その名は、ダディ(5)
「えっと……これが、どうかしたんですか」
「トボけんじゃねェ、お前、ちゃんとコレ手配したんだろうな!」
「手配? 手配って――僕、そんなの見覚えないですけど」
言った途端、横から平手が飛んで来た。倒れなかったのが不思議な程だ。
「だからトボけるな! お前に頼んだって、アブリーから聞いたんだよ! ここを見ろ、発注は一月も前だ! それ位前から手配しなきゃあ、ドラゴンの肉はそうそう手に入らねぇ。だがよ、さっき確認したらそんな手配されてねぇッていうじゃねえか。……テメェ、忘れやがったな! このクソ無能な獣人野郎奴、恩を仇で返しやがって――」
「ま、待って下さい! ホントに――本当に僕、知らないんです!」
返事の代わりに飛んできたのは膝蹴りだった。もろにみぞおちに入り、ローラはその場にうずくまる。
「黙れ! この無能めーー明日までに肉を手に入れられなけりゃあ、俺も、この商会も御仕舞だ! 分かってんのか、この野郎!」
罵声と共に浴びせられる無数の足蹴り。頭を抱えて、耐える事しか出来ない。やがて、社長は荒い息を吐きながら動きを止めた。体力の限界が来たようだ。
「〜〜いいか! 明日中に、ドラゴンの肉を10kg、持って来い! 〜〜1gたりとも欠けずに、10kgだ! いいか! 例え盗んででも、だ! 分かったな! もし持ってこなかったら、その時はテメェを解体して、納品してやる! 〜〜今すぐ動け! 分かったな!」
社長は床に倒れたままのローラに向かって言い捨てると、足音荒く事務所を出て行った。ドアが閉じるとようやくローラは腕を下げて、閉じていた眼をゆっくりを開いた。ぼやける景色が次第に鮮明になってきて、その事に少し安心する。口の中が、血の味がする。少し動いただけで腹に痛みが走るが、骨は折れていなそうだ。手——いや足加減をしてくれた訳ではあるまいが。少し咳き込んで、ゆっくりと立ち上がった。
「ドラゴンの肉……10kgだって?」
無意識に独り言が出ていた。本当に、何も知らない。頼まれた記憶は無く、そんな重要な事を忘れる筈も無い。だが、あの調子では何を言っても無駄だろう。何とかして、手に入れるしかない。何とかして——。
「でも……どうやって?」
誰もいない事務所の中で、ローラは呆然と立ち尽くしていた。
◇ ◇ ◇
「きょう一日、少しでも心当たりのある場所を巡ったんですけど……やっぱり、どこにも在庫なんか無くて。それで、道端で途方に暮れていたところで、このメモをくれた女の人と会ったんです。それで——ここに」
「話は分かったわ」
言うなりファーファはこめかみに青筋をたてて、両手の指をボキボキと鳴らした。「とりあえずその社長、死刑って事で良いわよね?」
「気持ちは理解るが、まぁ落ち着けよ」
ダディはどうどう、とファーファの肩を叩いて、改めてローラの眼を見る。
「——だが、確かに理不尽が過ぎる話だよな。全く、身に覚えがないんだろう? 何故坊主がそんな言いがかりをつけられたんだ?」
「それは……」
ローラは一瞬逡巡したが、おもむろに帽子に手をやるとそれを外した。髪の毛の中から1つ、2つと何かが立ち上がる。耳だ。短毛に包まれた、獣の耳。
——獣人、それも、ハーフか。
「あたしは、気付いてたけどね」
ファーファが何故か得意気に頷く。
そう言えば入店した時に〈子猫ちゃん〉、と言われた事をローラは思い出す。あれは単なる比喩では無かったという事か。
獣人。獣頭人身の種族。本来この世界には居なかったもの。初めてその存在が確認されたのは、ダンジョン内部の探索が始まって数年後の事だ。言葉が通じず、知性の無い異形の生物だけしか存在しないと思われていたダンジョン内で初めて発見——いや出会ったのは、犬の頭に人の体をした獣人だった。人間と遜色の無い知性を持ち、集団での社会生活を営む生命体。接触は友好裡に進み、猫や爬虫類等の多種多様な獣人の存在も明らかになり、それらとも友好な関係を築いていった。
——あの、40年前の事件があるまでは。
「坊主が獣人だとしても、だ。こんな理不尽な要求に、無理に応えなくてもいいんじゃないのか? 辞めちまえよ、そんな会社」
「でも……子どもの獣人を働かせてくれるところなんか、滅多に無いですし。あそこを追い出されたら……もう、どこにも行くところなんか、無いんです」
どんな劣悪な環境だとしても、か。両親は——等と訊くのは野暮というものだろう。ダディは頭の後ろで手を組んで、少しのけぞると1つ大きく息をつく。
「……分かった。引き受けよう」
ローラがハッと息をのみ、表情が一気に明るくなる。
「そうと決まれば、ダンジョンに潜らないとな。——悪いが明日、冒険者ギルドに付き合ってもらうぜ」
「ぼ、冒険者ギルドですか? でも、何で?」
「あぁ、まぁその——俺はちょっと、ダンジョンに入るのを禁止されててな。依頼を受けたって証明出来ないと、潜れないんだよ」
「そんな事って……ダディさんて、冒険者では無いんですか?」
ダンジョンに潜ってこその、冒険者だろうに。ダディは眼をそらして顎を搔きつつ、
「冒険者だよ? ……でもまぁ、アレだ。いろいろ事情があってネ……」
「心配しないで、トボケたヤツだけど実力は保証するわ。ファーファの名にかけて!」
「……はぁ」
急に不安が増してきたが、他にアテがあるわけでもない、ローラはただ頷くしかなかった。




