第2話村井、気の波動エネルギー人生哲学の総括
「空気は見えんでも感じるやろ。音も見えん。愛情も見えん。気も同じたい」
もちろん科学で証明された話ではない。村井にとって気とは、人の心、姿勢、言葉、呼吸がつくり出す人生の空気だった。
都心の古い公営住宅。六畳一間に朝日が差し込むと、村井清は湯飲みに番茶を注ぎ、窓を開けた。
「今日も宇宙は営業中たい」
誰に言うでもなく呟くと、枕元のハーモニカを一節吹く。昭和の股旅歌が静かに部屋へ流れた。
弘坊がコンビニ帰りの制服姿で訪ねてくる。
「おいちゃん、受験勉強してると、自分だけ取り残された気がするよ」
村井は笑った。
「人と比べると運気は濁る。昨日の自分と比べると気は育つたい」
二人は外濠公園の並木道を歩く。
「おいちゃんの言う“気”って、結局なんなの?」
「空気は見えんでも感じるやろ。音も見えん。愛情も見えん。気も同じたい」
もちろん科学で証明された話ではない。村井にとって気とは、人の心、姿勢、言葉、呼吸がつくり出す人生の空気だった。
「気分が変われば、見える景色まで変わる。それがオレの気の哲学たい」
弘坊は小さく頷いた。
ベンチに腰掛けると、村井は指を三本立てた。
「オレの人生は三つの法則だけ覚えとけば十分たい」
一つ、因果律。
「蒔いた種は、忘れた頃に芽が出る」
二つ、類友律。
「笑う者には笑う者が集まり、愚痴には愚痴が寄って来る」
三つ、バランスの法則。
「成功だけ続けば人は傲慢になる。失敗だけ続けば優しくなる。人生は妙に釣り合うよう出来とる」
弘坊はノートに書き留めた。
突然、頭の中で拍手が響く。
「また始まった」
ジミーが現れた。
「清、その法則は哲学としては面白いが、社会学では反例も多いぞ」
すると京都弁のミカも割り込む。
「兄ちゃん、理屈だけやと人は救われへん。言葉には波動が宿るんやえ」
「ほら見ろ。オレの頭ん中は国際会議たい」
弘坊は吹き出した。
「おいちゃん、独り暮らしなのに全然孤独じゃないね」
「孤独と独居は別もんたい」
夕方、隅田川を見渡せる橋へ着いた。
村井は欄干にもたれた。
「オレは商船学校も辞めた。医大も放校。借金も背負うた。世間じゃ失敗作たい」
少し間を置いて笑う。
「ばってん、失敗は履歴書には書けんが、人間の器にはちゃんと残る」
弘坊は静かに言った。
「だからおいちゃん、人の痛みが分かるんだね」
村井は照れくさそうに鼻を掻いた。
夕焼けが水面を黄金色に染める。
弘坊が尋ねる。
「量子力学では観測で状態が変わるっていうよね。幸福も似てるのかな」
村井は目を細めた。
「オレは物理学者じゃなか。ばってん人生では、どこを見るかで世界は変わる気がするとたい」
不幸ばかり数えれば、不幸な宇宙になる。
感謝を一つ見つければ、その日だけは別の宇宙が開く。
「観測者は、自分の心たい」
ジミーも珍しく黙って頷いていた。
日が沈み、街に灯りがともる。
「おいちゃん、結局、幸福って何だったの?」
村井は歩きながら答えた。
「幸福は山頂じゃなか。帰り道で誰かと笑えることたい」
「お金でも名誉でもない?」
「それも悪うなか。ばってん、それだけじゃ腹八分たい」
村井はハーモニカを取り出し、小さなワルツを吹いた。
川風が音色を運び、橋の上を歩く人が一人振り向く。
「弘坊、人間は清く正しく貧しくても、夢だけは無料たい」
「世界一周クルーズ?」
「そうたい。もし乗れんでもよか。夢を持っとる間は、魂が旅しよるけんね」
二人の笑い声が夕暮れの東京へ溶けていった。
そして村井は、心の中で今日の哲学を静かに結んだ。
気とは、生きようとする心の風。幸福とは、その風を誰かと分け合うことである。
気とは、生きようとする心の風。幸福とは、その風を誰かと分け合うことかもよね?




