“今まですみませんでした。あなたの幸せを祈っています”
「どうしろって言うんだ……」
自室にこもり、ベッドに潜り込んだマグシットは青息吐息を漏らした。
まさかホリーネアが婚約解消に動くとは、考えもしなかった。
自分に惚れていると思っていたのに……
「どうすればいいんだ……」
今になってわかる。ホリーネアがどれだけ自分に対して心を砕いてくれたか。ただヘラヘラ笑って、何もしなかったカロンナとは大違いだ。
学園を卒業するまでは、家に置いてやる-ー
つまり、卒業したら放り出されるわけだ。
もし婚約解消書を渡さなければ、自分は伯爵家に婿入りできて、安泰な生活が待っていたのに。
だいたい父も父だ、とマグシットは口を小屋根型にする。
父親が頼み込んで結んだと知っていたなら、こっちだってそれ相応の礼節を持って絆を深めていた。
友人に何言われても無視していた。
友人-ー
ウォーエズ子爵令息は、一瞬、呼吸を忘れる。
ホリーネアの悪口を言っていた彼ら、婚約者がいると聞いた覚えはない。
全身から血の気が引いてきた。
まさか……これを狙っていたか?
カロンナをマグシットにぶつけて、ホリーネアと婚約を解消させたら、自分はゲネラベディ伯爵家に婿入りする。
上記の作戦が当たれば、人生は平穏どころかバラ色だ。
マグシットの周りにいるのは、同じ子爵令息もしくは格下の男爵令息。家を継げるかどうか、明言化された覚えはない。
長男でなければ、騎士団に所属して騎士爵を得るか、平民に落ちるかの二択。ならば家付きの令嬢と婚約……なんて策略を練っても当然だ。
婚約者を蹴落としてでも。
マグシットは寝台から飛び上がった。
自分は確めねばならぬ事柄がある。
馬丁に頼み、ゲネラベディ伯爵家に向かった。
「一体何の用でしょうか?」
元婚約者の屋敷に着いたマグシット、彼を迎えた侍女の声は氷より冷たかった。
「お嬢様はへイルム様と話をしております。どうか、お引き取りを」
「へイルム……?」
ウォーエズ子爵令息の知らぬ名前である。
「失礼ですが、へイルム様の家名を教えていただけませんか?」
侍女はわざとらしく肩をすくめたが、はぐらかしも沈黙もしなかった。
「エスタリイ公爵家の三男ですよ」
公爵家の三男。
マグシットの心に落ちてきた。同時に、清々しい風が胸裏に吹き抜ける。
仲間と言いたくない輩がおいしい思いをする率が、格段に下がったため。
「そうですか」
口元がやけに緩んできたが、引き締める。
「ゲネラベディ伯爵令嬢に伝えてください。“今まですみませんでした。あなたの幸せを祈っています”と」
名残を惜しまず、馬車に乗るウォーエズ子爵令息。
すぐさま乗り物は走り出した。
自分が何をするべきかは定かでない。なれど、じっとしてはいられなかった。
手間と時間がもったいなかったが、マグシットは自宅に帰ってきた。本当なら直接学園の訓練所に向かいたかったが、訓練着と模擬刀を用意していなかったので。
目的地に着くと、誰もいない。
孤独と言えば孤独だが、今のマグシットにはありがたかった。
黙々と素振りを続ける。
しばらく愚直に回数を重ねてきたら、肩と腕、そして足腰がきつくなってきた。疲労に白旗を上げ、座り込む。
それでもたまらず、両腕を投げ出し、両足を開いて寝転がった。
夏の空は、どこまでも澄んでいる。雲一つない蒼のキャンバスだ。
神様がマグシットの影を掴んで貼りつけたら、溶けて消えるのでは。
与太話めいた夢想を胸に、目を閉じる。
風が静かに頬を撫でた。




