その名は、ダディ(8)
「ファーファのお店♡」まで戻ってきて、ローラはドアに手をかけるのを躊躇した。……何と言って入ればいいだろう? 「ただいま」? それは流石に厚かましさが過ぎる。「戻りました」も、違う気がする。「こんにちは」、は他人行儀過ぎる気もするし……いや、自分は今回たまたま世話になっているだけの、他人なのだ。ケジメはキッチリとつけておかなければならない。だから――こんにちは、で。
うん、と頷いてノブに手を伸ばそうとした時、
「あらぁ! 早かったのねぇ」
と後ろから声をかけられて、飛び上がった。
「あ――ど、どうも。こんにち、は」
ヨシ、思い描いていたのとは少し違ったが、ちゃんと言えたぞ。
「こんにちは、だなんてそんな丁寧にいいのよぉ。あいつの仕事が終わるまではアタシが責任もって子猫ちゃんを守ったげるから、遠慮なんてナシよ? いいわね?」
振り返ったローラの目には最初、2列に並んでうず高く積み上げられた紙袋のタワーしか見えなかったが、それが左右に開くとファーファが顔を傾けてウインクをくれた。
「仕入れの買い出しに行ってたのよ。 ——お話しは、スムーズにいったみたいね」
明らかに体格に見合っていない大量の荷物をカウンターに並べながら、ファーファが尋ねた。
「ええ……まぁ、そう、ですね」
少なくとも自分がメモ用紙を出してからは早かったのだから、全体的にはスムーズだったのだろう。
ファーファはカウンターに入り、ローラに氷水を出してやる。荷物を手早く片付けつつ目をやると、ローラは一口だけ手を付けたグラスを前に、所在無さげに俯いていた。何もせず待つ、という事に慣れていないのだろう。ハンチング帽も脱ごうとしない。
……ま、そう簡単に心を開いてはくれないわよ、ね。
しばらくファーファが開店準備を進める音だけが響いていたが、ローラがふと顔を上げて言った。
「あのぅ……何か、手伝わせて頂けませんか」
グラスを拭く手を止めたファーファに、ローラは顔を赤らめて続ける。「じっとしているのって、落ち着かなくて。さすがに料理は、できないですけど」
「あら嬉しい。じゃあ、このグラス拭いて貰える?」
ファーファはカウンターの上にグラスを並べ、持っていた布巾を手渡した。ローラの顔が明るくなる。狭い店で、いつも一人でやっている事だ。手伝いが必要なわけではないが、せっかくローラが勇気を出して言った申し出を断る程、ファーファも野暮では無い。
ずらっと並んだ高価なガラスの列にローラは一瞬 気圧されそうになったが、顔と気を引き締めて、一つ一つ丁寧に拭き始めた。それを確認すると、ファーファは料理の仕込みに取り掛かる。
「~~終わりました」
無意識に緊張していたのか、ほっと息が出る。
「あら、早いわね。ありがとう。じゃあ——次はこれを、お願いできる? 」
ファーファがカウンターに置いたのは、大量の皿。大きさも素材もバラバラに積み重なっている。「素材と、サイズごとに分けて欲しいのよ。使ってる内に、どうしてバラバラになっちゃうのよね。——ああ、同じサイズでも絵柄の違いがあるから、同じものでまとめて貰えると助かるわ」
「わ——わかりました。あの、椅子に乗っても?」
どうぞ、の声にローラは靴を脱ぐと、スツールの上に立つ。それでようやく同じくらいの背丈になった皿の山を睨みつけ、何事かを考えているようだった。が、やがておもむろに手を伸ばすと、皿を仕分け始める。いきなり動かず、まずは考えてから動き出した事に、横目で見ていたファーファは密かに感心する。
「あの……仕事中ですけど、ちょっと伺ってもいいですか」
しばらく経ってから手は止めずに、ローラが言った。
「ええ、いいわよ。——もしかして、あたしの事ぉ?」
ローラのおかげで、今はシチューの火加減を見ているだけだ。
「あ、ええと——それも、凄く興味はあるんですが……とりあえず今は 、ダディさんの事で」
「あら残念。あたしが答えられる事だったら、構わないわよ」
ローラはしばらく言葉を選んでいるように無言で口を動かしていたが、最終的に出てきのは、非常にシンプルな疑問だった。
「あの人——一体、どんな人なんですか?」
「どんなって?」
「僕、仕事柄冒険者の人も色々見てきましたけど、ダディさんは異質というか、冒険者らしくない感じなんですよね。ダンジョンに潜るのをギルドに禁止されてる冒険者なんて、聞いた事ないですし」
何となく、そういう事を訊かれるだろうと思っていた。というか、当然感じる疑問だろう。
「それでいてマジック・ポケットなんて高価なアイテムも持ってる。何よりあのマント——」
ローラは手を止めて、 感触を思い出す。ダディのマントに触れたその時。柔らかく、生暖かかった。そして何より――脈動していたのだ。決して気の所為などではない。指先に伝わってきた、血液が巡る感触。
「……あいつはねぇ」
ファーファの声に我に返り、慌てて手を動かす。
「大飯喰らいの大酒飲み。自堕落で、借金だらけのホント駄目な、どうしようもない男よ。よく分かんない事をいっつもぶつぶつ、つぶやいてるし。……でもね」
ファーファは煮立ち始めたスープをかき混ぜながら、「 困っている人がいたら、見捨てて置けないのよ。自分の為と言いつつ、結局他人の為に頑張っちゃうの。……あたしも昔、助けてもらった。—— だからちょっと、イイ男なのよねぇ」
「……イイ男、ですか」
「そうよ。それと冒険者として超一流なのも、確かよ。マジック・ポケットはその証。……ああ見えて、だけどね」
……ああ見えて、か。
ファーファは口を閉じ、スープの中のレードルを回す。話せるのはこれくらい、という事なのだろう。何だがうまくごまかされたような気がしなくもない、が。
「さ、こんなもんかな」
ファーファはレードルを一度、カツンと鳴らして言った。「少し早いけど、お昼にしましょう!」
ローラが驚いて時計を見ると、既に正午を回っていた。




