3-5 不安と不穏
四回目の鍋を作っていると、突然宿直室のドアが開けられた。
音にびっくりしそちらに目をやると、副担の雨竜だった。開けた先の喧噪にびっくりしているようで、脇には大きめのバッグを抱えている。
瞳だけ動かして部屋を見渡すと、じろり、とこちらを睨んできた。
「お前ら、外出たな」
それまでの喧噪が嘘のように静まった。蛇に睨まれた蛙のように、歩は一瞬にして硬直する。
おそらく自分以外もそうなっているように思った。
雨竜は深く息を吸った後、吐いた。
「お前らさ、まあ色々鬱屈したものがあるの……」
「まあまあそんなこと言うなって」
一人、まだ蛙になっていないやつがいた。
アーサーだ。
「そんな堅いこと言うなよ~、お前も内心上司には色々あるんだろ? まあまず一献」
「いや、お前な、そんな」
「俺の酒が飲めんと言うのか? ほらほらこぼれるぞ」
雨竜向かってふらふらと飛んで行く。泥酔しており、いつもの厳めしい口調が消え失せる癖が出てきている。両腕で先程まで使っていたものとは別のグラスを掴み、今にもこぼしそうになっていた。それだけでなく、アーサー自体も右に左にゆらゆらと揺れて、いつ墜落するかわかったものではない。
それは雨竜も同じだったようで、慌てて両手を前に差し出し、アーサーを受け止めた。
「お、これは申し訳ない。ではお礼に一杯」
「いや、おま……」
「飲めぬわけではあるまい?」
「いや、飲めるけど、そういうわけじゃ……」
「飲めるのか? ならいいではないか」
「いやな、な」
「いいから飲めやー!」
再度ぱっと飛びあがり、雨竜の口元に強引に注ぎ込んだ。
ウィスキーが雨竜の口の中に一気になだれ込む。歩の見る限り、アーサーは水などで薄めず、ストレートで飲んでいるようだった。雨竜はいきなりアルコール度数の高い酒を飲まされたのだ。
当然、むせる。
「げほ! げほ!」
むせる間に、アーサーは雨竜が落したバッグに目をやった。
雨竜を放置して、そちらに飛び乗り、じりりとファスナーを開ける。
「なんだ、雨竜も遊ぶ気だったんじゃないか。ほら、お前らも見てみ」
バッグを横に倒し、歩達に中身を見せてきた。
そこにあったのは、花火。線香花火だけのようだが、バッグ一杯に積みこまれている。
それはおそらく、歩達のためのものだ。
アーサーがこちらをちらっと見た。それで歩も気付き、動き出す。
「ほら~。雨竜お前も飯食え。上手いぞ~」
「コホッ。お、お前なあ……」
「先生、そうですよ! 今日は楽しみましょう! 花火ありがとうございます!」
歩は走り寄ると、まだ少しむせている雨竜の腕を掴み、強引にちゃぶ台の前に連れていく。ちゃぶ台を囲む四方向の内、唯一空いている席に座らせた。
そこにすかさずみゆきが新たな椀を差し出した。
「ほらほら雨竜、飯冷めちゃうぞ~ 飯を大事にしないのは、教師として、子供を導く者として、足らないところがあるとは思わないか?」
「先生、どうぞ」
「いまならアーサーの買ってきた酒もありますから。先生が折角買ってきた花火もまず腹を満たしてからです! 花火も後で一緒にしましょうよ!」
「……お前ら後で覚えとけよ」
雨竜は仕方なく椀を受け取った。すかさずみゆきがポン酢の入った器を滑らせ、雨竜の正面になるように置く。歩は新しいグラスを置き、そこにアーサーがそこにウィスキーを注ぐ。イレイネが腕を伸ばして箸を渡した。
四者息の揃った、連携プレーの完成である。
困惑する唯をよそに、雨竜は一口つけた。
「クソっ、マジでうめえ」
「ありがとうございます」
「ほらほら、酒も飲めや。濃くて飲めないっていうなら、水で薄めてくるぞ?」
「そのままでいい」
雨竜は黙々と食べ始めた。
歩はほっと一息をついた。ひとまず、いますぐ説教というのはなくなっただろう。うまく連携できた。
そこで一人取り残された唯のことが気にかかった。
ちらりと横目で見る。
何がどうなっているのかわからないようで、困惑が混乱に変わり、少し涙目にすらなっていた。
どうしようか、と思っていると、意外な助け舟が出た。
「……平、もう怒鳴る気は失せたから大丈夫。お前らが腹立つのはわかるし、花火も持ってきたし、私がいうことじゃねえから。明日になって中村先生に怒られて、それでチャラだ」
雨竜がウィスキーで唇を湿らせた後、見回して言った。
「お前らもう飯はいいのか?」
「あ、はい」
「なら折角だから花火してこい。教室棟と囲われた場所なら、外部からは見えないだろ。あんまはしゃぐなよ。一応、こんなとこで竜殺しはおそって来ないと思うが、気を配っとけ」
「はい! ありがとうございます!」
「アーサー、お前は残れよ。酒も残ってるし」
「当然でしょ~。やっと飲み相手ができたんだから」
「あんま早く潰れんなよ」
雨竜は黙々と食べ始めた。
歩は雨竜に向かって軽く頭を下げた後、雨竜のカバンを掴んだ。
まだ少し固まっている唯に向かって言う。
「ほら、先生もそう言ってることだし。花火しようぜ。キヨモリ! お前も行くぞ!」
みゆきが唯の腕を掴んだ。一緒に行くよ、と笑顔で引っ張っている。
それを見て状況が読めたのか、唯も雨竜に向かって軽く一礼した後、キヨモリに声をかける。
「キヨモリ!外出るよ!」
まず歩が外に出た。続いてみゆき、連れられて唯、その後ろをそっとイレイネ、そしてのっしのっしとキヨモリが続いた。
廊下に出ると、そこからそのまま庭に出る。ベンチや木が適当に配置されており、規模は小さいながら遊歩道のようになっている。昼飯のときなど、ちょくちょく拝借している場所だ。キヨモリが自由に動くには物足りないが、羽を伸ばす位はできそうだ。
草の生えていない砂地のところにいき、カバンを下ろした。中腰になりカバンの中を探ると、ろうそくとマッチが見つかった。用意がいい。
「ほら、選んどいて」
「唯、どれがいい?」
みゆきにカバンを渡すと、二人で中をごそごそと当たりだす。その間に歩はろうそくに火をつけ、平らな地面にろうを垂らし、そこにろうそくを立てた。それほど強度があるわけではないが、風もそんなに強くないので十分だろう。
ろうそくが安定したのを確認し、みゆき達の方を向くと、二人とも選び終えていたようだ。
唯は赤と黄色のもの。みゆきは緑と青で、イレイネに淡い青色のものを渡していた。
歩も近付き、花火を選ぶ。一番上にあった、銀色のものを選んだ。
「キヨモリ、どれがいい?」
唯がキヨモリに向かって言った。身をかがめ、カバンの中をのっそりと覗くキヨモリ。
人間でいう人差し指の爪で、緑一色のものを指した。
唯がそれとつかんだところで、皆ろうそくの回りに移動する。
四方から伸びた花火の先がろうそくの炎に差し向けられた。
ちりちりと焦げる匂いが辺りを漂い始め、唐突に火花が散りだした。
「はい、キヨモリ」
キヨモリは向けられた花火を口の一番先で掴んだ。本当に器用な竜だ。
色とりどりの火花がその場を満たす。
赤、青緑、銀。淡い青、そして緑。火花は一転に集うように向けられ、中心部では色の氾濫を巻き起こしている。季節は違うが、それでも十分に美しい代物だ。
花火の光は、女性陣を淡く映し出してもいた。
唯はもものような赤っぽい色に照らされている。みゆきは青緑で綺麗に、イレイネは海のような色を映し出していた。歩が思わず息を飲んでしまうほど、眩い光景だ。
それもすぐに終わる。
線香花火の先がぽつり、と地面に落ちた。同時に皆を照らし出していた光も消え、闇と戻る。花火の残光が目に残り、余計暗く感じた。火薬の匂いがぷーんと臭う。
「次行こう! 次は三本まとめていくよ!」
唯が一気にはしゃぎ始めた。カバンの中に手を突っ込み、何本か適当につかんで、一気にろうそくに差し出した。
再び火花が散り始める。三種類の色が混じり合い、なんとも形容しがたい色で、それでも綺麗にはちきれていく。唯の楽しそうに両目を広げる顔が、なんとも可愛らしい
「グルルルル」
いきなりの唸り声はキヨモリだった。自分のことを忘れるな、と言いたいのだろうが、巨躯に似合わぬ可愛らしい反応だ。威圧感すら漂う竜のそんな姿に、大笑いしてしまった。
「わかったわかった。ほら今度は五本一気にね」
唯が今度は五本持ち出した。キヨモリにはその位の大きさが丁度いいのかもしれない。
それから、花火は加速度的に消費され、その度に歩達は笑った。
「お前さ、あれは卑怯だろー。ああ言われたら私なんもできねえじゃん」
「まあまあ。ほれ一献」
「あ、どうも。つっても騙されねえぞ!」
「いやいや、教師は大変だねえ」
「そうなんだよ~、担任の中村先生はしょっちゅう出張出ちゃうし。竜関係の講演あるとすぐ行っちゃうわ、挙句の果てには自分で講演しちゃうわ。それはいいとしても、なんで私が穴埋めしないといけないのかっての」
「ほんと大変なんだな」
「そうそう、って話変えるな」
アーサーが注いできたので、雨竜は舐める程度に口に含んだ。
「なんだノリわりいな、男ならばさっといけさばっと」
「……一応、私、護衛役なんだけどねえ」
「まあそう言わず食えよ。鶏肉もういいんじゃないか?」
「おっ、いいねえ。マジうめえ」
なんだかんだ言いつつ、やはり美味い。
本来ならこうしてのんびりしていてはいけないのだが、まあ今位はいいだろう。一応気をつけてもいるし。先程から時折、廊下をちら見しているのだが、全員揃っている。水城歩、能美みゆき、イレイネ、平唯、キヨモリ。雨竜の与えられた任務は、竜使い達の護衛だけだが、かといってみゆき達を放置するのは教師としてどうかと思う。
「教師として、か」
「なんだ?」
つい独り言になっていたらしく、なんでもない、と慌ててごまかした。
「それにしても、よく花火持って来たな。楽しんでるようでなによりだが、良かったのか?」
「ああいう扱いは私も心苦しいんでね」
照れくさい話になりそうで、話題を振ってみる。
「そういや、お前の相方見てたけど、ずいぶん強いな。百回やって一回勝てるかどうか、とは思うけど、あのキヨモリと平倒したんだからな」
「我の加護を受けているからな。それでもまだ足りぬがな」
ここでふと思いついたことがあり、口にしてみた。
「お前本性隠してんだろ。水城の身体能力って平も越えてるとか、鍛えてるとはいっても、パートナーの影響下のほうが大きい。実は口から破壊光線吐けますよーとかあったりするだろ? お兄さんに言ってみろ」
茶化して言ったら、予想外の反応が返ってきた。。
アーサーがびく、と身体を震わせた。振り返ってこちらを見た顔は、驚愕に目を見開いているものだ。
まさか、本当に?
「……マジで言ってんのか?」
マジ、と答えてみたいが、その真剣な眼差しにそこまでの茶目っ気は持てない。
「まさか。お前こそ、本当にそうなるの?」
「んなわけねえだろ」
だよな、と雨竜は返した。もし万が一そんなものがあったら、こいつがそれを隠すとは思えない。そんな奥ゆかしさはないだろう。
しかしそれにしても、この竜の今後はどうなるのだろうか。E級判定を受けた以上、最早竜ではないし、差別の目は避けられないだろう。こうなると見た目が竜であることは災いにしかならない。だれしもが竜に対して尊敬と共に嫉妬を持っている現状、嫉妬の念はどこかでこいつにぶつけられる可能性は低くない。あり体にいえば、いじめの対象になることは多くなるだろう。
どうすべきか。教師として自分になにができるのか。
そこで、自分のことを再度教師として認識していることに気付いた。
くく、と笑みがこぼれる。自分は何をしているんだろうか。教師なんて、手段の一つに過ぎなかったというのに。いつのまにか、教師根性が身にしみついてしまっていた。
「どうした? 何を笑う?」
アーサーが声をかけてきた。
こいつほど面白い竜はいない。いつもは厳めしい口調で、小柄な身体に似合わぬ尊大な態度をとっているというのに、行動の端々に優しさが見える。色んな意味で特異なやつだ。
酔ったせいか、堅苦しい口調から若者言葉に変わった竜を見た。
「いや、面白い状況だな、と」
「ふむ」
アーサーは何か納得したように頷いた。
「まあ確かにお前とこうして二人で話すことになるとは思わなかったな」
「教師と生徒のパートナーが一対一になるとか珍しいわな。しかも酒飲みながら。とんだ不良教師だ」
「そういえば、お前のパートナー見ないな。どこにおるのか?」
痛いとこをつかれたが、何気ないように装って答える。
「秘密」
「何か理由があるのか?」
「黙秘権を主張します」
「いいから」
「さっきの仕返しか? しつこい男はもてないぞ」
「いいから答えろ」
アーサーの語尾が確かなものに変わってきた。
こいつ酔っ払ってたんじゃねえのか?
「元から気になってたんだよ。なんでお前のパートナーは姿を見せないのかって。普通一緒に過ごすし、なんらかの理由があっても、一年も姿を見ないことなんてないだろ。そもそも一緒に暮らせない仕事につくやつはいない」
酔っぱらっていたはずなのに、舌鋒が鋭い。
適当にかわすしかない。
「嫌だ。それより、このまえの模擬戦のこととか聞かせろよ。特等席で見てたし、いいとこかっさらってったんだから」
アーサーは押し黙った。
そちらを見ると、真剣にこちらを見つめている。そこに酔いは全く見えず、まるでこれから真剣勝負をするかのような顔だ。
雨竜は、目の前の小柄な竜に気圧されるのを感じた。
「何故そこまで嫌がる? 何か特別な理由があるのなら、何故教師という職業についた?」
「教師になりたいから。はい終了」
「そもそも、お前の目的は何だ?」
背筋につぅ、と汗が流れ落ちた。
こいつ、気付いている?
おどけて答えるしかない。
「目的はお前らを立派な大人にする助けを」
「おどけるな」
「そんなこと言われたってただの一教師に」
「ただの一教師?」
アーサーの声はどんどん凄みを増していく。
「違うだろ。お前は何かしらの目的がある。それも、教師としてはかけ離れた意図で」
こいつは何を言っているんだろう。いきなり、大した接点もなかった相手に、陰謀論を振りかざすなんて、ただの電波じゃないか。
適当に相手するに限る。
雨竜は必死でそう考えた。
そうでなければ――見抜かれる。
「なにがだよ。ほら、酒飲めよ。うまいぞー」
「黙れ」
ふぅ、とため息をついて見せた。仕方がない、とでも考えて真面目な対応をするぞ、というふうに装って身体を動かす。
「何でそう思う?」
「勘だ」
こいつはただの勘でそんなことを言うのか。意外な言葉に、自分はこいつを過大評価していたのではないか、と思った。
しかし、それは間違いであった。
アーサーは滔々を語りだした。
「強いて言うなら、所作。口ではいいつつも、竜を特別扱いしていないところとかな。我を前にした教師は、へりくだるか、邪見にするか、どちらかばかりだ。だというのにお前にはそれがない。藤花もそういった対応をしないのは同じだが、お前の場合は明らかに竜の扱いに慣れている。ただの一教師が竜の扱いになれることなどあろうか
ああそれに、校長を怒鳴ったとか言ってたのもあるな。一教師が、しかも新任教師が校長怒鳴ってただで済むわけない。なのに、こうして護衛役もやっている。貧乏くじひかされたのかとも思ったが、お前にそんな素振りはない。なにより、教師を首になるかもしれないとかいう危機感もない。お前が仕えているのは、全く別の何かだからだ」
心臓がうるさい。徐々に徐々に加速し始め、存在を主張しはじめる。
「模擬戦のときもそうだ。怒り狂う竜に対し、俺に任せろといった。そんなことは一介の教師は言えない。例え教師としての自覚が強く、犠牲心に溢れる人であってもなお恐れるのが竜という存在だ。なのに、任せろ、と言った。そこに気負いも何も感じなかった。お前、竜と対峙することに慣れているな?」
アーサーの目が怖い。服も、皮膚も、肉も、骨も、全て透過して自分の核を見抜かれているような気すらした。その位、指摘は当たっている。
思わず目をそらしてしまう。目を直視できない。
「どうした? 答えぬか? 貴様は何者だ?」
「私は……」
どうすればいいのか。答えは見つからない。教師と生徒の立場が逆転し、こちらが問い詰められている。
タイミングが悪かった。丁度、雨竜は迷い始めていた頃だったのだ。本当に目的を果たしていいのかと。目的を果たすとは、教え子たちを亡き者にする必要がある。当初は何も思っていなかったが、この半年ほどで教師としての自覚が時折出てきはじめ、ただの贄とは思えなくなってきていた。
――本当に、いいのだろうか。
そんなことを考えているときに問い詰められれば、こうして動揺してしまうのも仕方がない。
思考が散逸しており、ここをどう切り抜けるか考えないとならないときでも、下手な状況分析ばかりしてしまう。
どうすれば――
とそのとき、ふとももに冷たい感触がした。
見ると、何かがテーブルからこぼれおちている。更に視線を上げると、酒の入ったグラスが倒れていた。
その上には眠りこけるアーサーの姿。倒れたグラスによりかかって枕のようにして眠っている。どうやら寝落ちしたようだ。酔いつぶれそうな間際だったから、こんなにも遠慮なく色々聞いてきたのかもしれない。
ふとももにこぼれ続ける酒を無視して、天井を見上げた。深く息を吐く。
どちらにしろ、助かった。
三回ほど呼吸をし、落ち着かせる。
手を握り、開くを三度繰り返し、正常な動作をしていると自分に言い聞かせる。動揺はないと自己暗示する。酔いのせいだ、と必死でごまかす。
――大分落ち着いた。
とりあえず、目的に戻ろう。
窓から外を覗った。アーサーとの問答に集中してしまっていたせいで、全く注意を洗っていなかったからだ。
そこにいたのは、三人だけ。水城歩、能美みゆき、イレイネだけだ。
慌てて立ち上がり、そちらに走る。
これは目的を果たす機会が来たのかもしれない。だが、本当にその目的を果たしてもいいのだろうか?
どう転ぶのが自分にとってベストなのか迷いながらも、雨竜は駆けた。




