隣が空いている朝
朝、目が覚めた時。
隣に、恒一はいなかった。
一瞬、分からなかった。
いつもの感覚が、そこにない。
寝ぼけた頭で身を起こして、空いた場所を見る。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
いない。
それだけのことなのに、それ以上を考えたくなくなる。
考えたら、きっと、戻れなくなる気がした。
それでも。
浮かんでしまう。
恒一の隣に、清磬がいる光景。
肩が近くて、迷いなく並んでいて、夜の調査を続けている二人。
胸の奥が、また痛む。
理由は、分からない。
ただ、不安だった。
気分を振り払うように、布団を出る。
キッチンに立ち、朝食の準備を始める。
包丁を握る手が、少しだけぎこちない。
そこへ、萃華が起きてきた。
「……おはよう」
私の顔を見て、萃華は一瞬だけ目を細める。
何も言わない。
ただ、少しだけ楽しそうに笑った。
見透かされている気がして、視線を逸らす。
その時。
玄関の方から、音がした。
扉が開く。
「ただいま」
恒一の声。
心臓が、大きく跳ねた。
振り向くと、そこには恒一と清磬が立っていた。
どちらも、少し疲れた様子だった。
「調査が長引いた」
恒一が、簡単に説明する。
「一度、向こうで休んでから戻った」
その言葉は、理屈として正しい。
納得も、できる。
でも。
胸の奥の違和感は、消えない。
「……連絡」
恒一が、少し困ったように言う。
「入れていたんだが、気づかなかったか?」
ポケットの中の端末を思い出す。
昨夜、恐怖で手が震えて、それどころじゃなかった。
「寝ていると思ってな」
責める口調じゃない。
ただの事実。
それが、余計に刺さる。
玄関の外が、少し騒がしい。
窓の向こうに、通学途中の生徒たちの姿が見えた。
「……今の、立花君?」
「隣の子、誰?」
ひそひそ声が、確かに聞こえた。
清磬は、気にしていない。
恒一も、特に反応しない。
私だけが、その視線を、はっきりと感じていた。
――隣。
その言葉が、胸に残る。
私は、まだ何も言っていない。
何も求めていない。
それなのに。
失うことだけが、こんなにも怖くなっている。
萃華が、楽しそうに言った。
「朝ごはん、出来てる?」
「……うん」
答えながら、思う。
一度知ってしまった幸福は、簡単には手放せない。
だからきっと、こんなにも、苦しい。
まだ何も始まっていないのに。
もう、戻れない場所に足を踏み入れてしまった気がしていた。




