーがイレイネにも酒を飲ませ、輪郭がぶよぶよになってしまったり、鍋の入れ替えを待てないキヨモリが残っていた弁当を、本人はこそっと動いたつもりのようだが、実際には豪快に一気食いして唯に怒られたり、次から次へと笑いすぎて涙すら出てきた。
歩には、竜殺しに感謝する気持ちすら起こりはじめた。
それくらい、楽しかった。
10月24日 とりあえず今日はここまでで投稿終了させていただきます




