3-1 肉まんと弁当
「歩、昼は買ってきたか?」
「……おう」
「ちゃんとアレであろうな?」
「……おう」
歩が開き教室に入ってきたところを迎えたのは、アーサーの意地の悪そうな顔だった。
手のひらを上にして小さな手を差し出している。
嫌々、その指に歩が手にした袋をひっかけた。
それは、今さっき走って買ってきた肉まん。
アーサーの好物である駄菓子屋のものだが、それは特別仕様で、アーサーの両手で収まる程度の大きさなのに、一つで昼食代の半分を占める代物だ。
それが目の前に十。
こうした昼飯生活は七日目。合計七十個。歩とアーサーの昼食代に一カ月分の小遣いを足してもなお足の出る費用。
それは全て歩の負担だ。
つい泣きごとを漏らしてしまう。
「どうしてこんなことに……」
「安易な賭けなど挑むからであろう。これに懲りて我に刃向かうことなどせぬことじゃ」
「結局戦ったのは俺だけなのに……」
「我がおらずに勝てたというか?」
模擬戦で、キヨモリの拘束から抜け出られたのは、間違いなくアーサーがいたからだ。
唯に炎を浴びせかけることで、キヨモリに決定的なまでの隙を作る。
その発想は歩にはなかった。
つまり、アーサーは立派すぎるほどの結果を残した。
となると、『仕事をすればなんでも言うことを聞く』という賭けは歩の負けだ。
「なんでこんなことに……」
要求を通し、ホクホク顔で肉まんにかぶりつくアーサーを見て、これほどこいつを憎たらしく思ったことはあっただろうか、と思った。自分の飯はというと、一番安かった食パンまるのまま。おかずを着ける余裕はない。
悔しさに肩を落としていると、そこにぽん、と手を当てられた。
「一週間おつかれさまでした。私の弁当、少し食べる?」
「……みゆき、お前はほんとにいい子やあ……」
みゆきだった。
少し楽しそうに苦笑していたが、嬉しい。
救いの手が差し伸べられたと思った矢先、アーサーが口を挟んできた。
「賭けに負けた癖に他人に助けを乞うのか? 男らしくないのう」
「他人つっても、みゆきだし」
「どちらにしろ憐れみを乞うておるのは変わらん」
「別に私、憐れんでるつもりはないよ」
「いいやそれは憐れみだ。なあ、お前にもプライドの欠片程度はあろう?」
アーサーは歩を煽っている間も、肉まんを手にし続けていた。
確かにその通りなのだが、ここでやめてもアーサーの手のひらで踊っているようで気分が悪い。かといって、みゆきのご飯をもらった瞬間、ささやかなプライドが消え失せる気がした。
歩は悩んだ結果、みゆきに丁重に断りを入れた。
ひもじく食パンにかじりつく。
敗者の味がした。
と、呆れたような声が聞こえてくる。
「あんたら、いつもこんななの?」
口に物を詰め込んでいた歩とアーサーに変わり、みゆきが愉快そうに答えた。
「面白いでしょう?」
「面白いとはなんだ。野郎の熱き戦であろう」
「はいはい」
アーサーの言葉をみゆきが流したところで、近くにあった机が二つ歩のそれにくっつけられ、そこに二人の女生徒が座った。
一人はみゆき。後方には液状の栄養剤をもらっていつもより張りのあるイレイネ。
もう一人は――
「唯さんも私の弁当つままない? 今日少し量多めなんだ」
「あ……、ならちょっとだけ」
「どうぞ」
後ろに竜を控えさせた竜使い、平唯だった。
キヨモリとの模擬戦から一週間が過ぎようとしていた。
あの後、気絶したキヨモリは厳重に拘束され、檻の中に入れられた。暴走し、飛行禁止を破った挙句、教師達のパートナーの拘束を解き、一歩間違えば歩の命を奪うことになったかもしれないのだ。その罪は軽くないように思われた。
しかし、やはりそこは竜。相手が半端な竜使いだったこともあり、特別扱いはここにも及んだ。模擬戦そのものも没収試合ということになり、公式結果は両者引き分け。なんとも言い難い結果に終わった。
キヨモリは、歩のすぐ近くでのんびりと欠伸をしている。食事は既に済ませていたらしく、夢心地にうつらうつらしていた。
その主たる唯はというと、差し出された弁当に手の伸ばし口に入れた。
目を見開いた。
「美味しい。これ、自分で作ったの?」
「うん」
「すごい! 本当においしい!」
唯はわざわざみゆきの方を向いて言った。なんとも無邪気な様子で、模擬戦前となんら変わらぬ姿だ。
唯は炎を浴びせかけられたというのに、全く怪我はなかった。髪の端が軽く焦げていた位で、火傷一つなかったらしい。
これは、竜使いであるからだ。アーサーの炎は見た目には巨大なものだったが、竜の堅牢さを受け継ぐ竜使いにとって、それほど威力のあるものではなかったらしい。
それでも、炎に視界を埋め尽くされたことで唯はつい悲鳴を出してしまい、キヨモリの注意をひくことができた。
それでいて、唯に重傷を負わせてはいない。
もし勝利を収めたとしても、それはやはり模擬戦。相手を激しく傷つけて何も感じない、というわけにはいかなかっただろう。
アーサーの発想は完璧だった。活躍していないとは言えなかった。
「ふむ、みゆきの料理はなかなかのものだからな。我もこいつらがなければ、手を伸ばしておるところだ」
アーサーが乗った机の上には、まだ肉まんがいくつか残っている。それを全て胃に納めるというのだから、余裕はないのだろう。
みゆきが少し照れながらも、さらに唯に進める。
一方の歩はというと、ひもじく素の食パンをかじっている。言うまでもなく、アーサーは特製の肉まん。
――ひもじい。
ふと唯を見ると、なにやらこちらを覗ってきている。
「あのさ、もしかしてこれって水城の分だったんじゃない? 私、食べてよかった?」
見ると、確かにみゆきの弁当はいつものものより大きい。二倍はありそうだ。言われてみると、ひもじい一週間を過ごす歩を見てきたみゆきなら、そういう気遣いをしてもおかしくない。
みゆきが少し困った表情をしたところで、アーサーが口を挟んできた。
「構わんよ。自ら招いた事態だ。むしろ今になってようやく気付いた挙句に、今更手を伸ばすなど、そやつの面子は粉々に打ち砕かれるというものだ。安心してほうばるが良い」
はっとみゆきの方を向くと、申し訳なさそうにこちらを見ていた。申し訳ないのはこっちだ、と思い、軽くごめん、と言った。
そこでふと気付いた。
「最初っから気付いていたなら、お前はみゆきの心遣いを無視して俺を煽ったんだろう? 随分意地が悪いな」
「お前が喰わないなら、我が食えたからのう」
「お前、肉まんだけで腹いっぱいじゃねえのか」
「食おうと思えば食えるさ。みゆきの弁当は格別だからの。母上殿のものも負けず劣らぬが、生憎ここのところ仕事づめのようだで随分食っておらぬ。些か、上手い弁当が恋しくなって追ったところじゃ」
「それなら、私食べてよかったの?」
唯がすまなそうに言った。慌てて歩が答える。
「いいっていいって。この馬鹿のたるみになるより、食べちゃってよ。俺が言うのもなんだけどさ」
「そうだそうだ! お前のいうことではない!」
「お前のいうことでもねえよ!」
みゆきと唯の二人がくすっと笑った。どうもアーサーとの会話はこうしたコントみたいになってしまう。
「みゆき! それは我が食う! いいであろう?」
みゆきは少し小悪魔的な微笑を浮かべて言った。
「平さん、どんどん食べちゃって」
「みゆきーーーーーーーーー!」
「それ以上食べれば太っちゃうよ? それだけ食べれば十分でしょ」
普通に考えれば肉まんだけでも食べきれない量がある。歩からしても、よく肩にのっかかって来られる身としては、太ることだけは勘弁してほしい。
アーサーはすねたたように口をとがらせながら、肉まんにかぶりついた。
「ほらほらアーサー、そんなすねないの。今度作ってきてあげるから」
「本当か!? 嘘ついたらお前の乳もむぞ!? 歩が」
「なんで俺が!?」
「いいわよ」
「みゆきも乗らない!」
歩は、は~っとため息をついた。
「すまんな、色々」
「いーえ。家族みたいなもんだから」
「仲いいのね」
唯がややノリに遅れながらも言った。
「まあ、一緒に住んでたしね」
「そうなんだ……」
ここでふと唯が考え込み始めた。
顔を覗うとなにやら迷っているのが見て取れた。
数秒ほど考え込んだ後、顔を上げ言った。
「あのさ、私本当に混ざっていいの? 家族の団欒邪魔してるんじゃないかな?」
「そんなことないよ」
「それに、模擬戦であんなこともあったでしょ? キヨモリも私も、結局おとがめなしに終わっちゃったし」
実際、普通に考えたら何らかの遺恨があって当然だ。我を忘れ相手を殺しかけたキヨモリと唯。殺されかけた歩とアーサー。結果は何もなかったとはいえ、やはり被害者からしたら、加害者に恐怖や恨み、少なくともこうして打ち解けることは不可能だ。加害者に何も罰が与えられなかったらそれはより強いものになるだろう。次の日に誠心誠意の謝罪を受けたとはいえ、全てを水に流すのは難しい。
ただ、歩の中に不思議と二人を憎む感情はなかった。
ふとキヨモリに視線を向ける。
完全に眠りこけており、鼻ちょうちんすらふくらましている。尾をだらりと伸ばし、巨躯を窮屈に縮める姿は、自分を殺そうとした姿とは似ても似つかない。
こうしたどこか可愛らしい姿は、謝罪に来たときも変わらなかった。唯が悲愴なものを浮かべて頭を下げている横で、キヨモリも謝っていたのだが、その姿は悪戯をして叱られる子供の姿を思い起こさせた。大きな身体をしゅんと縮め、どこか泣きだしそうに見えた。
そんなキヨモリの姿を見ていると、歩の毒気は抜けてしまったのだ。普通なら怒るか、あきれてしまったように思う。だが、歩は違ったのだ。
それはアーサーも同じだったようで、表向き唯を非難していたが、いつもほど舌鋒は鋭くなく、むしろ擁護するようですらあった。
そうなると、逆に唯とキヨモリに対して同情の念が生まれた。
模擬戦以前は、どこか『孤高の竜』として、遠巻きにされながらも、雑に扱われることはなかった。実際に戦うところを目にしたことは誰もなかったのだが、それでも皆敬意を持って扱っていたのだ。
しかし、負けた。しかも相手はお笑い竜であるアーサーと歩。
それまでとはうってかわって、クラスメイトは侮蔑のまなざしで見るようになった。特別扱いを受けてきている嫉妬も重なり、唯やキヨモリを見る時の顔は見るこちらの胸糞が悪くなるほど、おかしなものだった。
どちらにしろ、唯とキヨモリは苦境に立たされていたのだ。
そんな姿を見て、内心歯がゆく思っていた歩も、どうすることもできなかったのだが、そこに手を差し伸べる人が現れた。
みゆきだ。
みゆきは歩とアーサーに相談した後、声をかけた。戸惑う唯を強引に誘い、歩達のところに連れてきた。歩達を見て、唯の戸惑いは更に増したが、歩達もみゆきと共謀して有無を言わせず、なあなあの内に習慣づけさせた。
そうして、ここのところ昼食を共にしていたというわけだ。
しかし、唯は、なあなあのまま済ませる気はないようだ。
再度、問いかけてくる。
「やっぱり、私いない方がいいよ。誘ってもらったのは嬉しいし、感謝もしてる。ただ、水城君もアーサーも、内心複雑だと思うんだ。水城君を殺しかけたキヨモリがいるのは団欒の邪魔になってるよ。それを止められなかった私もね。それに、アーサーはキヨモリのこと苦手そうにしてたでしょ? 今も無理してるんじゃない?」
内心、歩は唯に好感を持った。
嬉しかったのは本当だろう。昼休みになる度に誘われて戸惑いつつも、それを嫌がったところは見なかったように思う。みゆきの弁当を食べた時は、ほんとうに美味しそうだったし、本当に楽しんでいるように見えた。
なのに、それを自ら手放すという。
それはおそらく、歩とアーサーに対する気遣いや優しさ、そして自分への厳しさから来ている。
本当にいいやつだ。
彼女を拒絶する理由はない。
だが、それを伝えようにも、気にしてない、と言ったところで本人は真に受けないだろう。恨んで当然の関係だからだ。
どうするか悩んでいると、アーサーが口を開いた。
「舐めるな」
ほんの少し、怒気が込められていた。
「少しばかり痛めつけられたからといって、相手を恨むほど度量は狭くないわ。我には当然及ばぬが、そこの呆けておるアホもそれなりの度量は持ち合わせておる。そもそも、戦に臨んだ時点で命のやりとりの覚悟は必定。いくら安全を期そうと、心がけずに挑むは愚者である。殺されかけたからと恨むなど、竜どころか人の風上にも置けん」
「でも、アーサー、キヨモリ見て少し震えてたじゃない。今は大丈夫そうだけど、内心不快じゃないの?」
そうなのだ。こいつは竜のことが苦手なはずだ。なのに、唯が、ひいてはキヨモリと共に昼飯をとることを許諾し、こうして擁護すらし始めている。
実は、歩は昼食の件について断ろうと思っていた。アーサーが辛い思いをするのは、やはりためらうことだ。みゆきが一緒にいるだけで、唯は随分救われるだろうとも思っていた。
だが、アーサーは許諾した。そうなると、歩が断ることもできない。
それでもなお考えてしまう。
本当にいいのだろうか?
アーサーは言った。
「何を言う? そんなことはない。もしあったとしても、このアーサー様がいつまでもそこの幼竜を苦手とする? そんなことはあるわけはなかろうが」
「でも」
「でもではない。我を舐めるな」
アーサーの言葉は強い。話す内容がどんな詭弁でも、相手を信じさせるようなパワーがあるのだ。慣れるまで、歩が何度この竜にやりこめられたことか。
歩は最近になって、そのパワーはアーサーの自信から来るもののような気がしてきた。
つまりこのパワーが出るということは、アーサーが今口にしていることは心から発せられたものだ。
歩はひとまず、アーサーを信じることにした。
一方、唯はうろたえ始めた。まさか説教されるとは思っていなかったのだろう。
うろたえる唯に対し、口調を一転させてアーサーが言った。
「まあ、加害者意識に苛まれて、我らと食卓を共にできぬというのであれば、仕方ない。まあ所詮竜といえど、幼竜。まだまだお子ちゃまには厳しいのかもしれぬな」
唯の目に、燃え盛るモノが見えた。
「そんなことはない! キヨモリは立派な竜! それは侮辱だわ!」
ここで歩が口を挟んだ。
「なら、一緒にご飯食べてくれるよね? 俺もアーサーもなんとも思ってないなら、当然できるよね? 俺らはなんとも思っちゃいないからさ」
唯は顔を赤らめた。こうなると、ノーとは言えない。
更にアーサーは追撃する。
「誇り高き竜と竜使いが、まさか断るなどありえまい? 己の呵責に負けるなど、まあまともな竜なら耐えられて当然だからな。ま、幼竜なら幼竜だと認めればそれで済むがな」
唯の負けだ。
ふとアーサーを見ると、楽しそうに顔を歪めている。いじめっこの顔だ。言っていることは大層でも、その姿はどうも子供っぽい。
おそらく、これがキヨモリに毒気を抜かれた原因だろう。大きさこそ違うが、キヨモリとアーサーはどこか被る。似たような竜だから当然だろうが、子供っぽい仕草をさせると、本当にそっくりだ。
ここでみゆきが言った。
「そういうことで、ちゃっちゃと食べちゃってよ」
「なんなら、我が食うぞ? 幼竜にはこの味などわからぬであろうからな。食されるべきは我であろう」
「あ、でも自分の弁当もあるか」
唯の机には、どこかで買ってきたような味気ない包装の弁当がある。小柄な唯がそれとみゆきの弁当両方を食べるのは難しそうに思えた。
唯は頬を赤くしつつも、しっかりと言った。アーサーに食われるのは勘弁、ということであろう。あれだけ煽られた相手に、悔しさが残らないわけがない。
「それなら大丈夫。キヨモリ!」
唯が包装をばりばり剥がし始めた。呼ばれたキヨモリは、腕をまくらに地面に横たえていた頭を起こして、唯の近くに伸ばしてきた。
唯は弁当のふたを開けると、箸を手に持った。
「はい、あーん」
キヨモリががばーっと口を開けた。巨大な口とそこに居並ぶ鋭い牙を視界に広がり、ぎょっとする。
その巨大な口に、弁当を持っていくと、唯は一気に傾けた。
ばさ、と竜の口の中に中身が落ちた。唯は更にその上で容器をひっくり返し、箸でこびりついたものもこそぎ落とす。その間、キヨモリは口を開け続けており、歩はカバの餌やりを思い出した。
「はい、いいよ」
唯の合図で、キヨモリは口を閉じ、数回咀嚼しただけで一気に呑みこんだ。豪快すぎて呆気に取られるしかない。
残った空の容器を適当に脇に避けると、唯はみゆきに席を寄せた。みゆきも一瞬呆けていたが、すぐに我に返りみゆきの弁当を唯に寄せる。
みゆきの弁当に箸を伸ばし、嬉しそうに笑みを浮かべる唯。隣ではキヨモリが再び眠り始めている。
歩は食パンをかじった。
少しだけ、先程より美味しく感じた。やはりひもじさあ残ったが。




