あの声……絶対女の子だよな……
就寝時間を迎えたマグシットだが、こっそりと宿舎を抜けて、裏庭に出ていた
三日月の光は頼りなく、明かりを灯したいがそんなことをしたら意味がない。
-ーちょっと行ってみない? 二人だけで。
カロンナからの誘いは甘く、背徳感が心を蕩けさせた。行き先が廃寺なる未知の場所なのも、拍車をかけた。
本当に危険そうなら、逃げればいいのだから。
裏庭にある大木の下、待ち合わせ場所に先にいたのはカロンナ。
「遅いよ~」
声量はいつもより抑えているが、辺りが静けさに満ちているため、充分聞こえる。
「悪い悪い、マナスに捕まってさ」
食事を済ませ、自分の部屋に行こうとしたところにかけられた、ピピエ男爵令嬢の甘い提案。了承したところを、見咎められたのだ。
「何しゃべっていたか聞かないけど、こっちを巻き込むなよ」
渋面で繰り出されたベイデス男爵令息の台詞は、もちろん脳を上滑りした。
夏だが夜ともなると空気はひんやりとしている。二人は薄手の長袖を着用していた。
森に一歩入ると、柔らかい土に足を取られた。松明に火はつけたが、それでも闇をすべて消し去るわけではない。
「ひゃっ!」
木の根に引っかかったか、カロンナがつまずく。両腕がウォーエズ子爵令息の腰を捕まえた。
「ご、ごめん、マグシット。大丈夫?」
「あ、ああ」
正直心臓が跳ねたが、おくびにも出さず答える。
「ねえ、手を握ってくれない? 迷子になったら困るし」
「わかった」
空いた手を伸ばすと、細い指が絡みついてくる。剣を持たぬ乙女と比べたらたくましいかもしれないが、マグシットよりも十分華奢だ。
接触箇所から伝わる熱に、思い出す。ホリーネアの手を引いたのはいつだったかと。
「……なんか、ドキドキするね。こんな夜に外に出るなんて初めてだよ」
「俺もだ」
上ずった声のカロンナにつられ、マグシットの語調も跳ねる。
緑の濃厚な青臭さと、土の匂いが鼻腔に流れ込む。王都の乾いた空気と異なる湿り気で、妙にこびりついた。
前へ前へ進むウォーエズ子爵令息は、脚を動かしながらも我に返る。廃寺を目指してはいるが、そもそもどこに建っているかも知らない。おまけに、目印らしきものもないのだ。
かといって、「やっぱり帰ろうか」なんて台詞は、男の矜持が許さない。
どうしたものかうつむいていたら、ピピエ男爵令嬢が握る手に力をこめてきた。
「あのさ……何か聞こえなかった?」
か細い声だ。
「いや……俺には何も聞こえなかったけど」
「気のせいかな……」
言葉とは裏腹に、そうではないと言わんばかりのニュアンスである。
だが、マグシットは閃いた。
チャンスではないか、と。
「じゃあ、戻るか? ヤバい獣がいるかもしれないし」
「こ、怖いわけじゃないよ」
選択は悪手だったか、カロンナはすぐさま否定した。
-ーと、
……アーオ……ナーオ……
猫の鳴き声みたいな響きが、進行方向から下りてきた。
「-ー聞こえたよね」
「ああ」
この辺りにモンスターがいるかもしれないが、猫に似た系統ならば大丈夫だろう。
根拠のない自身が、血液と一緒に全身を巡る。
「行ってみるか?」
質問の体を成しているが、求める答えは一つ。
「うん」
-ーカロンナは無言の要望を叶えてくれた。
先程とは打って変わって、細心の注意を払いながら二人は歩く。登りとあって脚に負担がかかり、蓄積された疲労は無形の枷だ。
途中途中で休みを入れながら、それでも引き返すなんて臆病風に吹かれた行為には走りたくなかった。
「少しはダイエットになるかな」
相棒の発言はかすれているが、明るさが弾けている。
「そんなに太ってないだろ」
こちらも親しみをこめて発した。
木々が密集する空間を縫うように歩を進めていると、しばらくして樹木の密度が減ってきた。比例して脚を動かしやすくなり、現金なことに進みも早まる。
その耳に葉擦れの韻が届いた。
制止するウォーエズ子爵令息とピピエ男爵令嬢。
聴覚を頼りに両眼を滑らせた先には、藪とおぼしきわだかまり。高さは、マグシットの胸ぐらい。
音を立てて揺れるそれを、マグシットは凝視していた。
「な、何?」
息を呑んでカロンナがつぶやく。
-ーピピエ男爵令嬢の動揺を、終わらせるつもりはなかろうが、元凶が藪を突き破って前方に現れた。
「ひぇっ!」
どこか滑稽な悲鳴を上げて、カロンナが抱きついてきた。
落としかけた松明を持ち直す。
「ば、バカ! 何すんだよ!」
ピピエ男爵令嬢を叱りつけ、改めて眼前の影に視線を戻した。
猫。
基本的な形はそれだが、まず身体が大きい。四つん這いでマグシットのみぞおちあたりまである。
闇夜に光る目は禍々しい銀で、顔の半分が皮膚がむき出しになっていた。
毛は短いが、背中には妙な触手らしきものが蠢き、腹からも得体の知れない紐っぽいものがのたうち回っている。
モンスター。そうとしか形容できない。
「どうしよう、こんなのがいるなんて聞いてないよ」
震えるカロンナに同意の上、マグシットは内心歯噛みした。こんなことになるならば、模擬刀だとしても持ってくればよかった。
なれど、悪いことは重なるもの。
藪の下からは、猫としては普通サイズではあるが、同一の種類が十匹ほど集まってきた。
こうなったら……
手に持った松明を放り投げようとしたそのときだ。
「下がって!」
空気を切り裂いた音吐に、男女は即座に従う。握手していた手を離し、後ろに跳び退さった。
直後、左側から何かが飛来する。無数の細い何か。それはにわか雨の如し勢いでモンスターの群れに突き刺さった。
苦悶の声を上げて七転八倒する猫モドキたち。だが、大猫は動じることなく背中と腹の触手を四方八方に伸ばす。
無論、マグシットとカロンナのところにも。
「おわあああああ!」
「きゃあああああ!」
二人二様の叫びを上げ、やっとの思いで避ける騎士の卵たち。
風切り音を生み出し、うねる自在矛がなぎ払われる。同時に、またも凶器の雨がモンスターたちを襲い、標準猫が動かなくなっていく。
一体何が起きているのか。観察を試みると、二人の何某かがモンスター相手に戦っているのは理解した。片方が飛び道具を使い、もう片方が自在矛に似た、おそらく鞭を操っていると判じる。
「す、すごい……」
人間とモンスターの戦いをこんな至近距離で拝むなんて、夢にも思わなかった。
でも、忘れてはいけない。子爵令息マグシット・ウォーエズは観客ではないのだ。
「おわあ!」
つい傍観に徹していたら、数多の触手が突貫してきた。
否、先が開いた中身は歯と舌が。
-ーまさか蛇!?
そうであろうがなかろうが、危険なのは明白。
反射的に、松明を投げつけかけ……
「……!?」
マグシットをかばうように、何者かの影が割り込んだ。何かを頭に被った、すんなりしたシルエット。
両手に携えた得物で、敵の攻撃器官を次々切り落としていく。
落ちる肉塊を一瞬見やれば、予想通り蛇の頭部。瞳はないが。
「早く逃げて早く!」
鋭く、だが冷静な警告に、マグシットはカロンナの手を握り、流れる風情で引いて、慌てて来た道を戻る。
転がるように山道を走るウォーエズ子爵令息。隣にいるピピエ男爵令嬢に気を遣う余裕なんてない。
いつの間にか繋いでいた手はほどかれていた。
石やら雑草やらの障害物に脚を取られながら、それでも逃げる二人。
宿舎の姿を両眼に捕らえたところで人心地がつき、裏庭にたどり着くと勢い余って建物の壁にぶつかった。
「「はぁ~……」」
どちらの口からも、深いため息が漏れる。
「まさかあんなモンスターがいるなんてね~……」
衝撃から回復したカロンナが一人ごちる。
「一歩間違えてたらやばかったよな……」
マグシットの声にも覇気はない。
「……それにしても、あれ誰だったんだろうな」
ウォーエズ子爵令息は、心臓が押し潰されそうになった、ついさっきの出来事が蘇った。
「冒険者じゃない?」
ぼやき混じりに紡いだ、ピピエ男爵令嬢の言。
それくらいはマグシットにも見当がつく。
でも、彼としては本題は別にある。
「あの声……絶対女の子だよな……」
鼓膜には余韻が残っている。
『下がって!』
『早く逃げて早く!』
子供っぽい音吐ではあったが、こちらの盾を買って出た背中は自分くらいの年齢と判じられた。
もう一人は不明だが。
「-ーねぇ、何鼻の下伸ばしてるの?」
カロンナの呼びかけで我に返るが、微かに違和感を覚えた。
平常の冗談めかした調子ではない、叱責じみた言い様。
いつもなら茶化しているが、疲弊した肉体と精神では口を開くのも億劫だ。
「ちょっと! 無視しないでよ!」
よくもまあ、あれだけの目に遭ってそこまで大きな声が出せるもんだ……
呆れるマグシットだが、閃くものがあった。
虫の声すら聞こえない無音だったところで喚いたら、見つかるに決まっている。抜け出したのが露見したら、罰則は必至。
「コラ! 待ちなさいよ!」
待つわけがない。カロンナの叫びを背中で聞き、ひっそりとマグシットは自分の部屋に戻った。




