失われた距離
二人の背中が、門の向こうへ消えていく。
夜の空気に溶けるように、自然で、迷いのない足取りだった。
恒一と、清磬。
並んで歩く姿は、不思議なくらい違和感がなかった。
清磬は、師姉に用意された服に身を包んでいる。
人の世界に溶け込むための装い。
それでも――恒一のすぐ隣に立つ距離だけは、変わらない。
肩が、触れそうなほど近い。
それを見た瞬間、胸の奥が、きゅっと縮んだ。
理由は分からない。
分かりたくも、ない。
ただ、何かを奪われたような感覚だけが残る。
「……行っちゃった」
声に出してみても、何も変わらなかった。
部屋に戻ると、師姉が淡々と言った。
「もう遅いわ。
今日はここまでね」
それから、私を見る。
「着替え、用意してあるわ」
用意された部屋。
用意された服。
それが“いつも通り”だと分かっているのに、今日は、少しだけ息苦しい。
着替えを終え、一人になる。
静かだ。
でも、静かすぎる。
私は、無意識に窓の外を見ていた。
――境界。
気づいた時には、また、見ている。
頻度が、明らかに増えている。
でも、それが自分の力が開き始めているからだなんて、この時の私は知らない。
背中に、氷を入れられたような感覚が走った。
悪寒。
はっきりとした、警戒。
――見られている。
今回は、確信があった。
私は、ゆっくりと振り返る。
恐怖が、先に来る。
でも、その直後。
違和感が、混ざった。
「……人、だ」
声にはならない。
でも、分かる。
恒一を見た時と、同じ感覚がある。
人間。
少なくとも、“人であった”もの。
ただし。
姿が、定まらない。
人型ではない。
輪郭が、揺らいでいる。
一つじゃない。
重なっている。
複数の視線が、一点に集まっている。
でも。
――狙ってはいない。
値踏みでもない。
もっと、低い。
通りすがりに見るような、雑な視線。
そのことが、逆に怖かった。
「……恒一に、言わなきゃ」
そう判断する。
迷いは、なかった。
ポケットから、端末を取り出す。
連絡先を選び、通話する。
――繋がらない。
一度、切る。
もう一度。
やっぱり、繋がらない。
胸の奥が、ざわつく。
不安が、形を持ち始める。
分かっている。
夜の調査中だ。
出られないだけ。
理屈は、理解している。
それでも。
「……ずるい」
ぽつりと、言葉が零れた。
誰に向けたものかは、分からない。
清磬に?
恒一に?
それとも、自分に?
ただ、一つだけ確かなのは。
私は――もう、一度知ってしまった。
隣にいてくれる安心を。
何も言わなくても、そこにいる距離を。
それを失うことが、こんなにも怖いなんて。
画面は、暗いままだ。
境界の向こうで、視線は、まだ消えていない。
そして私は、それを“見えてしまっている”。
気づかないままでは、もう、いられなかった。




