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黒曜の軍師と白金の王   作者: *しおり*
三章

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19/42

赤蠍の砦での悪巧み

 赤蠍の砦を占領し、賊を我が軍に下らせてから数日後。

 この巨大な砦には、かつて百五十人もの山賊たちが使っていた無数の個室や居住区画が、有り余るほど存在していた。

 そのため、過酷な野営と逃避行を続けてきたファリードの兵士たちにも、それぞれ快適な自室があてがわれることになった。


 「マーシャ殿! お疲れ様です!」

 「軍師殿の完璧な策のおかげで、久しぶりに屋根の下で、しかもふかふかのベッドで眠れました。本当にありがとうございます!」


 砦の廊下ですれ違うたび、兵士たちは満面の笑みでマーシャに深く頭を下げていく。

 野風に震えていた泥舟のような陣営が、ついに確かな家と温かい生活を手に入れた喜びが、砦全体に満ち溢れていた。

 マーシャは「……大袈裟な奴らだな」とターバンの奥で小さく息を吐きながらも、決して悪くないその空気を心地よく感じていた。


 日中のうだるような熱気を避けるため、マーシャは砦の最上階、最も風通しの良いテラスへと足を運んだ。

 そこは、あの部屋割り騒動の結果、ザイドが陣取ることになった旧・首領の豪奢な寝所に隣接している。

 開け放たれた扉から部屋の中を覗き込むと、スラム育ちの密偵は、天蓋付きの巨大なベッドに大の字になって寝転がり、これ以上ないほど悠々自適にぬくぬくとくつろいでいた。


 「あー、最高だぜ……。ふかふかの羽毛布団に、冷えた果実酒。俺の城持ちスローライフ、完璧すぎる。……あと足りねェのは、両脇に侍らせる極上の美女だけだなァ」

 「寝言は寝て言え。巡回中のカディルに聞かれたら、今度こそ窓から堀へ叩き落とされるぞ」

 

 マーシャが呆れたように声をかけ、テラスの日陰に座り込んで戦利品の銀貨を指先で弾き始めると、ザイドは突然ベッドから跳ね起きて、猫のように音もなく滑り寄ってきた。

 チャリン、チャリンという小気味よい音が、退屈な午後の空気に吸い込まれていく。


「へへっ、いいじゃねェか。お堅い旦那や、真面目すぎる殿下の相手ばっかりじゃ、俺みたいな裏の人間は息が詰まっちまうんだよ」

 ザイドはマーシャの隣にドカッと腰を下ろすと、心底嬉しそうな、人懐っこい笑みを浮かべた。


「だからよ、兄貴みたいに頭が切れて、しかも悪い話が通じる人が陣営に来てくれて、俺ァ本当に嬉しいんだぜ。やっとまともに息ができるってもんだ」

「……おだてても何も出ないぞ。本題は何だ」

 裏社会育ちの密偵からの、手放しの歓迎と全幅の信頼。マーシャが銀貨を弾く手を止めてジロリと睨むと、ザイドは周囲をキョロキョロと見回した。

 誰の目もないことを確認し、懐から古びた真鍮の鍵と、羊皮紙の切れ端を恭しく差し出す。


 「……なぁ兄貴、いい情報を見つけてきたんだぜ」

 そして、声を顰めてニタリと笑った。

 「潜入工作の時に、副首領の部屋からくすねておいたんだ。あの野郎、山賊の裏帳簿にも載せてねェ隠し財宝を、砦の地下にこっそり溜め込んでたらしい。これはその金庫の鍵と、場所を示す暗号だ」

「ほう」


 マーシャは銀貨を弾く手を止め、黒曜石の瞳をギラリと光らせた。

 だが、ザイドは困ったように頭を掻きむしる。


 「ただよォ、俺は字の読み書きはできても、こういう小難しい暗号ってのはからっきしでさ。そこで、頭の回る兄貴の出番ってわけだ」

 「……なるほど。面白そうだな」


 マーシャは羊皮紙を受け取り、書かれた記号と数字の羅列を一瞥した。

 どうやら、砦の地下水道に繋がる古い構造図を暗号化したものらしい。日本の歴史やパズルに親しんできた彼女の論理力をもってすれば、解読は容易い。

 マーシャはターバンの奥で唇を吊り上げ、鍵を指先に引っかけた。


 「いいだろう、乗ってやる。……だが、分け前は私が六、お前が四だ」

 「はァ!? 冗談キツいぜ兄貴! 見つけてきたのは俺だぞ、せめて五分五分……」

 「嫌なら、今すぐカディルにこの鍵を渡して『ザイドが殿下の軍資金を隠し持っていました』と報告するが?」


 にっこりと笑うマーシャの背後に、あの堅物剣士の説教という無間地獄の幻影を見たザイドは、大袈裟に天を仰いだ。


 「あーもう、分かったよ! 四でいい、四で! 相変わらず悪辣すぎるぜ兄貴!」

 「交渉成立だ。日が暮れる前に、さっさと抜きにいくぞ」


* * *


 かくして、”殿下のための見回り”という大義名分を掲げ、二人の悪党は砦の地下深くへと続く石段を下っていた。

 ひんやりとした空気が肌を撫で、松明の光が石壁に長い影を落とす。


「いいか、物音を立てるなよ。この階層には今、カディルが備蓄品の目録作りに来ているはずだ」

「へいへい。あのお堅い旦那に見つかったら『盗賊の真似事は恥知らずな行為だぞ』って、また三時間は説教だからな」


 ザイドが肩をすくめた、その直後。

 前方の通路の角から、規則正しい鎧の足音が近づいてきた。松明の光と共に、カディルの険しい顔が浮かび上がる。


「げッ 噂をすれば......早速本人様のお出ましだ」

 ザイドが舌打ちをして壁の窪みに隠れようとするが、間に合わない。


 その瞬間、マーシャは懐から、先ほどの広間で拾っておいた柄にトゲトゲの鉄球がついた、悪趣味極まりないモーニングスターを取り出し、通路のど真ん中へ向かって無造作に転がした。


 ゴロゴロ、ガランッ!


「む? なんだこれは」

 カディルが足を止め、転がってきた鉄球を拾い上げる。

「なんという下品で野蛮な武器だ。このような重心の狂った鈍器で、どうやって剣筋を読めと言うのだ。山賊どもめ、武の誇りというものが微塵も……」


 ブツブツと武器の構造にケチをつけ始めた生真面目な剣士の背後を、マーシャとザイドは息を止め、つま先立ちですり足のまま、カニ歩きで完璧にやり過ごした。


「ふぅ……危ねェ。さすが兄貴、猛獣の扱いをよく分かってる」

「黙って歩け。あと少しだ」


 暗号の示す方角へ進む途中、マーシャは第三の扉という記述に従い、重い木の扉を開けた。

 ――途端に、鼻が曲がるような強烈な異臭と、紫色の怪しい煙が溢れ出した。


「ゲホッ!? なんだこの臭い……ッ」

「……ほれ、動くな。この『腐肉茸の絞り汁』を傷口に塗り込めば、蛆が湧く前に神経ごと麻痺して治りますぞ。ヒッヒッヒ……」


 暗闇の中、怪しい壺をかき混ぜながら、得体の知れない軟膏を煮詰めているイブンの姿があった。

 そういえば、第三の扉、ここはイブンの砦であった。

 人を殺すことに躊躇いを捨てた裏育ちの二人ですら、そのあまりにもマッドサイエンティストな光景に背筋を凍らせ、無言でそっと扉を閉めた。


* * *


 そしてたどり着いた地下の最奥。

 行き止まりの石壁に、暗号が示す通りの精巧な”隠し扉”があった。


 中央には真鍮の鍵穴。


 ザイドが「へへっ、お宝のお出ましだ!」と涎を垂らしながら鍵を突っ込もうとした瞬間。


 ――ドゴォッ!


「痛ェッ!?」

 マーシャの蹴りが、ザイドの尻にクリーンヒットした。


「馬鹿野郎。よく見ろ、鍵穴の周囲に六つの小さな窪みがある。床の石畳も不自然に浮いているだろう。適当に鍵を回せば、天井から毒矢の雨が降ってくるぞ」

「ひぇっ……!」


 マーシャは松明の光を近づけ、罠の構造を観察した。

(滑車と重りの連動式か。日本で読んだピラミッドの盗掘防止トラップの簡易版みたいなものだな)

 彼女は周囲の石を拾い集め、浮いている石畳の四隅に正確な重量で配置していく。ガチン、と壁の中で歯車が噛み合う音がした。


「よし、今だ。回せ」


 ザイドが恐る恐る鍵を回すと、重い石の扉が音を立ててスライドした。

 中に広がっていたのは、まさに隠し財宝。眩いばかりの金貨が詰まった袋と、見事な宝石箱が山積みになっていた。


 「へへっ、さすが兄貴! こいつはすげェ! これで俺たちも大金持ちだぜ!」

 ザイドが歓喜の声を上げ、金貨の袋を自身のポケットへ次々と詰め込み始めた。

 マーシャもターバンの奥で笑みを深め、手頃な宝石を懐に入れようとした、その瞬間だった。

 

 「……こんな地下の最奥で、何をしているんだ? マーシャ、ザイド」

 背後から、ひどく冷めた、じとっとした声が響いた。


 二人が錆びついたロボットのように首を回すと、そこには松明を持ったファリードと、どこで合流したのか、先ほどすれ違いかけた、付き添いのカディルの姿があった。砦の構造を完全に把握するため、自ら地下の巡回を行っていたのであろうか。

 「き、貴様ら……ッ! もしやまた、死体漁りのような盗賊の真似事を……!」

 カディルの顔の火傷の痕が怒りで赤黒く染まり、剣の柄に手がかけられる。

 絶体絶命。

 しかし、マーシャの脳内での計算はカディルの抜刀よりも早かった。

 彼女は一切の躊躇なく、金貨をポケットに詰め込んでいたザイドの腕をガシッと掴み、天高く掲げたのだ。

 「よくやったぞ、ザイド!! 殿下の軍資金となる『赤蠍の隠し財宝』を、ついに発見したな!!」

 「……え?」

 「いやはや殿下! 私は彼がこの財宝をネコババしないように、ずっと後ろから厳しく監視していたところです。さあ、これでまた一つ、王座に近づきましたね!」

 マーシャは一切の悪びれもない、完璧な忠臣の顔でファリードに報告した。

 「……はァ!?」

 目玉が飛び出るほど驚愕し、裏切られたショックで固まるザイドを完全に置き去りにし、マーシャは懐に入れた宝石をそっと金貨の山へ戻す。

 そのあまりにも白々しい言い訳。

 王宮育ちのファリードならば、彼らの浅ましい行動を軽蔑するか、生真面目に咎めるはずだった。  


 しかし。

 ファリードは呆れるどころか、マーシャとザイド、そして金貨の山を交互に見比べると、スッと目を細め……やがて、悪い顔を作ろうとして少しだけ失敗したような、不器用な笑みを浮かべた。。

 「……そうか。大儀であった、マーシャ。君のその忠義に心から感謝する」

 「えっ?」  

 予想外のファリードの反応に、ザイドだけでなくカディルも目を白黒させる。  

 ファリードは金貨の山に歩み寄ると、少しおずおずと、けれど思い切ったようにマーシャの肩をバンッと気安く、悪友にするように力強く叩き、見よう見まねの悪友のような仕草で肩を組んできたのだ。


 「実は私も、こういうスラムの悪党みたいな手柄の横取りというやつを、一度やってみたかったんだ......どうだ、今の私は少しは悪党らしく見えただろうか?」

 「で、殿下ァ!?」

 カディルが信じられないものを見るような顔で悲鳴を上げる。

「な、なんという事だ……! あの清廉だった殿下が、スラムの野良犬のような没収宣言を、あんなにも楽しそうな笑顔で……ッ! これもすべて貴様の教育が悪いのだ、異邦人めッ!」


 カディルが頭を抱えてマーシャに説教を始める横で、ファリードとマーシャは”完璧な共犯者”としてこっそり顔を見合わせ、クスクスと悪戯っぽく笑い合った。

 王宮の温室育ちだった美しい少年が、彼らと泥をすするうちに、王という特権階級の壁を自ら取り払い、不器用ながらも彼らの流儀に歩み寄ろうとする、彼なりの思いやりの形だった。

 

 「というわけでザイド。この軍資金は、我が陣営の公式な財産として『すべて』没収する」


 隠し扉の奥に広がっていた莫大な金貨と武器の山。

 それをファリードが「公式な財産として没収する」とわざとらしいほどの悪党ぶりで宣言した直後。

 「あ……あああ……俺のシノギが……」  

 その場で泣き崩れていたザイドだったが、転んでもただでは起きないのがスラム育ちの密偵である。

「ちくしょう、せめて何か俺個人の取り分になるモンはないのかよ……おっ?」と呟くと、涙を乱暴に拭って未練がましく金庫のさらに奥へと足を踏み入れた。  


 一方、マーシャは金貨の山よりも、隠し金庫を構成する石壁の構造に目を向けていた。

 「……見事な石組みだ。暗号図にあった地下水路への隠し通路もそうだが、自分の名前も書けないような教養のない山賊どもに、こんな精密な建築ができるはずがない」  


 マーシャの呟きに、カディルが松明を掲げて厳格に頷いた。

 「ああ。このガレブ渓谷は現在でこそ帝国の威光が届かぬ無法地帯だが、数百年前は西の勢力に対する防衛の最前線だったはず。この砦の強固な構造と地下水路は、旧帝国時代の軍事砦の遺構だろう」


 「ヒッヒッヒ……その通りですな」  

 紫色の煙の残り香と共に、いつの間にかイブンがカディルの背後に立っていた。

 「山賊の略奪品の中に、面白いものが混ざっておりましたぞ」  

 イブンが懐から取り出し、松明の光に翳したのは、奇妙な多面体の木彫りの偶像だった。


 「我らが大帝国シャジャルは絶対的なカリスマで多神教の民を束ねる国ですが、この辺境には独自の精霊信仰を持つ異民族も多く割拠しております。これはその部族の一つが信仰する……」

 「……なるほど。彼らはこの、顔の潰れた『カエル』に祈りを捧げているのか」  

 ファリードが、腕を組んで少し背伸びをした顔つきで、その偶像を真剣に覗き込んだ。


 「トカゲだよ殿下。……まあ、カエルでも何でもいいんだがね」  

 ザイドが鼻で笑いながら、金庫の奥から古びた帳簿のようなものを引っ張り出してきた。

 「この辺の連中が本当に祈ってる神様なんて、もっと現実的なモンさ」

 マーシャが図面を短剣の柄でトントンと叩く。


 「ザイドの言う通りだ。西から進軍してくる十字軍は”唯一絶対の光の神”を掲げる狂信者。大帝国は多神教。だが、複数の異民族が入り乱れるこの乾燥した辺境で、皆が等しくひれ伏すのは水と金だけだ」  

 マーシャは地下水路へと続く暗い通路を指差した。

 「赤蠍の奴らは、この強固な砦と地下水路を再利用して渓谷のオアシスを独占し、交易路を通る商隊から莫大な富を搾り取っていたんだ。……神の教えより、生きるための水脈を握った奴がこの土地の支配者になる」

 ファリードは金貨の山と、冷たい風が吹き込んでくる地下水路の奥を見つめ、ひどく感心したように目を輝かせた。


 「水と金が、この土地の信仰……。王宮の美しい書庫では決して学べない、生きた歴史と地政学だな」

 その真剣で、どこか無邪気さを残した横顔。


 薄暗い砦の地下金庫にはおよそ不釣り合いな、ため息が出るほど整った美貌の少年王を前に、マーシャはターバンの奥でスッと目を細めた。

 (……背伸びした口を利くわりに、知の吸収には本当に素直な奴だ。それにしても――)

 マーシャの冷めた黒曜石の瞳が、油ランプの光を弾くファリードの白金色の髪と、大人の女でさえ狂わせそうな整った顔立ちを、舐め回すように観察する。


 (……この顔は、使えるな)

 彼女の頭の中に、新たな陣形のパズルが組み上がっていく。

 マーシャは軍師としての仮面の奥で、彼の持つ規格外の美貌という強力な手札を、今後の盤面でどう利用してやろうかと、極めて打算的に値踏みしていた。


 「へへっ、よく分かってるじゃないか、殿下! すっかりこっち側の悪党の顔になってきたぜ!」

 突如、空気を読まないスラム育ちの密偵ザイドが、ファリードの背中をバンッと気安く叩き、そのまま太陽の光を編み込んだような白金色の髪を、ガシガシと遠慮なく撫で回した。

 「なっ……!? や、やめろザイド! 子供扱いするな! 髪が崩れるだろう!」

 突然の気安いスキンシップに、ファリードは顔を真っ赤にして抗議の声を上げる。


 「ザイドォォォォッ!!!」

 地下金庫を揺るがすような、凄まじい怒声が響き渡った。

 カディルだ。


 彼は顔の火傷の痕を怒りで赤黒く染め上げ、今にも抜刀せんばかりの勢いでザイドに詰め寄った。

 「スラムの野良犬風情が、殿下の御髪に気安く触れるなど……万死に値するッ! その無礼な腕、今すぐこの場で切り落としてくれるわ!!」


 「ひぃッ!? 冗談だよ旦那、ちょっと褒めただけじゃねェか!」

 「待て、待てカディル! 怒るな、彼なりの賞賛だ。それに、私の髪なら自分で直せる」

 ファリードは必死にザイドの盾になり、クスクスと笑いながらカディルの剣の柄を押さえ込んだ。


 マーシャは、カディルの剣を握る手がピタリと止まるのを見た。

 怒りで赤黒く染まっていた長身の騎士の顔から、スッと険が抜け落ちる。

 彼は目を見張り、ファリードの弾けるような笑顔を、まるで信じられない奇跡でも見るかのような、ひどく熱を帯びた瞳で見つめていた。


 殿下の心をここまで溶かし、年相応の生き生きとした笑顔を引き出したのは、カディルのような誇り高き純血の騎士ではなかった。

 自身が「帝国の法も知らぬ下賤な獣」と見下し、殿下に近づけまいと忌み嫌っていたスラムの野良犬や、異邦の小童たちだったのだ。 王宮の窮屈な作法ではなく、この血の匂いが漂う泥臭い地下金庫でこそ、主君は本当に求めていた”対等な仲間”を手に入れたのだと。

 そう言って忠臣の魂が震えているのが、少し離れた場所にいるマーシャにも伝わってくるようだった。


 カディルは込み上げてくる感傷を悟られまいとするように、わざとらしく咳払いをし、「……殿下がそう仰るなら。……それに、貴様らのような無作法な輩が相手では、殿下にも多少の”息抜き”は必要でしょうからな。今回だけは不問に処します」とプイと顔を背けた。


「へへっ、ありがとよ旦那! さすが太っ腹!」

「調子に乗るなスラムネズミ!」

 

 カディルの横顔は、いつもの厳しいお目付役のものではない。

 相変わらず不器用で素直ではないが、彼らを殿下を支える陣営の一部として確かに受け入れようとする、少しだけ穏やかな色を帯びていた。


 (……なんだ、この変なノリは)


 少し離れた場所から。マーシャはその騒がしいやり取りを、腕を組んで眺めていた。

 ルスランと二人きりの血生臭い旅では、こんな気安いスキンシップなど一度もなかった。こんな風に誰かと肩を組んで笑い合うなんて、まるで、遠い昔に置いてきた日本の放課後のようで――。


 マーシャは、自身の内にふと蘇りそうになった真白としての温かい感傷を、慌てて心の奥底へと押し込んだ。 自分の血塗られた手には、およそ不釣り合いな温もりだったから。


「あーあ、俺が見つけてきた金庫なのに、完全に殿下と兄貴の手柄になっちまった……」

 結局、無駄足だったかと帳簿をパラパラとめくりながらぼやくザイド。


 「ええい、いつまで山賊のガラクタを漁っているのだ! そもそも貴様のその浅ましい性根が……ッ」

 呆れて再び小言を言い始めたカディルの背後で、「ヒッヒッヒ……」とイブンが怪しげな薬瓶を取り出し、金庫の隅のじめじめした岩肌から謎のキノコを嬉々として採取し始めていた。

 「イブン! 貴様もこんな薄暗い地下で怪しげな毒物を集めるな! 殿下の御前であるぞ!」

 生真面目な騎士の怒声が響くが、彼らはどこ吹く風だ。


 王族の誇りも定石もない。

 けれど、このバラバラで泥臭い寄せ集めの悪党たちこそが、ファリードにとって初めて手に入れた世界を知るための、最高の生きた教科書であった。


 「殿下が、殿下が悪に染まってゆく……っ! これもすべて貴様の教育が悪いのだ、異邦人めッ!」  

 カディルが頭を抱えて改めてマーシャに説教の矛先を向けるが、当のマーシャは「はいはい」と全く心のこもっていない生返事をして、図面の確認に戻ってしまった。

 ザイドは金貨の勘定に夢中で、イブンは採取した謎のキノコを嬉々として愛でており、悪党たちは見事なまでにどこ吹く風だ。


 そんな完全に馬耳東風な空間で、根が真面目で優しすぎるファリードだけが、「す、すまないカディル。私が悪かったから、そんなに胃を痛めないでくれ……」と一人でオロオロしながら必死に忠臣を宥めていた。


 生真面目な騎士、気の毒な密偵、マッドサイエンティストな医術師、そして悪ノリを覚えた少年王と、悪魔の軍師。  

 血の匂いが立ち込める殺伐とした砦の地下で。

 バラバラだった淀んだ泥舟の乗組員たちは、確かに一つの賑やかな家族としての絆を深めていくのだった。


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