その名は、ダディ(4)
魔法は誰でも使えるモノではない。生来の適性がある事が前提で、きちんとした教育を受けなければ発動させる事も出来ないという。
「——あら、珍しくホメてくれてるの?」
衝立の影から、トレイにグラスを載せたファーファが姿を見せる。
「何言ってんの。俺はいつだって、お前さんの事は褒め称えてるぜ」
「褒めるだけなら、タダですもんねぇ?」
その返しに、ダディは口の中で何やらつぶやきながら髭の先をイジる。ファーファはテーブルに3つのグラスを置いて、椅子の1つに腰をおろした。
「お互い、自己紹介は済ませたんでしょ? あたしもさせて貰うわね。あたしは、ファーファ。この店のオーナーで、コイツの管理というか監視というか……ま、お目付け役ってとこね」
「ファビア・ファンデルホルス、な。コイツの名前。ファーファは自分で付けたあだ名だよ」
横からダディが口を出す。
「うっせェなコラ! フルネームで呼ぶなって言ってンだろうがッ!」
反射的に叫んだファーファだったが、アラいけないアタシったら、と二コリと笑って口に手を当てる。
「は、はぁ……。つまり助手さん、という事ですか?」
「助手? うーん、助手じゃあないわねェ。まぁとにかく、コイツがサボらないようにする為に、アタシにも話を聞かせて貰っていいかしら?」
ローラは何度も首を縦に振る。眼の前のグラスには、色のついた水――恐らく果実水、しかもまたしても氷入り。ここまでしてもらって、断ることなどできる筈がない。
「そ、それじゃあ、えーっと——」
しばらく口ごもっていたローラが、突然頭を下げて言った。
「ご、ごめんなさいっ!」
「えっと……何だ? どうした?」
「僕、お金持ってないんですっ!」
目を丸くするダディに、頭を下げたままローラは叫ぶように続けた。「だ、だから話を聞いて頂いても、お支払いが……。それにさっきのお水や、この果実水の支払いも——」
「ああ、カネの事を気にしてんのか。それだったら、心配はいらないぜ」
「ど、どうしてですか?」
おずおずと顔を上げたローラの前に、例のメモ用紙が置かれる。
「お前さんの持ってきたソレな。冒険者ギルドの職員しか持っていないものなんだヮ。それも、結構なお偉方の」
4つに畳まれたそれを開いて端を軽く叩く。するとメモ全体が青白く光って、折り目が綺麗に消えてしまった。
「——えっ? つ、つまりどういう……」
「つまり支払いは、冒険者ギルドが持ってくれるってコトさ」
「ギルドの偉い人からの紹介なら、安心して仕事受けられるしねぇ。支払いも確実だし、アタシとしても大歓迎よ!」
ローラは昼間出会った、メモをくれた薄い体つきの女性を思い返す。最後まで、顔はよく見えなかった。——あれが、冒険者ギルドの偉い人?
「で、でも何で僕なんかに……」
「問題はソコだわな」
ダディの脳裏に、メモをローラに渡したであろう人物の顔が浮かぶ。……ついでに、何か厄介事をやらせようってハラなんだろうな。それがミエミエだったので、パス宣言をしたのだが——。ちらっと横を見ると、ファーファが満面の笑みをこちらに向けて、ボキッ、と指を鳴らす。
「ま、それはそれ、大人の事情ってヤツさ。坊主は気にしないでいい。……じゃ、用件を聞こうか」
ローラは二人の顔を改めて順に眺めると、口を開いた。
「……ドラゴン、です」
「何だって?」
「ドラゴンの肉が必要なんです! 10kgを! 明日中に!」
ダディは一度鼻を鳴らして、顎髭を撫でる。……ついさっきそれ以上の量のドラゴンの肉を平らげたばかり、とはとてもじゃないが言える雰囲気ではない。
「……詳しい事情を、聞かせてもらえる?」
ファーファに促されて、ローラは続ける。
「僕、アルマリック商会に勤めているんです。——といっても下請けの、そのまた下請けなんですけど」
「……ふぅん。アルマリック商会、ねぇ。随分と大手じゃあないの」
ダディとファーファの視線が一瞬交わされた事に、ローラは気が付かなかった。
◇ ◇ ◇
ローラの朝は早い。まだ暗い内に板張りの粗末なベッドの最上段から抜け出すと、音を立てないように水瓶の水でさっと顔を洗い、ついでに一口含んで部屋を出る。会社の寮であるこの部屋には、同じ境遇の子供達が蚕棚のようなベッドで何人も寝ているが、一番の下っ端であるローラは、誰よりも早く出勤しなければならない。
事務所の入り口には小僧共の朝食として、いくつかの硬いパンがバゲットに入っている。その中で一番大きそうなモノを選べるのが、唯一の役得だった。あっという間に食べ終えると、毎朝のルーティンに取り掛かる。床の掃除に、全員分の机の片付け。インク壺の残量チェックも欠かせない。どれか1つでも、社長の気に入らない事があれば拳骨が飛んでくる。――拳骨なら、まだいい。足蹴にされるのが、一番堪える。でっぷり太った社長の脚は短くはあるが、そこに溜まった脂肪の重量からくる蹴りの威力は凄まじい。
1つあくびをついたその時、荒々しい足音と共に、事務所の扉が勢いよく開かれた。
「ローラテメェ、何やってんだ!」
一声で激怒していると分かる社長が、姿を現す。
「お、おはようございます、社長。何って……掃除、ですけど」
「そんな事言ってんじゃねぇッ! テメェ、これどうしたんだ!?」
社長が机に叩きつけた紙をおずおずと覗き見る。……元請けからの注文書だ。ドラゴン肉――10kg!? 並んだゼロの数に、目がくらみそうになる。




