その名は、ダディ(3)
ゴクッ、ゴクッ、という音が聞こえてきそうな程の見事な飲みっぷりだった。氷をバリバリと音を立てて噛み砕き、飲み込む。水の一滴も、氷の一欠片でも逃すまいとしっかり閉じられたその目の端が光っているのは、気の所為ではないだろう。そして少年はゆっくりと、カウンターの上にコップを戻した。離した両手が、そのまま握り続けていたらコップを潰してしまったのでは、と思ってしまう程に硬直し、震えている。
「ああ……素敵だ」
心の底から出てきたであろう少年の一言に、流石のファーファも一瞬言葉を失う。おかわりを勧める前に、口を開いたのは少年だった。
「お水、美味しかったです。ありがとうございました」
「い、いえ別に——」
呆気にとられて口ごもるファーファの目を、少年は正面からしっかりと見つめる。
「それで、あの……伺いたい事があるんですが」
そう言って、折りたたまれたメモ用紙を取り出す。「〈つぶやきダディ〉さんという方、この店にいらっしゃいませんか。ここに来れば会えるって、聞いたんです。……あのぅ、場所、合ってます、よね?」
「つぶやき——ダディ、ねぇ?」
差し出されたメモ用紙を受け取り、広げる。そこに書かれた住所と地図は、確かにこの店のものだ。ファーファの片眉が少し上がる。
「あ、もしかしたら、〈ダンジョン探偵〉とも、呼ばれているかも……」
ファーファは少しの間、無言で少年の眼を見つめた。店に入って来た時のおどおどとした感じはまだ残っているが、それでも視線を外さずに見返してくるその瞳の奥には、強い意志が感じられた。
歳の頃は12前後、だろうか。身なりは貧民街の子供の中でも最底辺に近い。痩せてはいるが、全身にしっかりとした筋肉が付いている。だが文字が読める、というのは驚きだ。ただでさえ苦労を強いられる生活の中、余程の努力をしたのだろう。
……そういうコに、弱いのよね。
ファーファは肩をすくめると、やおら片腕を高々と上げ、指を鳴らした。小気味の良い音が店内に響き、全員の視線が集中する。
「~~オラッ、いつまで喰ってんだい! アンタに客だよ! 口拭いて、さっさとこっちへ来な!」
言われたのは、カウンターの端で何事かをぶつぶつとつぶやきながら座っていた、中年男だった。
「……もう、喰い終わってるって」
積み重ねた皿が、カチャリと音を立てる。「客って――その坊主が? 冗談だろ」
「どうかしらね。自分で確かめてみたら?」
ファーファが手にしたメモ用紙を振る。男は面倒臭そうにため息をついて近づくと、ひったくるようにそのメモを手にした。その眼が少し、見開かれる。そして男は、口を開いた。
「ヨシ分かった! ——今回はバスで」
「あァん? 何寝言言ってんだコラッ!」
ファーファは男の胸倉を掴み、カウンターの中へ引きずり込まんとする勢いで締め上げた。「家賃や飲み代、色々とツケが溜まってんだよッ! 仕事があるなら働きなッ! この穀潰し奴!」
少年が顔色を変えてスツールごと後ろに下がろうとした——が、固定式だったのを忘れていて、そのまま体だけが床に転げ落ちる。
「わ——分かった、分かったってばよ、ファビアちゃん。ホラ、小さな子供も見てるんだから、あまりランボーな真似は止そう。な?」
脚が完全に宙に浮いた状態で男が愛想笑いを浮かべると、ファーファは荒い鼻息を吹き出して、襟首から手を放す。男はヤレヤレ、と首回りに指を入れて緩めると、床に倒れたままの少年に向って手を伸ばした。
「俺が、〈ダンジョン探偵〉ダディ・ドゥカチだ。よろしくな」
「ぼ、僕、ローラ・ロウシュといいます」
ダディの手を掴んで起き上がったローラは、慌てて自己紹介をした。
「ローラ、ねぇ。女のコみたいな名前だな」
なんの気なしのつぶやきだったが、ローラは顔を真赤にして俯向いてしまう。
「ま、いいや。……話を聞こう。奥の席、使っていいんだよな?」
「どうぞ。あたしも、後から行くから」
ファーファが手を振った奥へ移動する——といってもさほど広い店内ではない。それでも一応衝立がしてあり、半個室のようになっている。
「ま、かけなよ」
丸テーブルを囲んだ4つの椅子の一つにドカッと腰を下ろしたダディは、あたかも自分の家であるかのようにローラを促す。ローラは頷いて腰を掛けると、改めてダディの姿を見た。
40代半ば——だろうか。長めの髪が左の目を隠すように伸び、シャープな顎には髭を蓄えている。擦り切れたズボンをサスペンダーで釣ったその格好は、正直どこにでもいる、貧民街の一労働者にしか見えなかった。違和感があるとすると何故か、左手だけに手袋をしている。よく見ると、肘までシャツをめくっているのは右腕だけで、左腕は袖のボタンまできっちり閉じられている。左目、左腕、左手。——何だろう。何かを、隠している?
「心配すんな。魔法で防音してあるから、近くても話は聞こえない」
口を開くのを忘れて観察していたローラを勘違いしたのか、ダディが言った。
「ま、魔法、ですか。やっぱり、あの女の人が……?」
「ああ、ファビアな。——あいつは、凄いヤツなんだよ。ああ見えて、な」




