その名は、ダディ(6)
テーブルに足を乗せ、ふんぞり返って煙草をくゆらしていたダディは、衝立の向こうからの足音に眼を開けた。
「……寝たのかい」
「ベッドに入ったら一瞬よ。普段からこんな時間まで起きてるっていうんだから、いつもロクに寝られていないんじゃないかしらね。……それより、煙草なんか吸って大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。今は、静かだからな」
肉を手に入れるまで帰れない、というローラを放っておけるわけもなく、店の2階で寝かせる事になったのだ。ファーファはダディの足を手荒く押しのけ、両手に持った2つのグラスをテーブルに置く。
「何だよ、気前良いじゃないの」
「ま、久々のお仕事だし? 何よりあんたが素直に受けたからね。——といっても、素直にお肉を渡す気なんか、無いんでしょ」
ダディは吸い殻を灰皿に押しつぶし、グラスを傾ける。
「まぁな。あいつにゃ悪いが」
「いいんじゃない? あの子に渡すって事は、その雇い主に渡るって事だもの。聞く限り、ロクでもない雇い主にね」
未だに胸糞が悪いわ、とファーファはグラスをあおる。
肉の手配を忘れていた、というのは事実なのだろう。恐らく社長自身が、だが。ローラに対しては腹いせなのか何なのか分からないが、完全に言いがかりだろう。最初から期待等しておらず、必死になって他の手段も駆使しているに違い無い。……自身で動いているかは、分からないが。
「とはいえ、肉は手に入れるけどな。俺の為でもあるし」
「でも——どうやって? ドラゴンなんて、ここ数年ダンジョンの深層以外じゃ見つかってないでしょうに。依頼さえ受ければダンジョンに潜れるっていっても、あまり深層までは潜れないんでしょ?」
「冒険者ギルドが絡んでるんだぜ? そんなんは、どうにでもなるさ」
そう言って笑うと、ダディはグラスを空にした。「とりあえず全ては明日だ、な」
◇ ◇ ◇
「あの——色々と、ありがとうございました。朝ご飯まで、ご馳走になっちゃって」
並んで歩きながら、ローラは頭を下げた。
「気にすんな。俺がご馳走したわけじゃない。——でもまぁ感謝はされてもいいか、な」
ダディは髭をしごく。「ファビアを抑えるの大変だったんだぜ? お前さんと添い寝するって聞かなくてさ。俺が止めなきゃあ、貞操の危機だった所だ」
「はぁ……ありがとう、ございます」
テイソーって何だろう、と思ったが、訊かないほうが身の為だという予感の方が上回った。
冒険者ギルドの建物は、ダンジョンの入口をぐるっと囲むように建てられている。それは文字通りの門であり、入場者の管理を行う為でもある。ファーファの店からほど近く、外に出て一本角を曲がるだけですぐにその建物が見えてくる。その道すがらの建物の1つに、何やら人だかりが出来ていた。
「炊き出しですね」
ローラが鼻をひくつかせる。
「融合教、か」
大きな鍋に並ぶ人々の姿を横目で見ながら、ダディは少し帽子を深くする。
「……お嫌いですか? 融合教」
下からのローラの視線が突き刺さる。
「いや別に……って、お前さんは、信者なのかい」
「いえ、入信してはいませんけど……あの人達、獣人達に優しくしてくれるんですよ。獣人達の中で、嫌いって人はあまりいないんじゃないですかね。あんな風に、炊き出しもしてくれますし」
融合教。ここ十数年で急速に勢力を伸ばしている新興宗教。その教義は「人間はすべからく獣人化すべし」というものだ。ダンジョンという過酷な環境下で生きてきた獣人達こそが人類が最終的に目指すべき存在であり、そうしなければ人類は遠からずダンジョンから溢れ出た魔獣達によって滅ぼされるだろう、というある種過激なものである。ではどうやって、獣人化するのか。その答えが、魔法だ。この世にまだ存在していない、融合魔法。彼らの最終目的はその魔法を完成させて全人類を獣人化し、救う。そういう事、らしい。その教義からすれば、獣人の扱いが良い、というのも納得できる話であるが。
「……ダディさん?」
「ん——ああ、スマン。行こう」
無意識に足を止めてしまっていたダディは、口を押さえて何事かをつぶやきつつ、改めて足を進めた。
◇ ◇ ◇
「不在ません」
爬虫獣人の表情はその全身に備わる鱗のせいで分かりづらく、誤解を招かれる事が少なく無い。だが眼の前のカウンターの中で漆黒のスーツに身を包み、切れ味の鋭そうなシルバーのネクタイをキッチリと締めた、壁の如く巨大な体で立つ男性は、間違い無く完全な無表情で答えた。
「居ないって――じゃあギルド長、何処行ったんだよ」
「存じません」
「いや、困るんだけどな」
「そう仰られましても、如何とも致しかねます」
何を訊ねても無感情な声が返ってくるばかり。
「す、すいません。これを、見てください!」
困惑しながら2人の顔を代わる代わる見ていたローラが、たまらず例のメモを取り出してカウンターの上に置いた。爬虫獣人——副ギルド長のゴルグ・ゴデュワは小さくため息をついたが、それでも先に背広のポケットから小さな眼鏡を取り出して鼻にのせると、メモ用紙を取り上げて広げた――と思うと、再度ため息をついてすぐに折りたたみ、カウンターへ戻した。




